※女監督生/パーティー捏造

「――して監督生さん、あなたもワルツのステップくらいは当然踏めますよね?」
 クロウリー学園長は嫌味ったらしく私に言う。
 なんとなく学園の雰囲気が浮足立っているように見えたから、何かイベントでも控えているのか、と興味本位で学園長に尋ねてみたのがすべての発端だった。
 近隣の魔法士養成学校が四校ほど集まり、生徒同士の交流を目的としたダンスパーティーが毎年開かれるといい、今年もその時期がやってきたらしい。
 この学園には王族やそれに近しい家柄の生徒も多いので、数十年前からの伝統として学園、生徒ともども力を入れてきた伝統行事なんです、と学園長は得意気に言っていたが、どうやら実体はちがうらしい。
 なんでも四校のうちの一校は女子高ということで、ナイトレイブンカレッジの大半の生徒の実際の目的は「その子たちとどうにかこうにか」という邪なものらしい。
 ちろんこの部分は学園長ではなく、エースがお兄ちゃんから聞き齧った話だ。
「……ワルツの? ステップ? ですか」
「ええ、ワルツさえ踊れればダンスパーティーは何とかなりますので」
 聞き間違いじゃなかった。さも当たり前のことのように紡がれた学園長の言葉。いいえと答えるほうがおかしいとでも言いたげな声色にちょっとばかり腹が立って、私は凛とした声で答えた。
「踊れませんが」
 そう来るなら、こっちも当たり前のように返事をしてやればなるまい。
 学園長は私の溌剌とした返事を聞くやいなや「ああ」と項垂れると、仮面に覆われた頭を仰々しく抱えた。
「今時ワルツも踊れな……げふんげふん、それは随分と初々しいですね。でも、いくら私でも女性のステップなんて教えられませんよ」
「それでは、学園長がリードして教えて下さるのはどうでしょうか?」
「そんな真似、私には到〜底できませんよ。それにこのご時世、もしあらぬ誤解を招いたらどうするんです。我がナイトレイブンカレッジ唯一の女子生徒に手を出したなんて噂が立ったら、面目丸潰れ……いえ、あなたの迷惑にもなりますので」
 きっとそんなのは建前で、ただただ面倒なのだろう。それか、ダンスが苦手かのどちらかだ。賭けたっていい。
「じゃあ、私だけパーティーに出られないってことですか……?」
「そんなこと言っていませんよ。ああもう、そんな顔しないでください」
 何かしら手は打ちますので、と言って場をやり過ごす学園長の「手」が丁寧だったことは今まで一度もない。なにもかもが致命的に雑なのだ。
 ――それは今回も例外ではなかった。



 後日、学園長に告げられるがまま、私はサバナクロー寮に来ていた。
 他の寮とは違ってそれぞれの部屋がコテージのように立ち並ぶその空間は、まるでリゾート施設のようで憧れていたけれど、何せ寮生たちの視線はどの寮よりも苛烈で、居心地はよくない。
 縮こまりながら足早にサバナクローの最奥、レオナさんの部屋に到達する。恐る恐るノックすれば、ゆっくりと開いた扉から艶やかな黒髪が覗いた。
 レオナさんは私の顔を見るなり、はあと呆れたように目頭を押さえる。
「こ、こんにちは」
「ハァ……クロウリー。本当に俺のとこなんかに寄越すとはな。ヒトにばっかり押し付けやがって」
 獣の唸り声のようにレオナさんは学園長の名を唱える。
 学園長は声高に「キングスカラーくんはご出身のお国柄、女性の扱いも上手ですし、王族の社交の場にも慣れているでしょうから、私から直々にダンスとマナーの指導をお願いしておきました。私、優しいので」と言っていたものの、当のレオナさん本人にはものすごく面倒臭がられているらしい。
 寝起きらしいレオナさんは前髪を不機嫌そうに掻き上げながら「お前、ワルツも踊れねえのか」と言う。
「だってそういう文化、こっちにはなかったんですもん」
「そんなんでパーティーに出てみたいなんてよく言ったもんだ。言っておくが、微塵も楽しいもんじゃねえぞ」
「それでも、一度は踊ってみたいですよ。私の元いた世界だと、舞踏会なんて映画の中くらいでしか見られなかったんですし」
 ――だからお願いします、レオナさん。私はそう言って深々と頭を下げる。
 レオナさんと関わるうちにわかったことは、意外にも直球で誠実な「お願い」が効果的なのだということだ。
 ただ勘が鋭い分、本当にその奥に誠意があるかどうかはすぐに見抜かれてしまうことも。
「……おい。クソ……顔上げろ」
 その声でぱっと顔を上げれば、レオナさんはばつが悪そうに頭を掻いていた。
「その感じはもしかして、お願い聞いてくれる感じですか……?」
「はぁ? まだ何も言ってねえだろうが」
「やれやれって感じだったじゃないですか」
「……まあ、お前が煌びやかな会場ではみだし者になるのを見るのも、何となく夢見が悪いしな」
「レオナさん……やっぱり頼もしいです!」
「こんな時だけ猫撫で声出すんじゃねえ。騒いでないで入れ」
 不承不承ではあるけれど引き受けてくれたレオナさんは、一泊うん十万ほどしそうな荘厳な私室に私を招き入れてくれた。
「相変わらず、思いっきり踊れちゃいそうなくらい広いですね」
「会場だとそうはいかないからな。周り見てねえと他の奴らとぶつかるぞ」
「確かに……そんな余裕ありますかね」
「気にしなくていい、男の仕事だ。他の奴はどうだか知らねえが、俺がリードしてる間は死んでもぶつけねえよ。お前さえ大人しくしてりゃな」
 舌打ちをしながら床に落ちていた衣服と思われる布を部屋の隅にぽいっと放り投げながらも、レオナさんは頼もしすぎる台詞を吐いた。
 それから私の目の前に、ゆらりと立つ。
 この学園には身長の高い人が多いけれど、レオナさんもその内の一人だと思う。180センチ半ばほどのレオナさんと向かい合って立てば、当然視界はレオナさんで埋まる。さながら壁のような威圧感だ。
「……近くないですか?」
「当たり前だろ。離れてどうする」
「確かに……。ダンスってこんなに近いんですね、なんか緊張します」
「は、奥ゆかしいな」
「馬鹿にしないでください」
 レオナさんは鼻で笑うけれど、さらに一歩私に歩み寄った瞬間に、すっと空気が変わった。いつもの気だるげな風体は身を潜めて、恭しく私に差し出される左手。
 手を、とレオナさんの視線が言っている気がして、恐る恐るその大きな手のひらに自分の右手を重ねると下から包むように握られる。心臓が跳ねる。
「……左手上げろ」
「あ、はい」
「俺の二の腕のあたりを掴め。……ああ、肘下ろすんじゃねえ」
「二の腕? 上腕二頭筋のあたりですか?」
「それでいいが……色気がねえな」
「分かりやすいと思っただけです……」
 言い訳を終えないうちにレオナさんの右手が私の背中に回って、すすと肩甲骨あたりまで上がってくる。そのままぐっと体ごと引き寄せられて、思わず小さく悲鳴を上げてしまった。
 レオナさんはそれを聞いて、くつくつと喉を鳴らすように笑った。
「お前、本当に耐性がないんだな」
「当たり前ですよ! こんなこと、普段からしてないと慣れるわけないです! 私もダンスを嗜んでいればこんな恥かかなかったのに……」
「ならなおさら離れるんじゃねえぞ」
「え?」
「こっちは手と身体使ってリードしてんだから」
 それだけ言うと、ろくにステップの説明もしないままレオナさんは足を踏み出す。
「ちょっと、急にやめてくださいよ、転んじゃう!」
「耳元でしゃべるな。いいから、黙って俺に身を預けてろ」
 え、え、と漏らす間もなく反射的に後ろに横に、足を出す。
 すぐに足が絡んで転ぶと思っていたのに、パズルのようにレオナさんと私の足は同じ方向に動いて、気付けば緩やかな弧を描くように部屋の中を移動していた。
「頭ん中で三拍子だけ数えてろ」
 背中に当てられた手と、繋いだ右手。それに加えて僅かに触れ合う骨盤や腿の動きすべてが、私を操っていた。
 ――そのことに気付くまで十数秒かかったが。
「まあ、一通りこんなもんだろ。覚えたか?」
 部屋を一周して元いたあたりまで戻ってくると、レオナさんは私をくるりと一回転させて、流れるようにダンスを終える。
「レオナさん、すごいです今の。何だったんですか? なんか、意外と簡単に踊れたんですけど」
「俺がお前を躍らせてやっただけだ」
「なんだ……」
「俺以外の下手くそとも踊りたいなら基本のステップぐらいは覚えたほうがいい」
 レオナさんは欠伸をひとつすると、ベッドにどっかりと腰掛ける。
「え? まさか、寝ちゃわないですよね?」
「ルーティーン知らねえ女を躍らせんのはそれなりに疲れるんだよ」
「そんな。せめて基本のステップだけでも教えてくださいよ」
「今度な」
 しなやかな肢体をすっかりとベッドに沈めたレオナさんはもう動いてくれる気配をすっかり失っていたけれど、そもそも、この人が依頼を引き受けて少しでも動いてくれたこと自体が奇跡に近かっただけだ。
 今日のところは、ダンスがどんなものかを教わっただけで十分な収穫と思おう、そう思って私は脱いでいたジャケットを羽織り直すと「明日も来ますからね」とレオナさんに念押しておいた。
 私室を出る寸前で、とあるクラスメイトの話を思い出して、私は足を止めた。
「あ、そうだレオナさん」
「まだ何か用か」
「レオナさんも当日は、その……お目当ての方がいらっしゃるんですか?」
「あ?」
 レオナさんは重そうな頭だけを擡げて、眉間に皺を寄せた。
「いや、女子高の方たちもパーティーに来るって聞いたんです。ほとんどの生徒がそれを目当てにしてるって。そこで知り合って恋人ができる人も少なくないっていうから、レオナさんもお相手がいるのかなって……」
「そういうことか。くだらねえ」
 ふんと息を吐くレオナさんに、少し安心した。
「もしお相手がいないなら、お願いしたいことがあるんですけど……」
「これ以上の何を言い出すつもりだ?」
「……パーティーに一緒に行ってもらえませんか?」
 初めての告白をするぐらいには、心臓がうるさかった。
 「そうだ、当日エスコートしてくれる生徒も探しておいてください」という学園長の丸投げの台詞を聞いたときから、私の頭の中にはレオナさんしか浮かんでいなかった。
 こんな誘いをするなんて、レオナさんに興味があると言っているようなものかもしれない。緊張から思わず瞑ってしまった目をうっすらと開ければ、レオナさんの呆れた顔がこっちを見ていた。
「……何を今更。まさか一人で行くつもりだったのか?」
「え?」
「ここは男子校だから例外といっちゃ例外だが、普通そういうのは男女一組で入るのが鉄則だ。俺はそこまで込みで引き受けたつもりだが」
「……あ、そうだったんですね」
「それとも、他に適任が見つからなかったか?」
「私はレオナさんに頼みたくて……あ、いや、なんでもありません」
「たまには素直じゃねえか。ならくれぐれも俺に恥かかすんじゃねえよ。例えば――」
 レオナさんはゆっくりと立ち上がって、こちらに歩み寄ってくる。
 また至近距離まで詰められたと思えば、扉に掛けていた手を壊れ物のようにそっと下から包まれるようにして剥がされる。
 私の手の代わりに、骨ばった彼の手が扉を押し開けた。
「……当日はこういうことも全部、俺にやらせろ。いいな」
「え、あ、はい……」
 普段のレオナさんと別人のように恭しい所作にどきりとして、頷く以外できなかった。
 さっきの一瞬、「まるで王子様みたいだ」という感想を抱いたけれど、よく考えればこの人は本物の王子様だったのだ。
 私はとんでもない人にエスコートを頼んでしまったのかもしれない。一周回って恐怖さえも感じながら、レオナさんの一日目のレッスンを終えた。
「せいぜい二週間、頑張るんだな」
 帰り際に私の頭をくしゃりと雑に混ぜた、いつも通りの手のひら。二人のレオナさんに翻弄されているような気になって、その後の授業は全く頭に入って来なかった。



 いよいよパーティーも明日に迫ったときのことだった。
 エースとデュース、そしてグリムと一緒に過ごすランチタイムも明日の会話で持ち切りだった。
 「ダンスパーティーで浮かれて出来上がっちゃうカップルってどーよ、すぐ別れそー」と見も蓋もないエースに、「ちゃんと踊れる気がしない……」とダンスの心配をするデュース、グリムは食べたいご馳走のことと、三者三様の内容を口走っている。
 そういう私も私で、ステップのことで頭がいっぱいだ。
 レオナさんは結局ステップについてはまともな指導はしてくれず、何度か私を好き勝手に躍らせた後に「身体で覚えろ」と言うだけだった。
 もちろん何も知らなかった二週間前に比べて、最低限のリードに付いて行けるレベルにはなったと思うけれど。
「そういや監督生」
 ぼうっと頭の中でステップの復習をしていると、エースがデラックスハンバーガーを飲み込んで尋ねてくる。
「なまえはエスコートとか付けてんの? それとも意外と他校に彼氏とか作ってたりして〜?」
「そ、そうなのか? 監督生! 僕、おめでとうって言ってないぞ」
「勝手に進めないでよ。彼氏はできてないし、当日はレオナさんにお願いしてるの」
「ハァ!?」
「……え、監督生お前、時々いないなとは思ってたけど、キングスカラー先輩にダンスを教わってたのか!?」
 二人は椅子から飛び上がりそうなほどの驚きようだった。
「学園長からも頼んでくれて、しぶしぶだけどね……」
「なるほどね。柄じゃねえと思ったけどあの人、仮にも王子サマだったっけ。王族って、なんか立ち振る舞いとか身なりとかうるさそうじゃねえ? 大丈夫なの?」
「それは私も心配してるよ……でもレオナさん、『俺の言う通りにしとけ』とか、『身体で覚えろ』とかそんなんばっかりだし、当日のドレスの相談しても、『お前は考えなくていい』、とかしか言わないし……」
「レオナっぽいんだゾ……」
「うわあ……ご愁傷様」
「ちょっと。心配してよ」
 げんなりした表情のエースに代わって、デュースは柔らかな声色でフォローしてくれる。
「でも監督生、前にキングスカラー先輩のこと格好いいって言ってただろ。チャンスなんじゃないのか?」
「デュース! き、急に何……!」
「あ〜、確かに言ってたわ。仕方ねえ、当日はグリムの面倒は俺らが見ててやるよ」
「え!?」
「俺様はご馳走さえ食べて目立てれば、何でもいいんだゾ!」
「じゃあ決まりな。小動物と一緒にいたほうが女の子の食い付きも良さそうだしな〜」
 私の恋路を応援してくれるのかと思いきや、予想に反して良からぬ企みが聞こえてきたが、私は都合よくそれを聞かなかったことにした。
 誰にも迷惑をかけずにパーティーを楽しめるかは不安だけれど、なんだかんだ浮足立っている三人が存分に楽しめればいいのな、と思った。



 パーティー当日である今日は、授業が午前のみで終わる。午後はパーティーの準備と、会場への移動のために空けておけ、ということだ。
 午前中最後の授業であった魔法史が終わった途端、落ち着かなさそうにばらばらと席を立つ生徒たち。
 私がエースとデュースに「グリムをよろしくね」と頼むと、二人は胸を拳で叩いて見せた。
「馬子にも衣装、楽しみにしてるぜ!」
「監督生、また夜な」
 けらけらと笑うエースの一言は余計だったけれど、怒りを噛み殺して笑顔で別れた。
「授業が終わったらとりあえず来いって言われてたけど……レオナさん、どこだろう」
 寮へ続く鏡の間できょろきょろと見当たらない彼の姿を探していると、ふいに背後からぽんと肩を叩かれる。
「アンタね」
「えっ!?」
「あら、聞いてないの。アタシのことは知ってるわよね?」
「『ヴィル様』……ですよね?」
 誰かがポムフィオーレ寮長のことをそう呼んでいた。
 あまりに驚きにそのまま口に出してしまったことに気付いて口を押えるけれど、まんざらでもなさそうに目の前の美しい人は笑う。
「分かってるならいいの。さ、行くわよ。アタシは二人分の準備をしないといけないんだから」
「ちょちょ、ちょっとすみません。話に付いて行けてなくて!」
「ノロマね。付いて来なさいよ」
 ヴィル様、もといヴィルさんがレオナさんに頼まれて私のドレスアップを手伝ってくれることになっていると分かった頃には、既にポムフィオーレ寮の中だった。
「……レオナのやつ、説明くらいしときなさいよね。アタシが拉致したみたいだったじゃない」
「すみません。私も物分かりが悪くて」
「フフ、謙虚な子は嫌いじゃないわ」
 ふかふかの絨毯に、幻想的な光がゆらめくシャンデリア。
 おとぎ話の中のような絢爛なポムフィオーレ寮の部屋の中、ヴィルさんはあちこちを動き回って、私に様々な色や素材の布を宛がっては首を傾げる。
「これもいいけど、こっちも捨て難いわね……でもアンタの肌に映えるのはこっちかしら……あ、アンタの好みはあんまり聞けないけど、許してちょうだい」
「いえ、ヴィルさんにお任せします……」
「アタシの好み全開でいいならもうとっくに完璧なドレススタイルが決まってるわ。厄介なのはレオナの好みよ」
「レオナさんの?」
「アンタ、レオナとパーティーに出るんでしょ? 『俺の女みたいにしろ』って抽象的かつめちゃくちゃなオーダー付けられて、まったく困ったものよ。まあ、見返りはばっちり貰ってやるし、難解なコンセプトの再現ほど腕の振るい甲斐もあるってものね」
 得意気に伏せられた片目の睫毛が、扇のように綺麗だ。
 ささくれひとつない艶やかな唇から紡がれたレオナさんの言葉に、思わず顔が熱くなる。
 ヴィルさんにはそれがバレていたらしく、「そんなに赤くなられたらドレスの色が合わせらんないわ」と笑いながら文句を言われてしまった。
 ドレスが決まると、それに合わせたヘアメイクとメイクまでヴィルさんが手際よく進めてくれ、自分では絶対に乗せないだろう主張の強い色が次々に顔に乗せられていく。
 不安に目を見開いていると「何よ。これぐらいじゃないとシャンデリアにも星空の輝きにも惨敗しちゃうんだから仕方ないでしょ」とロマンチックに一蹴されてしまった。
 そして、私のコルセットを死ぬかと思うほどぎゅうぎゅうに締めながら、ヴィルさんは私に尋ねた。
「そういえばアンタ、ダンスは得意なの?」
「ぐ……し、初心者です……やっだことがなぐで」
「エペルみたいな喋り方、やめてくれる?」
「すみません……苦しぐて……!」
「すぐ慣れるわよ。まあ、ダンスは心配しなくても、きっとレオナが躍らせてくれるわ。まるでマリオネットみたいにね」
「はい……私、レオナさんとしか踊ったことないから不安で……踊らされてばっかりで、結局自分のステップ覚えられなくて……ぐぅ!」
 ヴィルさんはくすくすと笑うのと同時に、コルセットをとどめだと言わんばかりに締めた。
「ダンスパーティーなんて、みんな自分の目の前の人やものだけに夢中なんだから、周りの目なんて気にしないで楽しんでいいのよ。確かに、注目を浴びる機会もあるにはあるけど……アンタはレオナとだけちゃんと踊れてればそれで十分よ」
 どこか意味深にヴィルさんはそう言った。
 励ましてくれたのだろうか。とりあえずお礼を言っておくと、ヴィルさんはまだ楽しそうに微笑んでいた。
 ペチコートでたっぷりとボリュームを付けてから、ヴィルさんが選んだドレスで身を包む。
 ブラックを基調に、肩元にはたっぷりと繊細な宝石が散りばめられていて、夜空のようだった。
 そしてウエストから下のスカートには、上品なブラウンやベージュが何枚もの黒いチュール生地の下に覗いていて、少し動くだけでいろんな表情を見せてくれた。
 見たことのない自分の姿に感嘆するけれど、ヴィルさんはまだ暇を与えてくれない。
「……さてアンタ、綺麗よ。アタシが手掛けたからには、アンタが会場で一番綺麗だってレオナにもみんなにも思わせないとね。背筋はしゃんと伸ばして、肩はなるべく開いて、顎引いて立って。それで、踊るときは相手を見つめるのもいいけど、少し首を倒して澄ました顔をするといいわ。フェイスラインを見せるの」
 こんな風にね、とヴィルさんが繊細な指先で私の顎を摘んで、そっと左に倒す。
「そうすれば、アンタは一番綺麗な女になれるわ」
 はい、と頷くと同時に、視線の先に立っている人物が目に入った。
「レ、レオナさん? 見てたんですか」
「……そろそろかと思って。今、迎えに来た」
 白い燕尾服に身を包んだレオナさんが、凭れかかっていた壁からゆらりと身を起こして、こちらへ歩み寄ってくる。
 いつも下ろされている艶やかな黒髪は後ろに纏められて、前髪もすっきりと流されていた。切れ長の綺麗な瞳が惜しげもなく晒されていて、思わず見惚れてしまう。
「……ちょっと。なんでアンタが見惚れてんのよ。普通逆でしょ」
「わ」
 小声でヴィルさんに怒られて、背中を小突かれる。その反動でレオナさんのほうに一歩、二歩をよろめくように歩み寄る。
 俯いた顔を思い切って上げれば、レオナさんの澄んだ翡翠のような瞳と視線が絡んだ。
 にわかに顔中に熱が集まって、たまらない気持ちになる。
 人生最大に着飾った姿を想い人に見せるのがこんなに緊張するだなんて、今の今まで知らなかった。
「……なまえ」
「……はい」
「すげえ綺麗だ」
 呟くようなその言葉に、さらに顔が熱を帯びる。
「……ちょっとレオナ、それだけ? どこがどう綺麗かちゃんと褒めなさいよ」
「お前に頼んで正解だった、ヴィル」
「……フン、当たり前でしょ。報酬は弾んでくれればいいわ。アンタたちが楽しんだ分だけね」
 はっと鼻で笑って、レオナさんは私に手を差し出した。
 そっと上から手を乗せると、応えるようにその指が私の手を包んだ。
「これから先、俺から離れるんじゃねえぞ。お前は俺のだって自覚を持て」
 丁重な所作と真逆の、あまりにも暴力的な言葉だった。
 それでも恋は盲目で、瞳すら潤んでしまいそうになる。
 レオナさんが私の返事に満足気に頷けば、泡沫の夢のような時間の始まりだった。



 馬車を降りて向かった先は、眩暈がするほど煌びやかな空間だった。
 色とりどりのイブニングドレスに身を包んだ女の子たちはみんな綺麗で、思わずうっとりしてしまう。
 見知った顔の生徒が女の子たちに声を掛けて、次第に二人組になっていく光景もちらほらと見かけられたけれど――私と来たら、レオナさんの手を取って学園を出発してからというもの、馬車を降りるにも、羽織物を脱ぐにも、階段を昇るにも、全てレオナさんの手を借りている。
 あまりの申し訳なさにたじろいでしまいそうになるけれど、「全て俺にやらせろ」というレオナさんの言いつけを守っていた。
「……おい、何縮こまってる」
「人がたくさんいて……それに、レオナさんに挨拶してくる人も多いし」
「そういうもんだ。早く慣れろ。俺がついてんだから堂々としてりゃいいんだよ」
 レオナさんはぶっきらぼうにそう言うけれど、私のキャパオーバーを察してか、そっと会場の隅に連れて来ては、こうして静かに言葉を交わしてくれた。
「あ、カントクセー! と、レオナ先輩」
「よ、監督生。キングスカラー先輩、チーッス」
「エース、デュース!」
「……ち、うるせえのが来た。マナーもへったくれもねえ」
 明るい声が飛び込んできたと思えば、見慣れた二人だった。
 きっちりと燕尾服を着込んでいくらか大人びてはいるが、いつも通りの顔を見ると、どっと安心感が沸いてくる。
「お前、フツーにメッチャ綺麗じゃん!」
「ああ、誰かと思ったぞ。キングスカラー先輩と一緒じゃなかったら誰か分からなかった」
「ほんとに褒めてる!?」
「オレ様もエースたちと同意見だゾ。いつもはショボいお前も、今日はレオナとお似合いなんだゾ!」
「グリム……!」
「ハッ、『お似合い』か。手間暇かけた甲斐があったな」
 王子様であるレオナさんと並べられるなんておこがましいにも程があるけれど、到底お世辞を言えない三人にいつもよりかは綺麗だと言ってもらえたことも、いくらか安堵をくれた。
 そうしているうちに、ちょうど音楽が鳴り始める。ゆったりとした三拍子は、ワルツだ。
「お、始まったんだゾ」
 中央のフロアにみるみる人が集まる。
 色とりどりの豪華なドレスが翻る光景はまるで花畑のようで、思わず歓声を上げてしまった。
「僕たちはこれから相手探さないとですけど、キングスカラー先輩たちは踊らないんですか?」
「俺か? 俺はまだいい」
「え、レオナさん、踊らないんですか?」
「何時間あると思ってる。最初からずっと踊ってたら草臥れちまうだろうが」
「え〜? じゃあオレ、カントクセーと踊ってきてもいいッスか?」
 エースの申し出に、レオナ先輩は私に視線を送って「お前がいいなら」と手を取った。
「いいよエース、踊ろう。どうせ練習台にしたいだけでしょ」
「あっはは、バレた?」
 一丁前にエースはレオナさんから私の手を受け取って、フロアに連れ出す。
 ちょっとしか練習してないんだよね、と漏らしたわりには、エースの振舞いはスマートだった。わざとらしく「踊って頂けますか?」と胸に手を当ててお辞儀をされる。普段のお互いと違う姿に、思わず二人で噴き出した。
 曲に対してすこしせっかちにリズムを取る癖があるみたいだったけれど、それもエースらしい。エースとのダンスは、強引だけど楽しかった。
「ステップはむちゃくちゃだったけど、楽しそうだったな、二人とも」
 フロアから戻ると、デュースは呆れたように笑ってくれた。
「ああ、結構楽しかったぜ、ありがとね。監督生、それとレオナ先輩」
 いくらか言葉を交わすと、三人はやれご馳走だの、やれ女の子だのと騒ぎながら人込みの中に消えていった。
 三人の後ろ姿が見えなくなった頃、レオナさんが私を見下ろして言う。
「俺と踊るときはガチガチのクセして、やけにリラックスしてたな」
「だってエースは同級生ですし。そりゃレオナさんと踊ってもらうのとは違いますよ」
「ふうん。どういう意味だ」
「どういう意味って……」
 そんなの、私がレオナさんを好きだからに決まってる。
 そう答えられれば楽になれるんだろうけど、そんな勇気は捻り出しても出てこない。
「……レオナさんは王子様だから」
「……はぁ?」
 適当すぎる濁し方に、レオナさんは眉を顰めていた。
 私がこれ以上何も言わないと察したのか、レオナさんはため息を吐く。
「……お前、誰か踊りたいやつはいんのか?」
 エスコートをしてもらっている以上、一人でふらふらと歩くのは良くないらしい。
 きっと、私が誰かの名前を告げればレオナさんはそこまで連れて行ってくれようとしているのだろうけれど、私の頭には誰の名前も浮かんで来なかった。
「誰かっていうか、レオナさんと踊りたいんですけど……」
 恥ずかしさに、ちょっと拗ねが入ってしまう。ちらちらと目を逸らしながらそう言えば、レオナさんはどこか呆れたように目を伏せた。
「……後でな」
 ――分かっていた。あのレオナさんがこんな場で省エネしないわけがない。
 せっかく練習したのに、と私は思うけれど、レオナさんはなるたけ温存したいのだろう。私なんかに使っている体力がもったいないというところか。
 自分で思い至った結論に悲しくなって、ブルーになってしまう。
 そこに、またも軽快な声が飛び込んできた。
「やっほー! 監督生ちゃん、レオナくん」
「ケイト先輩」
 長い前髪を後ろに流して一層綺麗な顔立ちを露わにしているケイト先輩は、隣に他校の女の子を連れていた。
「この子、輝石の国出身の幼馴染なんだけど、昔パーティーでレオナくんと会ったことがあるって。踊りながら昔話でもどうかなと思ってさ」
「……ああ」
 レオナさんは息を吐いて、ケイト先輩から女の子の白くて華奢な手を受け取った。
 ずきりと心が痛むような心地がした。ダンスパーティーで別の女の子の手を取るなんて、深い意味はないし当たり前のことなのに。
「で、監督生ちゃん。よければオレと踊ってくれない?」
 ケイト先輩は私と一人にはさせまいと考えてくれたのか、すかさず手を差し出してくれた。
 踊ったことがない曲に躊躇している間に、ケイト先輩は私にウインクひとつだけをして、半ば強引にフロアに連れ出す。
「……あの、ワルツ以外踊ったことないんですけど」
「大丈夫! オレこう見えて先輩だから、監督生ちゃんよりは慣れてるし。リードしてあげるよ」
 ケイト先輩は拙い私の動きに合わせてステップを変えてくれているように見えた。「いいね」「そうそう」と頷いてくれるのが心地よい。
 くるりと回るようなリードを寄越されて小さく悲鳴を上げれば、あははと愉快そうに笑うのが聞こえた。
 目まぐるしく変わる視界の隅に、レオナさんとあの人が踊っている姿が映ってしまう。明るいけれど子どもっぽくないイエローのドレスがレオナさんの隣で映えていた。
 背筋をしゃんとして、堂々として、とヴィルさんやレオナさんに言われたばかりなのに、私なんかよりレオナさんの隣に相応しい人がたくさんいるなんて当然のことを、目の前に突き付けられた気分だ。
「……監督生ちゃん。気になる? レオナくんのこと」
「あ、私、よそ見して……すみません」
「ううん。勝手に目が追っちゃうんでしょ、仕方ないなあ」
「う……」
「でも、自信持ちなよ。今夜の監督生ちゃんだって、すっごく綺麗だよ。今すぐマジカメに上げたいぐらい。男の子も女の子も、みんな視線を監督生ちゃんに持ってかれちゃってるの、気付いてる?」
「そんなことあるわけないです。たしかにヴィルさんのドレスはすごく綺麗だけど」
「ううん? 監督生ちゃんがそのドレスを着てるからだよ。両方。まあでも、男の子は君の隣にレオナくんがいたら、そうそう近付けないだろうけどね。君のこと自分色に染め上げて、まるで俺のガールフレンドだって言ってるようなものだもん」
 悪戯っぽくケイト先輩は笑うと、曲のフェードアウトに合わせてゆっくりと私の手を離し、跪いてお辞儀をする。
 動きを止めると、宙にふんわりと舞っていたドレスがしんと静けさを取り戻す。
「ふふ、ありがとね、監督生ちゃん」
「こちらこそ。楽しかったです」
 ケイト先輩は私の手の甲にキスをする。現実味のない光景に目を丸くしていると、まだ何か企んでいる顔で、ケイト先輩は立ち上がる。
「……ところで監督生ちゃん、ラストワルツって知ってる?」
「パーティの最後のワルツってことですか?」
「ご名答。じゃ、その意味まで知ってたりする?」
「いえ、なんにも」
 ケイト先輩はにっこりと笑むと、教えてくれた。
 このパーティのラストワルツは、「今夜最も輝いていたペア」を決める意味合いがあるのだと。
 集まった四校の学園長が審査をして、選ばれた一組には伝統のティアラを受け継ぐのだとか。
 代々選ばれたペアは羨望の眼差しで見られるどころか、ひとつの評価として内申にも好影響があるという噂もあるとかで、自信のあるペアだけが毎年挑戦しているらしい。
「ね? 留年してるレオナくんに打って付けでしょ? 一緒に出てあげれば?」
「ええっ、でも私バリバリの初心者ですし、恥かかせちゃうだけですよ」
「も〜監督生ちゃんったらカタいなあ、何もダンスの上手い下手を評価されるわけじゃないんだからさ〜!」
「あ、そうなんですか」
 だとしたら「最も輝いていたかどうか」なんて主観もいいところだ。学園長ならナイトレイブンカレッジの生徒をえこひいきしてくれるかもしれない。
 なんて話をケイト先輩とジュース片手に交わしていると、やっとレオナ先輩が戻ってきた。
「……悪い。いろんなのに捕まっちまった。大丈夫だったか」
「はい、ケイト先輩がいてくれたので」
「も〜レオナくん、駄目じゃん一人にしちゃ」
「悪かった」
 ケイト先輩の言葉に一瞬ひやっとしたけれど、珍しく素直に折れるレオナさんの姿には呆気に取られてしまった。
「じゃ、お邪魔虫は退散するとしよっかな〜。じゃあね、レオナくん、監督生ちゃん」
 調子よく手を振って去って行くケイト先輩に私が会釈をする傍らで、レオナさんは煩わしそうに舌打ちをした。
「……お前、アイツになんか吹き込まれてねえだろうな」
「普通の世間話しかしてませんよ」
「……ならいいが」
 レオナさんはラストワルツに出たいのだろうか。
 目立つのは恥ずかしいけれど、出て損になることはないのだから、レオナさんが出たいのなら挑戦してみてもいいのかもしれない。
 そう思いながら何度か声を掛けてみようとしたけれど、レオナさんや私に次々に降りかかってくる挨拶やダンスのお誘いは嬉しいことに後を絶たず、時間が過ぎていった。



 そのあともパーティーは続いた。
 トレイ先輩には
「監督生、初めてって言ってたのに上手いな。練習頑張ったんだろ。偉いぞ」
 と、まるで先生のように褒めてもらえたし、ラギー先輩には
「へ〜、馬子にも衣装ッスね〜。でもそのドレス、いかにもレオナさんの趣味って感じでなんとなく近寄り難いッス」
 と苦笑をされてしまった。
 ヴィルさんは今まで優雅に談笑に徹していたのか終盤に姿を現して、
「メイクも髪も崩れてなさそうでよかったわ。けどアンタ、さっき思いっきりカルパッチョか何か食べてたでしょ。見たわよ。まったく……リップのこと気遣って上品に食べなさいよね」
 と説教だけをかましていった。
 他にも、声をかけてくれた他校の知らない男の子とも踊ってそれなりに私も草臥れてきたけれど、ただひとり、レオナさんだけが頑なにフロアに誘ってくれない。
 飲み物を渡してくれたり、食べたいものを取ってくれたり、お手洗いにと言えば階段を一緒に降りてくれたり――これはちょっと恥ずかしかったけれど――、普段とは打って変わって紳士的なレオナさんを傍で見ていて、もし恋人や婚約者がいればこんな感じなのだろうか、なんて考えてしまった。
 勝手に想像しては、この夢のような時間があと少しで終わってしまうことを思い出しては泣きそうになる。
「……レオナさん」
 パーティーも終盤に差し掛かり、「この後抜け出そう」なんて浮かれた声がちらほらと聞こえてきた頃、私はとうとうレオナさんの名前を呼んだ。
 レオナさんは私に視線を落とすと、少し面食らったような顔になる。
「……おい、なんだよ。そんな顔しやがって」
「あの、私……」
「どうした。何か言われたりしたのか」
「違います」
「つまらねえか?」
「……いいえ。ただ、レオナさんと踊りたくて。そりゃあ私なんてレオナさんに相応しくないって分かってますけど、きっとレオナさんと一緒にパーティーに来れることなんてもうないから……思い出にしたくて。お願い、レオナさん」
 思わずレオナさんの燕尾服の袖を掴んだ。それが精一杯の意思表示だった。
 レオナさんが何かを言い掛けて唇を開いた瞬間に、すっと音楽が鳴り止む。
 ――終わってしまう。
 フロアにいた色とりどりのドレスと燕尾服たちが、音もなく、残像をも残さず、フロアからいなくなる。それはどこか逃げるようでもあった。
 しばらくのささめき声のあと、遠くから風に乗って聴こえてくるように、ゆったりとした三拍子のメロディが鳴り始める。今までに流れていたどの音楽よりも美しく、感傷的な曲だと思った。
 誰もいなくなったフロアで再び踊り出したのはほんの三組ほどだったが、その三組にこの会場の誰もが瞠目していた。
「……この曲が最後だが、お前はそれでも俺と踊りたいか?」
 私の返事を聞く前に、レオナさんがグラスをテーブルに置いて、フロアに出る。
 大きな手のひらがフロアの中心から私に向かって差し出されると同時に、周囲の生徒たちが一斉に私に視線を集めるものだから、私は息を呑む。
「……もちろんです」
 スカートを摘んで、レオナさんの前まで歩く。
「後戻りできねえぞ」
「構いません」
「……俺が見込んだ通り、いい度胸をしてる」
 レオナさんはそう呟いて勝気な笑みを浮かべると、打って変わって恭しく跪き、私の手を取りキスを落とした。
 どこからともなく歓声に似たものが沸き上がって、私達を取り巻く。
 ――ラストワルツにエントリーするということは、こんなにも称賛されるものなのか。
 羞恥よりも、目の前のレオナさんが眩しさと、この瞬間を目いっぱい噛み締めて思い出にしたいという気持ちが勝って、私は夢中でレオナさんと踊った。
 相変わらず「踊らされた」というほうが相応しい出来だけれど、今夜踊ったどの瞬間よりも、幸福が胸を埋める。
 時折その澄んだグリーンの瞳と視線が合えば、ひどく甘やかに細められるものだから、まるで物語の中のお姫様にでもなった気分だった。



 ラストワルツが鳴りやめば、レオナさんが私をくるりと回して、手を繋いだまま頭を下げる。慌てて私も膝を折れば、拍手やら口笛やら、あるいは茶化すような歓声まで聞こえてきた。
 誰もが私たちを見ているような錯覚に陥るけれど、何食わぬ顔で「帰るぞ」というレオナさんは堂々としているから、気のせいらしい。
 レオナさんと腕を組んで馬車に向かう途中、終わらないでと頭の中で唱えながら、わざと他愛もない話を振ってみた。
「そういえばレオナさん、結果発表は後日なんですね」
「……結果発表?」
「ラストワルツの」
「……は?」
「え?」
 いまいち噛み合わない会話。
 ケイト先輩から聞いた話をあれこれと思い出しているうちに、背後から聞き慣れた声がする。
「監督生!」
「……チ、アイツら、本当にお前が好きだな。また来やがった」
「エース、デュース、グリム。今日は楽しかったね。皆もこれから寮に戻るの?」
 手を振りながら三人に声を掛けるけれど、三人の顔付きは険しかった。
「『寮に戻るの?』じゃねえよ! ケロっとした顔しやがって!」
「どうして僕たちに黙ってたんだ! 水臭えぞ!」
「え?」
「クッソ〜、オレら、お前とはトモダチだと思ってたのに、あんな大多数と知るタイミング一緒だったとかショックすぎなんだけど!?」
「……だから何?」
 今度は二人の言っていることに付いて行けずに聞き返せば、絶妙な沈黙が流れる。
 どうしてさっきから、誰との会話もちぐはぐになってしまうのだろう。
「……お前、まさかとは思うが」
 レオナさんが眉を顰めて私を見る。
 彼が何に対して不快感を露わにしているのかは分からないけれど、「イエス」と答えてはいけないことだけは本能でわかった。
「……あ、みんな、そろそろ帰りましょうか」
 当てずっぽうで当たり障りのない台詞を吐いてみる。どうせ同じ寮に帰るのだから乗って行けばいいと「グリム」と呼びながら手を伸ばせば、エースたちがグリムを、レオナさんが伸ばした私の腕を、ぐいとそれぞれ引っ込めてしまう。
「……じゃあ、俺らは帰る。付いて来るなよ」
 獲物を睨むように瞳をぎらつかせるレオナさんが私の手を引いて、馬車へと押し込んでしまう。
「ウッス! 監督生、レオナ先輩、お疲れッした!」
「チーッス!」
「オレ様はエースたちといてやるから気にすんな! お幸せになんだゾ!」
 わざとらしく直角に頭を下げる二人の様子もそうだが、遠ざかっていくグリムの「お幸せに」という台詞が一番気になった。
 むくむくと頭の中で疑惑が沸き上がる。考えるのに精一杯で口数が減っているのは、レオナさんも同じなようだった。
 参った、とでも言わんばかりに額に手を当てて目を瞑るレオナさんが、静かに切り出す。
「……まさかと思うが、お前、ラストワルツが何か知らないのか」
「し、知ってます! けど……もしかしたら、私が思ってたのと違うかも……」
「……聞きたくねえが、お前の知ってるのはどんなだ」
「今夜輝いたペアのコンテストみたいなので、学園長が審査して、選ばれたら名誉と点数が貰えるっていう……」
「ハア?」
「やめてください睨むの! 話してる途中で察しましたもん、ちがうって!」
 ああ、とレオナさんは唸ったあと何かを合点したのか「……アイツか」と独り言のように言う。
「お前以外が知ってるラストワルツは、そんなんじゃねえ」
「そうみたいですね……」
「特別なもんだ」
「特別って、どんなですか」
 レオナさんが私を見た。
 翡翠のような瞳が月光を取り込んで、誘い込むように揺らめいていた。
「本当に愛し合った恋人同士しか、あのフロアで踊ってはいけない。それが暗黙のルールだ。皆の前で誓うようなもんだからな、最早儀式だなんて言われてる。『この世界では』な」
 まるで他人事のようにレオナさんは告げる。
 それを私とレオナさんがやったことなのだと認識するのに数秒かかった。腹の底から湧き上がる熱。
 何より恥ずかしいけれど、後悔なんてしていないと言ったら、レオナさんは何て言うだろうか。
 そもそも、それならどうしてレオナさんは私とラストワルツを踊ってくれたのだろうか。
「……俺としては、馬鹿にするのも大概にしろと怒鳴りたいところだが、知らなかったならそんな道理もねえな」
 草臥れたような声色で、レオナさんは言う。
「ようく考えてみろ。どんな気持ちで俺がお前をフロアに誘ったか、なんで最後までお前を『取っておいた』のか。分からないなら、教えてやるけどな。今夜の俺は機嫌がいい」
 前言撤回、舌なめずりをするような邪悪さも兼ね備えた、掠れた声だった。
 ちょうど高らかな馬の鳴き声がして、馬車が校門の前で停止する。
 降りたレオナさんがまた私に手を差し伸べてくれる――と思いきや、両手を宙に出して、まるで、早く飛び込んで来いとでも言うように眉を上げた。
「どうした? まさかあのオンボロ寮に帰るつもりじゃねえだろうな」
 もう後戻りはできないと、レオナさんは言っていた。じゃあ、する必要なんてないのだと、私はレオナさんに伝えよう。
 女は度胸、心の中でそう唱えて、思い切って馬車から飛び降りる。がっしりと確実に受け止められて、そのまま彼の部屋まで大切に運ばれる。
 きっともう邪魔するものはきつく締められたコルセットぐらいしかなくて、この夜空のようなドレスを着替えたって、今夜の夢みたいな時間は続く気がしていた。
 学園の大時計は零時を指していたけれど、私の魔法はまだまだ解けない。

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