供養
勝己くんから来るオフ日の報告メッセージは「会おう」と同義だ。それをわかっていながら、私は勝己くんのメッセージに「その日はちょっと忙しいかも」と返し続けていた。かれこれ三週間。
最新のビルボードチャートに刻まれた、去年と変わり映えしない自分の順位を見てこんなにも肩を落としているなんて、ここ二年間ずっと上位をキープしている勝己くんにはわかるはずもない。だからといって落ち込んでいる理由を話して、せっかく会っているのに湿っぽい雰囲気にもしたくないし。
そんなことをいろいろと考えているうちに自然と勝己くんと会うことから逃げてしまって、とうとう報道番組に映る彼の姿に「なんだか遠いなあ」という感想すら抱いてしまった。
「……仮にも恋人に対して『遠い』とは、おまえもなかなか苦い思いをしてんだな」
高校時代の恩師である相澤先生に連絡を入れてみれば、「少しだけだぞ」と仕事の合間を縫って飲みに付き合ってくれることになった。悩ましい声でわざわざ電話をかけてくるかつての教え子を哀れんでくれたのだろうか。
「というかおまえ、あんなもん気にしてんのか。ただの人気投票だと思やいいだろ」
「そう思うようにしてましたけど、結果を残せていない私が言ってもいよいよ負け惜しみにしか聞こえなくないですか? 仲良かった梅雨ちゃんたちもどんどん上位になっていくから相談しづらいし……」
「まあ……蛙吹は個性自体がキャッチーだしな」
「そうじゃなくて、実際みんな活動をすごく頑張ってるんですよ。たまに同じ現場に行くんですけど、たくさんの人を安心させて、笑顔にしてて」
ガード下の飲み屋を選んでよかったと思う。私が湿っぽい声のひとつを出したところで、周囲の愉快かつ豪快な笑い声が掻き消してくれるからだ。
相澤先生はやけになってグラスの中の液体をあおる私を見て、もともと覇気のない目元をますます細めた。
「じゃあおまえは人を笑顔にしてないってのか」
「いえ、私なりに頑張ってはいるつもりですが」
「ならつべこべ言わず胸張っとけよ。おまえが蛙吹の活躍を見てるみたいに、誰かもおまえのこと見てるさ」
「……じゃあ先生は? 私の上期の事件解決数言えますか?」
「……俺はほら、あんまりテレビとか観ないから」
相変わらずくたびれた声でばっさりと切り捨てられる。ほらね、とわざと泣きの入った声で言ってみれば「……おまえ、やっぱり酒が入ると厄介なタイプだったんだな。学生時代からそんな雰囲気は出てたが」とひとりで答え合わせをされてしまった。
相澤先生を責めて困らせたけれど、相澤先生の言いたいことは痛いぐらいにわかっている。私だって、誰ひとりも自分の活躍を見てくれやしない、なんて盲目に悲観的になっているわけではない。
端的に言えば焦っているのだ。
私の同期には、リアルタイムで目覚ましい活躍を遂げているヒーローが多すぎる。デビューした年は「今年は豊作だ」と世間やヒーローファンにたいそう騒がれた。そしてその筆頭に、もっとも近い存在であるはずの恋人が――爆豪勝己のヒーローネームがある。
だんだんとその広い背中が遠くなっていく、そんな夢すらとうとう見始めた。
「……そもそも私って爆豪勝己と釣り合う人間なんですかね……あんな人と私が一緒にいておかしくないですかね……?」
私の頭の中だけでぐるぐると考えていたことを突然零してしまったせいで、追い付けない相澤先生はこれでもかと眉間の皺を濃くした。
「もっと頑張んなきゃいつか見放されたりすんのかな……」
「……なるほどな、根本はそういうことか。だったら最早釣り合う合わないの話じゃねえだろ。おまえらは昔っからずっと……いや、俺に話す前にその辺ちゃんと話してんのか? 爆豪とは」
「いえ、最近会ってなくて」
「……おまえなぁ、そういうのは――」
相澤先生が言葉の途中でぎょっと表情を険しくしたと思えば、はあ、とため息を吐いて頭を抱えてしまう。
「あーあー……こんなことで泣くなよ。飲みすぎか? 爆豪に連絡して迎えに――」
「いや、それはちょっと。泣くの我慢できなかったのは本当に申し訳ないんですけど、断じて飲み過ぎてはいませんし、今ちょっと彼には会いたくないというか会えないというか」
慌てて指で涙を拭って立ち上がり、相澤先生がスマホを取り出すのを制止しようとするが、相澤先生の骨ばった手はポケットからスマホを引き抜いたところでぴたりと止まったまま動かない。
微妙に視線の合わない相澤先生がどこを見ているのかが分からず、「え?」と手を宙にさまよわせていると
「……爆豪ならもう来てるが」
相澤先生はそう言って、くいと人差し指をゆるく曲げ、私の背後を指さした。そこにあったのはたしかに、三週間ぶりに目にする私の恋人の姿だったが、その眉間に珍しく皺が寄っていないのが――一周回って、かなりこわい。
真っ赤な炎より、青い炎のほうが温度が高いのと同じだ。
勝己くんは相澤先生への挨拶もそこそこに、私をタクシーに押し込むようにして乗せた。
相澤先生は去り際に「事件解決数までは覚えちゃいねえが、俺はお前らのことちゃんと見てるぞ」と言って力の入っていない手のひらを振ってくれたが、あの様子だと、勝己くんに根回しをしたのは相澤先生だろう。
別に、先生と会った理由にも会っている時間にもやましいことはなにもなかったが、忙しいと適当な理由を付けて勝己くんと会うのを断っていた矢先の出来事なせいで、タクシーの車内はとんでもなく重い空気に包まれていた。
「……おい。久しぶりに会ってンだから何か言えや」
沈黙を破ったのは、勝己くんの明らかに不機嫌そうな声だった。
勝己くんは店にやって来たときから今の今まで、まともに目を合わせてくれない。今も、後部座席の反対側に座って、流れていく夜の街ばかりを睨み付けている。
「……ごめん。ちゃんと連絡しなくて」
「別に。忙しかったんだろ」
「うん、まあ……」
「たしかに今さっきだってバッカみてーに忙しそうだったもんなァ。俺のいねーとこでヤケ酒なんかしやがって。つーか、俺に会う時間はねーくせにセンセに会う時間はあったンかよ」
一瞬、「あれ? やさしいかも」と思ったのに、手のひらを返したように嫌味っぽくなる言い方に思わず息を呑む。
「私が悪かったけど、そんな言い方やめてよ。私もいろいろ――」
悩んでることがあったんだから、と言おうとして途中で言葉に詰まってしまった。あまりに自己中心的な考えに嫌気がさす。
さっきから一度も視線の合わなかった鈍い赤いひとみが、やっとこちらに向いたのを横目で感じる。
「『悩んでんだから優しくしろ』とか抜かすつもりかよ」
「いや……」
「するわけねーだろがボケ」
「うん。わかってるよ」
「は? 元はと言えばテメーが相談しねーからだろ」
またふいと窓の外に逃げてしまう視線。声も低くくぐもって、どことなく拗ねた少年のような頬。
もしかしたら勝己くんがいちばん怒っているのはそこだろうか。私が相談しなかったこと。いや、きっと適当な理由をつけて会うのを避けていたことにも、そのくせに相澤先生には相談していたことにも怒ってはいるだろうけれど。
一番弱みを見せてきたはずの人間の前で今更恰好なんかつけてどうするつもりなんだか。自分のバカさ加減にため息をつきたくなりながらも、でもやっぱり――勝己くんに見放されたくない。
シートの上に横たわっている分厚い手のひらに、そろりと右手で忍び寄る。人差し指と中指で彼の人差し指を握ったら、ぴくりと意味のない反発だけがあった。勝己くんは「……何」と窓の外を見たまんま掠れた返事を寄越す。まだ拗ねている。
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