夕日が目に鮮やかな夕刻。
キレイな橙色に染まった顔と、赤い顔。
口を開いたその男の人は、私の腕をぎゅっと掴んだままの体勢で叫んだ。
「すっすすす好いておるのだ!おぬしを!」
、ぱちり。
一拍置いて開いた瞼。目に映るのはいつもと同じ天井。
胸がバクバクと音をたてて今にも決壊してしまいそうだ。
「あぁ、なんだ、ゆめか」
顔があつい。
両手で自分の両の頬を包み込む。
その温度が寝起きのためかそれとも夢のせいかはわからない。
そうだ、夢だ。
でも、夢じゃないんだ。
そこまで考えるにいたって、私の体温はまた急上昇。
どうしよう、私今日ちゃんと仕事できるかな。
「…おはようございます」
「おは、…アンタ、どうしたんだい酷い顔してるよ」
いつもどおり着替えて、いつもどおりのお店に到着。
このお店を経営しているおばさんが私の顔を見るなり、すごく怪訝そうな顔をした。
…そんなに酷い顔してるのかな。
「…なんてね、わかってるよ。昨日の一件だろう?」
昨日の一件。
人から言われると益々現実味を帯びる。
昨日、昨日はいつもどおりお店を閉めるためにのれんを片付けようと店先に出た。
夕日のきれいな日だった。
店先に出た私は、目の前のお団子屋さんの店先でお団子をほお張る男の人を見付けた。
そういえばこのひと、毎日いるなぁ、なんてぼんやり思いながらのれんを抱えた私。
みちに背を向けた私の腕を掴む強い力に振り向いたら、さっきまでお団子を食べていた男の人が顔を真っ赤にして私を見つめていた。
腕を掴んでいる手がカタカタと震えていた。
そんなとこまで詳細に思い出したら、また顔があつくなってきた。
「おおおおおばさん!あ、あああのひとって」
動揺のあまりどもりすぎてしまった私に、おばさんは少しきょとんとした後、「あんたたち、そっくりだね」と豪快に笑った。
そうじゃなくて、私が聞きたいのは!
「あの方はね、真田様だよ」
「さ、さなださま…?!」
真田さまと言えば武田さまの、ええと、とにかく立派な方で、ええと、ええと!
「ほら、噂をすれば」
おばさんが本当に楽しそうに私の肩に手を置く。
う、噂をすれば…?
その言葉が指す意味と言えばたぶんひとつしかない。
…ということは。
「…赤くなったり青くなったり、忙しい子だね、アンタは」
「だ、だって、あぁもう私、どうしよう!」
「はいはい、わかったからアンタはさっさと奥に入んなさい」
おばさんの手のひらは大きくてあたたかい。
…そういえばあの人の手も大きくて、あったかい、というよりは熱かった。
…あぁぁ!そんなことじゃなくて、私は、私はどうすれば…!
とりあえずおばさんの言うとおりにすごすごとお店の奥に入る。
間もなく、店先であの人の声が聞こえた。
「…今、名殿が、」
「申し訳ないね、今あの子には仕事言いつけちまったんだ」
「そ、そうでござったか、そ、そ、それではしばし待たせていただいても良いだろうか」
「待つって言ったって、どこでだい?」
「こっここで!」
このお店はかわいらいい小間物をたくさん置いている。
たくさんの棚と、まだ空けられていない戸のせいで暗い店の中。
隠れるにはもってこいだ。
でも、お店の前で待つってことは、その、私いつまでも隠れていられないんじゃないかな…!
「…どうやら逃げ場はないらしいよ」
「……言われなくてもわかります…!ど、どうしよう、」
「アンタ、あの方が嫌いかい?」
「き、きらいではないですけど。とにかくもう、びっくりして、それどころじゃないんです」
「…だってさ、良かったじゃないか、真田様」
……さなだ、さま?
棚の影でうずくまっていた体勢のまま顔を上げて声のした方を振り向く。
そこにはおばさんともう一人、いて欲しくない人が、いた。
「お、驚かせてしまったようで、か、かたじけない!」
「ご、ごめんなさいぃぃ!ちかいです!はなれてくださいいいいいい」
ずいっと近づいてきたその整った赤い顔は、はっきり言って私には刺激が強すぎる。
そしてこの人が私をす、す、好きだと言う。
…うわああああああ!
「な、何故泣かれるのでござるか?!某に至らないところが…!」
「はいはい、真田様はちょいとお店から出て行っとくれ」
この一連の流れを静観していたらしいおばさんから入った助け舟。
おばさんの困ったような笑い顔が涙で滲む。
その隣で泣きそうな顔をしている真田さま。
整ったお顔に、引き締まったか、身体、と、首で音を立てる六文銭。
広いせなかに、太い首、そこから続く腕と、大きな手のひら。
この人が、わたしを、す、好きだと、
「うわああああああ!」
「だ、大丈夫かいアンタ、顔酷いことになってるよ」
「だいじょうぶじゃないですぅ…」小さな声で呟くように抗議したら、おばさんは「ほらね、この子男に免疫がないんだ。今日のところは帰ってもらえないかい」と口にした。
「…相わかった」小さく、ちいさく呟かれた低い声。声の主を隠れ見てみれば、その顔はさっきまで真っ赤だったのに、すごく悲しそうな顔をしていた。
ずきずきと胸が痛む。
あれ、私が、こんな顔をさせてしまったんだろうか…。
私がうずくまる場所からゆっくり離れていく足音が聞こえる。
「ううう」
「ほら、泣かないで」
おばさんの手が私の頭を撫でる。
ゆっくり顔を上げたら、視界の端にうなだれる赤い背中を見つけた。
どうしよう、どうしよう。
わたし、あの人を傷つけたんだ。
「お、おばさん」
「なんだい?」
「あのひと、が、私を、す、好きって」
「あぁ…」
おばさんは少し思い出すみたいに口許を綻ばせて、そして教えてくれた。
あの人がずっとお向かいさんのお団子屋さんの店先で私を見ていたこと。
戦の帰りにわざわざお城へは遠回りになるこの道を選んで、馬の上から私を探していたこと。
私がお店にいない時には体調でも崩したのかと心配してくれていたこと。
「真田様は、アンタを見てたんだよ」
ゆっくりと道に出る。
道の先にはもう既に小さくなった赤い背中が立派な馬に揺られている。
「どうしよう、おばさん、わたしあの人を傷つけた」
「ほらほら、そんな顔しないの」
「だって、」
お店をあける時間が近づいてくる。
こんな早い時間、まだお団子屋さんも開いていないのにわざわざ早朝を選んでここにきてくれたのは、
わたしのため?
「いいじゃないか。アンタだっていい人がいてもいいだろう?」
「だ、だって、恋っていうのはこう、どきどきの片思いで、それで相手に想いを告げて、それで、返事をもらって、」
「だから、アンタがその相手なんだよ」
おばさんの呆れたような声。
そ、そうか、…私が相手なのか。
ということはやっぱり真田さまが好きなのは私、で、そして私は、
「へ、返事を、待たれている…?」
「……まあ、そうだろうねぇ」
だめだ。頭が爆発しそう。
おばさんは私のそんな様子を相変わらず呆れた表情で見下ろして、
「…とりあえず、店開ける準備しとくれ」
と言い放った。
あまねく愛をたどる朝!
「ようお嬢ちゃん、昨日は大変だったみてぇじゃねーか」
「あの奥手の真田様がねぇ、びっくりしたわぁ」
「今度手でも繋いでやんな、お嬢さん!」
道行く人々が私を見つけるたびに声を掛けて通り過ぎていく。
手、手だなんて、手を繋ぐ、だなんて…!
「は、は、破廉恥ぃぃぃぃ!!!」
「………やっぱりよく似てるよ、アンタたち」
by six.