「だって仕方ないじゃない。」


目の前の大木の枝に立ち、その太い幹に背を預けたままの格好で彼女はそう呟いた。
丈の短い忍び装束から零れる白い脚には傷ひとつない。
胸の前で組まれた腕と、眉間には機嫌の悪さを滲ませて。


「…おなごが、そのような顔をするものではない」


さわさわと風に葉がぶつかる音がする。
某より高い位置から見下ろす世界は、彼女の瞳にどう映っているのだろうか。

彼女は某を「真田様」と呼ぶ。
彼女はお館様を「武田様」と呼ぶ。
彼女は佐助を「長」と呼ぶ。

昔は違った。

彼女は某を「旦那」と呼んでいた。
彼女はお館様を「大将」と呼んでいた。
彼女は佐助を「佐助」と呼んでいた。

佐助の後をついて回って、なんでも佐助の真似事から始めていた。
それが気付いたときには彼女は一人前の忍の顔をして、自分なりに自分の位置づけをしたのだ。


そんな彼女に「以前のように、某に接してはもらえぬか」と情けなくも言った某に、彼女は一度驚いたように長い睫をぱちりと揺らして、「ご命令ならば」と目を伏せた。

尚も引き下がれずに「命令ではない、頼んでいるのだ。友人として」と答えた某に対して彼女が落とした返事が、冒頭に戻る。


「こんな顔にさせてるのは誰でしょうね。」


彼女は木の上から城下を見下ろす。
幼いころから共に歩んできた道のりを思う。
お館様の膝の上で団子を食べる小さなおなごが、今は一人前の忍として武田軍の為に尽力する。

淡い初恋と、いずれは一緒になる、と信じて疑わなかったあの時分。
それを思うだけで心が波立つ。


「おぬしは、何故忍に?」

「…さあ、何ででしょうね。」

「では、"命令"だ」

「公私混同は良くないでしょう。」


彼女の表情は変わらない。
それが酷く某を嫌な気持ちにさせる。

彼女の四肢を切り捨ててしまいたい。
動けぬ彼女を某の部屋へ閉じ込めてしまいたい。
彼女の瞳が某だけを映し、彼女の声が某の名だけを紡げばいい。

某は、こんなに乱暴な気持ちを抱いたことがなかった。
おおよそおなごに抱く感情とは思えない。

おなごとは守るべきものであると、誰かが言っていた。
当然某もそう考えていた。

しかし、今の某は彼女を守りたいという気持ちと背反して彼女を壊したいという気持ちを心に抱いている。


「おぬしは、何故某に触れぬ」


戦で不甲斐なく怪我を負った某を見つけるのが、たとえ彼女が先だとしても、彼女はすぐに他の人間を呼びつける。
某はいつも彼女以外の人間に付き添われて本陣へ戻る。

一度それを佐助に尋ねたことがあったが、佐助は曖昧な笑顔で「まあ、…あの子にもいろいろあるんでしょ」と言っただけだった。

佐助と彼女の間には某が知らぬことばかりだ。
同じ忍という生業にあるのだからそれは当然と言えば当然だが、某は彼女を誰よりも理解していたいと思う。
それが叶わぬとは思いたくなかったのだ。


「忍風情が、主に気安く触れるわけないでしょう。」


彼女は、忍だ。
佐助は彼女を「立派になったよ」と評した。


「忍風情等と言うな!」


木の上。
太陽を背に彼女は少しだけ淋しそうに笑った。


「…あたしなんかが触れたら、汚してしまうわ。」


その台詞の意味を知るのは、近くもない未来のことだった。






カムパネルラ





「10日以内に襲撃があります。戦のご用意を。」

「その情報は、確かなのか?」

「えぇ。…殿方と言うものは、床の中では口が軽くなりますから。」


姿勢を正す彼女の背後で、佐助が目を伏せた。

某は、一人前の忍がどういう類のものかを理解していなかった。
某は、一人前のくのいちがどういう類のものかを、本当の意味で理解してはいなかったのだ。


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LLS:by my Pod-six.






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