「一応湯浴みはよしといて下さい。今新しい湯を持たせましたから」


大方の手当てが終わり、血や泥ですっかり汚れた手拭いと桶を廊下へと下げながら名は言った。

座敷に漂う軟膏の独特の匂いを嗅ぐ度、俺の頭にはこの女との回顧録がよぎる。前にそう言ったらあからさまに嫌な顔をされたが。
確かにそれは随分と色気のない話だ。


「また一つ、傷が増えてしまいましたねぇ」

「こんなもの、服を着てしまえばわからねぇ」


何でもないという風に言えば、女は困ったように笑いながら俺の顔に手を伸ばした。
遠い昔に付いた頬の傷をその指でゆっくりと撫でられると、俺は珍しく情けないような気持ちになる。
母親に過ぎたやんちゃを諌められるガキのような気持ちに。


「この、何に隠れることもない傷は、あなたの生き方を表してるようです」


この歳の男になればむやみに顔に触れられることなどはまずない。
だから俺はふとした瞬間に、平気でこの傷に触れてくる名が少し恐ろしくもあった。人の傷に触れるというのは得てして相応の痛みが付き添うものだからだ。

それをこの女はいとも簡単にやってのける。今の傷にも、昔の傷にもだ。


名は昔から世話になっている薬師であり、いつからか俺の女でもある。

大して歳も変わらないというのに、全てをわかっているような女だった。綺麗なことも汚いことも、優しいことも酷いことも。

俺が生きて帰ったこと、その分誰かを殺めたこと。そしてその殺戮に、俺は少なからず生きる意義を見出だしていること。同時にいつも恐怖と戦っているということも、名には見通されているように思った。
その上で俺の体を癒し心を癒してくれていると。

それが愛情故なのか、いつからか俺が仕事で呼びよせる度、こいつはえらく不安そうな顔で駆け付けるようになった。まぁ多少の傷じゃ舐めて治すのだから当然といえば当然なのだが。
昔から思うが、傷を診るにゃ優し過ぎるのだこの女は。

新しくなった桶の湯で丁寧に俺の体を拭き終えると、名はふぅと息をついた。
暖かな部屋で小さく息をする女がなんだか愛しく哀しくなって、その体に手を伸ばす。

呼吸に上下する胸の真ん中をゆっくりと撫でた。
こじゅろうさん、と緩やかに牽制する名の声を無視して、腰を抱きそっと畳に押し倒す。

着物のあわせの奥にある柔らかな温もりと、さらにその奥にある柔らかな心を確かめるように幾度か撫でた。


「お前の傷は、ここだろう」


俺を見上げる名の目が僅かに見開かれ、眉根が寄せられ、眉尻はすうと下がる。

唇を寄せ、そこを癒すように舌を這わせた。舐めて治りゃ世話ねぇ。それくらいは獣にだってできる。
しかし俺がこいつのためしてやれることなんて他に一つだって思い付かなかった。人間というのは本当に愚かで無力なものだ。

思わずぎゅうと抱きしめながら呟いた、すまねぇな、とゆう俺の曖昧な謝罪に名はふるふると首を振る。そして俺の頬をまた一度だけ撫で、そのまま首へと腕を回した。

涙を堪えるような名の顔を見て、俺の胸は鋭く斬り付けられたように痛む。

ああ確かに、人の傷に触れるのは随分としんどいようだ。今さらながらに思い知った。

強くならねばいけない。こいつにもう新しい傷跡など見せないくらいに。
体など、いくらでも鍛えられるのだ。脆く柔らかい心と違って。

俺は名をゆっくりと抱きながら、温かい返り血を浴びているような気になった。





見えない傷




そこから流れるものが、手遅れにならないうちに。


by seven.



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