iconSS供養

 「あっ、なあなあなあなあ!」――五限のあとのこと。廊下ですれ違いざまに、いきなり肩を叩かれた。黄味の強い金髪と派手な個性が目立つうえに、学科を問わず知り合いの多いその男の子のことは、普通科のだいたいの生徒が知っている。もちろん私のメッセージアプリにも、その「上鳴電気」の名前がある。
「ちょ〜っと聞きたいんだけどさぁ」
「お疲れ、なに?」
「俺らんクラスの爆豪って知ってる?」
「爆豪くん? ヒーロー科の?」
「そうそう! 髪明るくて、体育祭で超ヤバかったあの――」
 上鳴くんの言葉はそこで、背後から伸びて来た大きな手のひらに呼吸ごと遮られた。「死ねカス」、思わず肩がびくつくような怒声と一緒に、上鳴くんの背後から爆豪くんが現れる。瞬く間に、上鳴くんの体操着の胸ぐらは引っ掴まれて、情けなく伸びきってしまった。
「そうそう、コイツが爆豪……」
「それ以上喋んなクソが」
 ヒーロー科の爆豪くんと言ったら、誰もが体育祭を思い出すんじゃないだろうか。当たり障りのない言葉でいえば、それほど「印象深かった」。正直に言えば、まあまあ引いた。
 そんな過激なイメージを覆すことなく、乱暴にクラスメイトの動きを封じる彼と、抵抗する気はないと言わんばかりに両手を顔のそばで彷徨わせている上鳴くん、どちらを庇うかと言ったら、答えは明確だ。
「……大丈夫?」
 上鳴くんに視線をやって、躊躇いがちにそう尋ねる。上鳴くんの返事のかわりに、爆豪くんの鈍い赤のひとみが私をぎろりと睨んだ。
「ア?」
 地獄の底から不服が込み上げたような声にびっくりして、思わず腕の中の物理基礎の教科書をぎゅっと握る。ページの端が折れるけれど、そんなことを気にしている余裕はなかった。
 ヒーロー科の子たちが普通科の私たちより優れているのはわかっている。だからって、そんな目で見なくたっていいと思うのだ。そんな、腐ったゴミでも見るような目で。
 ――ああ、同じヒーロー科でも、瀬呂くんは私にだってこんな顔をしたことなかったのに。
 褒められたことじゃないと分かりつつも、唯一まともに話したことがある、ヒーロー科の他の男の子の名前を引き合いに出してしまう。瀬呂くんは、なんだか大人だった。誰も傷つけない言葉を瞬時に選び取ることが得意なかんじの人だった。私にも、そうなるべき時が来たのかもしれない。
「……爆豪くん、なんか、気に障ったらごめん」
 引き攣る頬肉のせいで不完全な笑みになってしまったけれど、強いてやわらかにそう言った。
「は? 別に」
「そう……じゃあよかった」
 思いのほか爆豪くんが気に留めている様子もなく、私から視線を逃がしてしまう。気に障ってないなら、あんなに睨まなくてもよかったじゃん。そう言い返すことができないのは、まだ爆豪くんの腹の底が見えなくて、怖いからだ。
「……つか、お前」
「え?」
「このアホ面になに言われた」
「特になんにも……爆豪くんのこと知ってるか、って」
「そんだけか」
「それだけだけど……」
 手汗が滲む。とくべつページが薄い物理基礎の教科書のことだから、そろそろ私の手の中でふやけて波打ってきている頃合いだろう。
 爆豪くんはフンと、何かを蹴散らすように鼻息を漏らして、やっと上鳴くんを解放する。じゃあいいとか悪いとか、私には何も言わないまま、爆豪くんは腰まで下げたジャージを引きずりそうになりながら歩き出した。
「……いや、やっぱよくねーわ」
 爆豪くんの低い独り言が聞こえたけれど、その瞬間に予鈴が鳴る。はっとしてローファーの向きを返す。
 結局、なにに巻き込まれたのかすらも分からなかった。恐怖ですこし早くなった鼓動を落ち着けるために俯いて、無駄に滲んだ汗を、ひらひらと手を振って乾かす。
 ふいに、宙にぶらつかせていた手のひらが、勢いを失わないままに、ぱしっと何かにぶつかった。
「あ、わり!」
 聞き覚えのある声に顔を上げる。前から小走りで近付いて来る足音には気が付いていたのに、避けるど余裕も、誰だか確認する余裕もなかった。
「あ、おまえか。わりー、今俺マジでよそ見してた! 俺らこのあと着替えてすぐ英Tだから焦っててさ」
「……瀬呂くん」
「うん。てか、なんか元気そーでよかったわ」
 それはたとえるなら五月の風が木々のあいだを吹き抜けていくような、湿り気ひとつない声だった。私には、それが嬉しくもあり、そして惜しくもある。
 「元気だよ」と呟いたあとに「瀬呂くんは?」と続けようとして、やめた。「そっか。よかった、んじゃまた!」と平べったい手のひらを申し訳程度に見せてから、名残惜しむようすもなく、瀬呂くんは私に背中を向けたからだ。
 バクゴー、ともうずいぶん先にいる背中に呼び掛ける瀬呂くんの声に、ぱたりと足が止まる。ゆっくりと気だるげに振り返った爆豪くんの赤いひとみと、また目が合ってしまった。
 友達登録もしていなかったはずの爆豪くんからメッセージが来たのは、その夜だった。挨拶のほか、特に用件もなさそうな簡潔なメッセージのあとに「いきなりで悪い」「瀬呂から聞いた」と添えられたのを見て、じくりと胸が軋む。深くもないはずのこんな傷、もうかさぶたくらいにはなったと思っていたのに。今朝、瀬呂くんとぶつかった拍子に剥がれてしまったのだろうか。
 ――せっかく瀬呂くんが、なるたけ私を傷付けない言葉で私を振ってくれたというのに。
 なにか気の利いた文章でも送ろうとしばらく考えたあとに、馬鹿らしくなって諦めた。投げやりに「よろしくね」とだけメッセージを返したら、五秒も経たないうちに既読がついた。

(つづけ)

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