風が雨雲を呼んだのか、朝からごうごうと音を立てていた城の外は、今では強い雨に包まれている。


「雷、鳴らないかしら」

「名殿は雷が好きでござるか?」

「えぇ、自分に落ちない限りは」


悪戯な笑みを浮かべてこちらに向き直る彼女は、美しく整えられた絵巻物の登場人物のようだ。
そんなことを頭の隅で思い、また心で頭を振った。
なんということだ、某らしくもないことを。


「某は、好きではない」

「綺麗なのに」

「綺麗なのはそなたの方であろう」


思わず口をついて飛び出してしまった言葉に、彼女は切れ長の瞳を一瞬驚いたように見開いて、そして優しく細めた。


「どこで教えてもらったの?そんな台詞」

「…どこでも学んでおらぬ」

「自然に身に付いたにしては、表情が変わらないのね」


柔らかそうな口許が優しく弧を描く。俺は最近とみにおかしいのだ。
彼女を前にすると、どんなに破廉恥な言葉を口にしたとて、さほど気にならない。
唯一気になることといえば、自分が変わっていくことへの言い様のない不安であろうか。


「そなたと居ると、自分が何を言っているのかわからなくなるのだ」

「迷路みたいね」

「…では、某が迷ったときにはそなたに助けてもらわねば」

「私でよければ、」

「そなたが良いのだ」


まただ。
もしかしたら今彼女と話しているのは俺ではないのかもしれない。
だが、もしも彼女が俺以外の男と二人でこんな話をしていたら、そこまで思えば胸の奥に何かが引っかかるような気がした。
今彼女と居るのは、この俺だ。俺だけなのだ。


「奥州筆頭の影響かしら」


少しだけ困ったように笑う彼女の瞳を真正面から捉えるには、俺には少し勇気が足りない。
射抜かれてしまいそうだ、と思うと同時に射抜かれてしまいたい、とすら思う。
そんな自分が腹立たしい。

某は、お館様のためにこそ、この場所にいるのだ。

しかし彼女の口から紡がれたそれは、名前ではなかったのにどうしようもなく嫌な気持ちになった。
胃の腑から何か得体の知れないものが這い上がってくるような不快感。


「名殿は、伊達殿に興味が?」

「奥州筆頭に興味があるのはあなたでしょう?」


かわされた、そう思うのと彼女の身体を畳に押し付けるのは、ほぼ同時だった。
衝動としか言えない、感情のみで動いた身体。
普段ならこんな軽はずみな行動を制する佐助は、今この場所にいない。
そして、いないことに安堵する。


「幸村、」


俺の頬に伸ばされた長い指。
つぅとなぞるその指先に噛み付いて、彼女の首筋に唇を埋めてしまいたい。
柔らかな肢体をなぞり、たどって、この手で彼女の身体を奪ってしまいたい。

身体中の血液が沸騰するようだ。


「俺は、」

「…初めてだわ。幸村が「俺」と私に言うのは」


それでも、彼女はひたすらに嬉しそうに、幸せそうに微笑む。
彼女の瞳に俺はどう映っているのだろう。


「そんな顔をしないで」


眩しそうに伏せられた瞼に映るのは、雷。
外から聞こえるのは雨音と、遠くの雷鳴。
この城の中にはお館様もおられる、佐助も。

それなのに、俺は何をしておるのだ。
それなのに、某は何をしておるのだ。


「…済まぬ」


彼女の細い手首を畳に縫い付けていた両手を離せば、彼女はうすく開けた目で、ゆっくりと目線だけで某を追う。


「幸村は、身体の成長に心の成長が追いついていないのね」


優しい眼差しを向ける彼女。

某はいつか彼女を壊してしまいそうで、ただひたすらに恐怖しているだけなのだ。





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「名殿は、某を子供だと笑われるか?」

「いいえ、それが幸村だもの」


両の手に残る彼女の手首のかたちは、当分忘れられそうにない。





by six.



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