無理して買った高さのある華奢なヒールが、コンクリートにぶつかる度マンションに大きく反響する。
さむい、
冬の空気に負けてしまいたくなる。コートの襟を立てて何とか寒さを意識から追いやる。
コートのポケットに入れたままの携帯は微動だにしない。
そういえばサイレントにしてたっけ、
でも、携帯を取り出してメールも着信履歴もなかったら、と寒さでぼんやりする頭で思って、一度ポケットに突っ込んだ手をまた出して、口許に当てて息を吹きかけてみた。
初めてのケンカ、どうしたら許せたんだろう、
例えば後ろから今追いかけてきてくれたら、そしてらあたしから謝れるかもしれないのに。
『何度も言ってんだろう、それでも俺は政宗様が大事なんだ』
『逃げないでよ、あたしを見てよ、どうして二人でいる時もマサムネサマが大事なの』
久々にやっと会えた恋人の、最後見た苦々しい顔を思い出して、それを振り切るように強く踵をコンクリートに打ち付けたら、耳をつんざくような音が響いて消えた。
近所メーワク、かも、
ボリュームを上げた音楽に身を任してしまいたいのに、悲しいかなあたしのプレーヤーはバッグと一緒に彼の部屋。
あたしバッグの中に何入れてたっけ、
一緒に選んだプレーヤー、彼が買ってきてくれたお財布、一人で選んだ手帳。
どうしてもそれしか思いつかなくてまた悲しくなった。あのバッグの中身はそのままあたしたちの関係みたいだ。最初は二人で始まったのに、いつの間にか、ひとり。
いっそ笑える、
『名、名、それでも俺は、』
『もういい、聞きたくない、いつだってあたしの気持ちは置き去りなんだ』
彼がマサムネサマを大切に思っていることはわかってる。大切で大切で、だから二人でいるときに2コールでマサムネサマからの電話に出る彼も、久々にやっと取り付けたデートの約束を当日になってキャンセルされたことも、全部許してきた。
『政宗様が、俺にとって一番なんだ』
『それは、365日内24時間の内、一日も一時間もあたしにはくれないことの説明なの』
優しい人だと解ってたからあたしも優しくしたいと思ってた。二人きりの時間だけでも、二人きりで大切にしたいと思ってたのは、あたしだけ。
大人の彼に釣り合いたくて買ったスカート、ヒール、ピアス、コート、全部一人で選んだの。
『今までは大丈夫だったじゃねぇか、どうして突然否定するんだ』
『大丈夫じゃない、大丈夫じゃないんだよ、小十郎さんはいつも、あたしの何を見てたの』
携帯が入ったままのポケット。反対側のポケットから家の鍵を取り出す。
彼がくれたキーリングが街灯に反射する。捨ててしまいたい、でも大切に仕舞っておきたい。彼がマサムネサマを大切にするように大切にできたらいいのに。
無理かな、
ドアに鍵を差し込んで回せば、カチャンと軽い音、そしていつも通りの手応えと共に鍵が開く。
ドアノブを回して引く。寒さが刺すように痛い外気に、室内の生ぬるい空気が頬を掠める。
玄関に放り出すようなかたちでヒールを脱いでドアを閉めたらそこは世界で一番あたしを甘やかす空間。
携帯ごとコートを脱いで放り投げる。
携帯、怖くて見れない、
「別れよう」のメールも「終わりだ」の留守電もメールがこないことも電話がこないことも何もかもが怖い。
あたしより大切なマサムネサマ。
その不等号が反対になることはきっとこれからもないんだろう。
床にずるずるとへたりこむ。足に力が入らない。
「………不用心、じゃねぇか」
背後から降ってきた聞こえるはずの無い声に思わず振り向いたら、そこには肩で息をする小十郎さんがいた。
「………なんで」
「追って、きた」
「……なんで」
「、ずっと、我慢、させちまった、から」
彼の手には携帯が握り締められている。コートのボタンはあいたまま。荒い呼吸に、眉間の皺、細められた目。
「なに、わざわざ別れ話でもしにきたの」
「聞いて、くれ」
「何を今更話すことがあるの」
「頼むから、」
がしゃん、
落ちたのは彼の携帯。あ、と思った瞬間、あたしは彼に抱き締められていた。
「…なんで、来たの…」
「勝手なのは、わかってんだ。でも、お前を失いたくねぇ…」
「そうやって、あたしを縛るの」
彼のコートから漂う冬の空気に耳が痛くなる。彼の両肩を押し返すけれど、勿論男の力に敵うはずもなくて、結果的に彼があたしを抱き締める力がより強くなっただけ。
「何を言われても、かまわねぇ」
「さわらないで」
「悪ぃ、悪かった」
「はなして…」
「もう少し、このままで」
少し震える彼の腕。熱くなってきた頭の中で、そういえば鍵閉め忘れてた、なんてどうでもいいことを思う。
「…今日は、二ヶ月ぶりだったの」
「あぁ…」
「楽しみにしてたの、ほんとに、楽しみにしてたんだよ」
「…あぁ」
「でも小十郎さんはマサムネサマからのメールで立ち上がった、コートを着て、あたしに背中を向けたの」
「悪かった、悪かった…」
あたしはマサムネサマに一生勝てない。それはわかってる。でもそれなら、あたしはあたしで愛してるんだって大切なんだって、行動で示してよ。
「…どうして、追ってきたのよ…」
「名を、愛してっからだ…」
ドラマよりドラマチック
「あたしにっ…どうしろって言うの…!」
「悪ぃ、頼むから、抱き締め返してくれねぇか」
「、あたしの、バッグ、」
「取りに来てくんねぇか、…俺の部屋に、後で」
ずっと欲しかった温度が存在が今目の前であたしを肯定してあたしを求めている。
許しても、いいの、
脱ぎ捨てたコートのポケットから零れ出ていた携帯は、42件の着信をあたしに告げていた。
「…あたしは、愛されてるっておもって、いいのかなぁ…!」
「当たり前ぇだ、」
by six.