思えば私の想い人は、昔からつれない人だった。
親子ほど歳の離れたその人に、何を言おうと相手にされないそのやりとりすら愛おしく。ただただ縁側に二人で座り、たわいもない話をする時間は私の心を何よりほころばせた。
だから。
―そろそろお主にもよい話が必要じゃのう。
彼から直々に縁談を授かったその日、私は一晩中泣き明かしたものだ。そんなのいくらたりとて、つれないにもほどがある。
しかし事は進み、時はながれ、私は今再び、想い人と縁側で語らっている。
「あやつは、良い男であったな」
「ええ…」
「惜しいことをした」
「本当に」
亡き人によく似た目元の幼子を、膝の上であやしながら想い人は言う。嫁いだ男は本当に良い男だった。
しかし彼はこの子を残し、あっという間に逝ってしまった。戦ばかりのこの時代、珍しいことではない。子供がいるだけ救いと思わなければ。
父親の顔を知らない息子は、幸か不幸か私の想い人によく懐いていた。
「おとう、おとう」
息子が想い人をおとうと呼ぶ。それだけでいつも私は泣きそうになる。
「言っておろ、儂はお前のおとうじゃない」
そう困ったように否定する彼が、少し嬉しそうに見えるからかもしれない。
夫のことは好いていた。
ただこの人の存在が、私には大きすぎるのだ。自分でもどうしようもないほどに。
「おかあ、」
逞しい膝から、私に向かって手を伸ばした息子は小さな身体の体勢を崩し、板間にこてんと頭をぶつけた。
慌てて抱き起こす。少し難しい顔をして、すぐに笑顔に戻った息子にほっと息をつく。
「ほう、泣かぬか。これは父に似て雄々しく育とうぞ」
「…これだけ可愛がっているのだから、あなた様にも似ましょう」
縋るような気持ちで見上げれば、彼は少しのあいだ私を見つめ、ふっと切なそうに息を吐いた。
「馬鹿を申すな。儂に似るのは幸村だけで充分よ」
「そんなことを言わないで下さい。…たとえ偽りの親子でも、絆が出来たのならそれは本物でしょう」
たとえ端から見たら偽りの夫婦でも、愛が生まれたならそれは本物と。そんなことを言える日が来るだろうか。
「…そうじゃな」
本当に言いたいことなど何も言葉にできない二人の間で、おとう、と笑うその子があまりにも幸せそうだったから。私はまた泣きそうになってしまった。
「大人になるということは、大層不自由なことですね」
「子供は正直よな。嘘をつかない」
「ええ。羨ましい」
「ならばこ奴の示すことこそが、儂らの真実と思えばよい」
「……信玄さま。それは、」
「大人の良いところは、言葉にせずとも通じ合えるところかもしれぬな」
想い人の手が、そっと頬を撫でた。
ないものとあるもの
言えることと、言えないこと。
言わないこと。
by seven.