丑の刻。焼けるような喉の渇きと共に目が覚めた。
目を開ける寸前まで瞼の裏に映っていた恐ろしい夢が、耳やら手足やらに纏わりついている気がして布団から出る。
心臓はまだせわしなく胸の内を叩いているというのに、夢の中身はすでに思い出せなかった。

はぁ、と息をつき水差しの水で喉を潤す。こんな物を枕元に置くようになったのも、夜中にこうして目を覚ますことが稀ではないからだ。
俺の頭の中には鬼でも住み着いているに違いない。

城の夜は物音一つしない。
悪夢から引きずり出され、こんな暗闇に一人ほうり込まれ、何が怖いのかもわからない恐怖に延々と怯えなければならない。
そんな夜をもう何度すごしただろう。
まだ夢の中の方がマシだったと思うほどに、現実の闇は濃い。
今日は月さえ出ていない。

布団に戻る気にはとてもなれず、俺は部屋を出て中庭の井戸へと向かった。

するとおかしなことに、暗い庭に一つ灯が見える。こんな時間に活動してるのは泥棒か間者か妖怪くらいのものだろう。しかし前者二つは灯など燈すだろうか。

首を捻りながら気配を殺し近付くと、それはそのどれでもなく、此処に仕えている侍女の一人だった。
名前は知らないが顔は見たことがある。

そのまま近寄り、縁側から庭へと降りる。ざりっと砂の擦れる音に女が振り向く。そして案の定息を吸い込んだから、叫ぶ前に後ろから口を覆った。


「Be quiet. 大声出すな」

「そ、そのお声は、政宗様…?」


悲鳴でも上げられたら血気盛んな伊達の男どもが我先にと飛んできて面倒なことになる。

女は何がなんだかわからないといった様子だったが、俺がどこぞの侵入者や忍ではないと解り安心したのか、体の力を抜いた。

お互い夜着のままいつまでも引っ付いてるのも悪いと思い体を離す。


「こ、こんな時間に何をしておいでですか?」

「あんたこそ、…ってまぁ、場所からして口でも潤しに来たんだろうが、」

「ええ、なんだか、嫌な目覚め方をしてしまって。寝付けなくて」


俺もだ、と言いそうになって口を押さえる。一国の城主が夢にうなされて寝付けないなんて、ガキならまだしも俺は今年で十九だ。口が裂けても言えねぇ。


「そうか。でも気をつけろよ、こんな時間に動いてたら、敵じゃなくまず味方にやられるぜ」

「も、申し訳ありません。どうしても、部屋にじっとしていられなくて…」


その気持ちは解るが。寝付けぬ夜にじっと朝を待つ時間は、気がおかしくなる程長い。


「うなされる……理由に、心当たりはあるのか?」

「理由、ですか…?」

「いや、悪い。立ち入った事聞いたな」


自問のように呟いてしまった言葉を、慌てて取り消す。


「覚えてないんです。どんな夢だか」


女は困ったようにそう言ったあと、なんとなく気まずい空気を破るように話題を変えた。


「そういえば政宗様、もしかしてここまで、明かりの一つも無しに来られたんですか…?」

「俺は夜目が効くからな」

「さすがですね。私なんて紙縒り片手にも関わらず、あちこちぶつけてしまいましたよ」


照れ笑いを浮かべながら腕を捲りかすり傷を撫でるその光景に、俺はなぜか息を呑んだ。じわりと汗が浮かぶ。

闇の中に浮かぶ白い女の腕は、俺の中の何かを揺さぶった。
それはそう、さっきまで見ていた、夢の……


「……ハァっ、」


突然息が苦しくなって体がゆらりとよろめいた。


「政宗様…?」


つい先ほど見た夢の記憶、引いては遥か昔の記憶までが一気に蘇り俺を襲う。
自分の首に伸びる白い腕、闇のように暗く冷たい、女の目。焼けるような喉の痛みと死の恐怖。

何回と夢で見た光景が、まざまざと意識下に広がり息が出来ない。

膝を付いて苦しむ俺に、女の手が伸びる。恐怖に体がすくむ。

やめろ。


恐ろしくてしょうがないそれは、しかし、俺の首を掴むでもなく頬を叩くでもなく優しく背中に回された。
汗で冷たくなった体が女の体温に暖められ心地良い。

荒くなっていた呼吸が少しずつ落ち着いてゆく。


「大丈夫」


女の優しい声が胸に染みる。
女特有の匂いや柔らかさに、惹かれるより恐怖の方が勝り、今まで誰も側に置けなかった。
女なんて必要な時に必要なだけ切り売りして貰えればそれで良いと思っていたが、俺は本当はずっと、誰かに慈しんで貰いたかったのかもしれない。

重く閉じていた雲が隙間を作り、夜の闇に月明かりが差し込んだ。

それを合図にするように、女はハッと手を離し俺から飛びのいた。


「す、すみません!差し出がましいことを…」

「………」

「あの、政宗様、どこかお悪いのでしょうか…?」

「いや…。もう、大丈夫だ」

「本当ですか…?」

「ああ。それより、あんたの名前を教えてくれねえか」

「…名、です」

「名」


確かめるように呟く。
名は雲間から降る月の光に包まれて、この世のものと思えない美しさを纏っていた。

あまりに俺がじっと見つめるからか、泣き笑いのような顔で目を細めると、名は小さく言った。


「あの…政宗様、私そろそろ部屋へ戻りますね」

「…ああ。送る」

「ふふ。大丈夫です。もう月も出ているし」


転んだりしません。
そう言い残し踵を返した、背に一言告げる。


「名、またな」

「はい。また、」



いつもはうなされ目を覚ました夜はそれっきり寝付けなくなってしまうが、その晩部屋へ戻ると、俺は糸が切れたように安心して眠ってしまった。

翌日。
名の顔がもう一度見たくなって、侍女達の母屋に遣いを走らせたが。

そいつはおかしな事を告げに戻ってきた。

そのような名前の者は侍女の中には居ないと、言われたそうだ。
そんな訳ないと城中を探し回ったが、とうとうあの日庭で見た女は見つからなかった。


名は、本当に妖怪だったのかもしれない。

しかしその顔に何故見覚えがあったのか。
俺はついに解らなかった。






夢の中から


いつもあなたを見ています。
覚めたら忘れるような儚い存在だとしても、ずっとあなたを暖めていきたい。

(あなたの中には、敵も味方もいる)




by seven.




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