陸
「朝議の刻限だが、政宗様はいかがなされた?」
「片倉様ァ!」
既に朝日の昇った奥州―――米沢城の廊下で、小十郎は兵に声をかけた。 兵は小十郎の前に来ると、それが、と困惑気味に言葉を紡ぐ。
「一昨日からずっと部屋に引きこもってらして…」
「まさか、まだ腹の傷が…?」
「いや、医者はもう塞がったって驚いてやした。だのに人払いしてこもりっきりで丸二日スよ」
困惑と不安の混ざった声色に、小十郎は政宗の自室のほうへ視線を向けた。 勿論、人払いしている以上、入ることはおろか、不用意に近付くこともしない。
「…片倉様ァ、このまんまでいいんスかね?あれから一向に軍議の召集もねえんですけど……」
―――何事か考えておられるな… 兵の言を余所に、小十郎は顎に手を当てて考える。 そして、直ぐに踵を返した。
「じゃあ朝議はナシだな。てめぇらも持ち場に戻んな」
「エッ、片倉様、どこへ……」
「畑だ」
「畑ェ?!」
こんな時に?!と、驚愕する兵をおいて、小十郎は外へ向かった。 腑に落ちないまま、その兵も持ち場へと帰っていく。
その頃―――政宗の自室では、碁石と日ノ本の地図を前にした政宗が、散乱した書物に囲まれて座っていた。 地図上の奥州に白石。大坂に黒石。 床と音を立てて、ぱちん、と弾くような音が響く。
「明智が討たれ、織田の残党狩りが終われば、本格的な進軍がはじまる…か」
『そうね。火種の勢いはきっとこちらをも飲み込むわ……向かい火なり何なりしないと、灰に還ってしまうわよ?』
くすくす、と軽く笑う司に一瞬だけ視線を向けて、直ぐに地図に戻す。 司は楽しそうに笑いながら、政宗を見据えた。
『目下最大勢力である上杉・武田両軍は川中島で今だ雌雄のつかぬままの戦を繰り返してる。元々が半織田勢力の四国・長曾我部と中国・毛利も勢いこそあれ、まだ京には遠い……うふふ、ねえ政宗、貴方はどう向かい火をするの?』
「Shut up. 火を殺すために火をつけるなんざ、Nonsenseだ」
頬杖をついて、政宗は司の言葉を一蹴した。 大坂から山崎へと、地図上で指を滑らせる。
「京へ上った豊臣がその隙に自勢力を拡大するとなれば狙いは―――…そうか、稲葉山城に拠点をおく……」
ぽつりぽつりと独り言を零す政宗の姿を、司は笑って見据えていた。 恐らくは同じ考えなのだろう、ぺろり、と舌舐めずりをする。 その表情は、まるで大好物を前にした様な、嬉しそうな、恍惚とした表情で。
『なら、次に豊臣が狙うのは何処か、わかっているのでしょう?』
笑いを含んだ声色で言う司に、政宗は手で遊んでいた黒石を握り締める。 それから、ひとつ、それを取って―――地図上に鋭く、打った。
「浅井だ」
*
それから暫くして、道場。 袴姿に刀を一本だけ持った政宗は、ひとつ、深呼吸をした。 立てられた藁束を前に、足を踏み出して、刀を抜く。 鞘と刀が火花を散らしたことを気にもせず、流れるように刀を振るった。
最後と言わんばかりに、一文字を画いた後、ばらり、と斬られた藁束が床に転がる。 切断面と、それから刀は、微かに属性の火花を散らしていた。 目の高さに構えられた玉の散るような氷の刃と、それに劣らぬ鋭い政宗の眼が見据える。
「悪くねえ!これなら…」
『あの"紅蓮"に痛みを返せるわね、政宗』
笑う司には、反応しない。 政宗は先程からがたがたと揺れている、道場の入口へ意識を向けた。
「おい、てめぇら」
「へ…ヘイッ」
驚いたように返事をする部下を見据える。 襷掛けを外しながら、政宗は口を開いた。
「軍議だ。召集かけろ!」
「筆頭ォォ!!てことはついに!!」
「待ってましたァ!っしゃあ、いくぜ野郎ども!!」
バタバタと走り去る部下を見送り、政宗も外へ足を向けた。 司は一言、またね、と声をかけて、返事も聞かずに姿を消す。 政宗はそれを横目で見つつ、だが、気にした様子も無く、歩きはじめた。
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