「あぁうんそうね、わかってたけど」


明らかに不機嫌そうに嘆息した彼女は、畑でのうのうと土に水をやる男を見つけるや否や、右手でこめかみを覆う素振りで瞼を落とした。


「…野菜持って行くか」

「いらない」


ただならぬ気配に至極どうでもいい、というか現状を打破する力が皆無の提案をした男に、即断で切り捨てた彼女。
男は無様にも小さく慌てながら、畑の畝を大股に乗り越えて彼女の元へと足を進める。
しかし彼女はこめかみを覆う右手をそのままに、開いた双眸で彼の身体を強く睨んだ。


「無駄にイイ身体しやがって」


次いで彼女の口から飛び出したのはおよそ妙齢の女が言うのふさわしくない台詞。
男は心中で「だからお前は嫁の貰い手がねぇんだ」等と毒を吐いたが、それはそれである。
今それを言ったら間違なく男は何らかの報復を受けるだろう。


「……で、それは」


男が指した「それ」に該当するのは彼女の左手にぶらさがる酒壺だ。
彼女の顔からして恐らく中はほとんど入っていないのだろうが、男が聞いたのはそんな上辺だけの事実ではない。


「はぁ?飲んだのよ、悪い?」


男はとうとう困った顔で、最後の畝を半ば飛び越えるようにして彼女の目前に立つ。
男が彼女の左手からその酒壺を奪えば、それはやはり空も同然だった。


「…悪くはねェけどなぁ」


どう形容して説き伏せればこの女に伝わるのだろう、そんな無意味なことを本気で思案する辺り、この男は真性の苦労人であり保護者的性であり、そして彼女を甘やかしていることがわかる。


「おいしいお酒をありがとう、もう二度と持って来るな」


つまり彼女が言いたいのはそれなのだ。この上等な酒壺を引っ提げて来たのは間違なくこの男であり、そしてそれを彼女に与えたのも間違なくこの男なのだった。


「…酒好きじゃねぇか」


それでも男は明らかに腑に落ちないという表情を曖昧に浮かべてその酒壺を肩に背負う。


「あーあー何も聞こえない。アンタなんか畑に埋もれてしまえ」


わかりやすく両耳を塞いで自棄にも聞こえる声量で男に背を向けた彼女は、ふらふらと城へ戻って行く。
この城は彼女の住居ではない。ただのねぐらだ。粋狂な当主が酒を餌に誘い入れただけのこと。
それを理解しているのか彼女はこの城を自ら「巣」と揶揄し、酷い時には「小屋」と揶揄する。
さすがに後者を揶揄された時には当主の面前であることもうっかり失念して彼女の頭を叩いたのだが、彼女は殆ど飼育されているようなものなので男はそれ以上深入りできなかった。
勿論、それ以外にも深入りできない理由はある。


「…なんだ、ただの嫉妬か」


男が息を吐くと同時、彼女から放たれたのは漆塗りの下駄だった。
仮にも当主から与えられたものを、男はそう判断したものの勢い良く自分に向かって飛んで来たその硬い物体を受け止める勇気もなく、軽やかに避けてみせた。


「あー頭痛い」


なら来なきゃよかっただろ、そんな悪態を奥歯で噛み潰して更に喉奥に押し込む。
ざりざりと砂利が悲鳴をあげる上を歩く片足が裸足の女。

いくら酒好きで酒浸りで、生活力が無くて一国の主に飼育されていて、日のほとんどを寝て過ごしているような女であっても、この男には何故だか唯一無比の女である。
それは「小十郎が惚れた女だ。城にStayさせても文句はねェだろ」と自信深げに言い放つ当主が裏付けている。

例えばこの酒壺が純粋な土産なら彼女の機嫌を損ねることはなかっただろう。
しかしこの酒壺は城下一を誇る番付の廓で上客に振る舞われた酒なのだ。


「………腐っても女だったか」


なんだかんだで吐いた台詞は存外に甘い響きを持ち、自然と吊り上がった口角。
男が顔をあげた瞬間顔面に大当たりしたもう一方の漆塗りの下駄に、男は鼻血を垂らしながら「この地獄耳…っ」とうずくまったのであった。






つまりのつまり





「もういい、出てくっつーか家帰る」

「待てテメェ一人になったら飢え死ぬぞ」

「うるさい、アンタなんか廓で酒に飲まれてろ」


つまり彼女が城にいるのは、
つまり男が甘いのは、

二人共が不本意ながらも何故かどうしようもなく愛し合ってるから、ということ…かもしれない。


「Hey!オメーら!メシの用意………大丈夫か、小十郎」

「小十郎のことはご心配なきよう、先に名に白湯と梅干しを……」


とりあえず、土を汚す鼻血と転がる漆塗りの下駄ですら何故か愛しいのだからこの男、大層重傷である。




by six.



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