伍
――――――奥州 米沢城
その部屋の中で、政宗はゆっくりと身体を起こした。 巻かれた包帯。その下の傷が鈍く痛む。 政宗が小さく舌打ちをすると、被さるように、小さな笑い声が聞こえた。
『おはよう政宗。随分とお寝坊さんね?退屈だったのよ、私は』
「……俺の知った事じゃねえ。目覚め一番が司の顔なんざ、傷が悪化する」
『あら酷い。貴方は可愛い義弟なのに』
「Shut up」
鋭い隻眼で睨まれても、司はくすくすと笑うだけ。 それを見た政宗は、視線をずらして、またひとつ、舌打ちをした。 ゆっくりと窓へ近づいて、そのまま、桟に腰を落ち着ける。
「政宗様、小十郎にございます」
「入れ」
先程から感じていた気配―――それが発した言葉に、短く返す。 膝をつく小十郎は何時もの表情で、しっかりと政宗を見据えた。
「傷の具合は如何ですか」
「具合?!ハッ、最悪だぜ、クソッ」
苛立ちを隠すこともせず、政宗は悪態をつく。 頬杖をついたまま、小十郎の方もロクに見ず、言葉を更に連ねた。
「てめぇばかりか他の奴にまで無様なところを見せちまったな。あの赤いの!真田幸村!!次会ったら…」
「失礼、」
幸村への感情の吐露は、小十郎の静かな声と、銃声をも思わせる軽い音でぶつ切れた。 二人のやりとりを遠巻きに眺める司も、笑みをより一層深くする。
「…………」
「御無礼の段、あとからいかような罰でもお受けします。ですが!これだけはお聞き下さい」
目を見開いて固まる政宗に構わず、小十郎は平伏した。 だが、言の葉は―――敬い、貴ぶ故の、命懸けの進言。 頭を垂れたまま、彼は続ける。
「先日の出向で同行した者のうち八名が負傷、内二名はいまだ歩くこともままなりませぬ。これが決して、名誉の負傷などではありません。殿の御遊行に同行したがためによるもの。このような不名誉、二度とあってはなりませぬ」
政宗に反応はない。 ただ、小十郎に叩かれた頬を触り、聞いているかも解らぬ様に呆然としていた。
「一国の主であるということは、その国その民みの命、誇りまでも背負うということ。"それ"が政宗様のお命です……どうかそのお命、大切になさいませ」
「小十郎……」
再び平伏する小十郎を、政宗は見開いた眼で見据える。 小十郎は着ている陣羽織と着物をを大きく広げると、己の刀を抜いて、切っ先を腹に向けた。
「しかし君主に手をあげるなど、許されるとは思っておりません。度重なる非礼の段、この片倉小十郎、一命をもって……」
「小十郎!!」
政宗の行動は、素早かった。 左手で胸倉を掴むと、渾身の力で、その左手頬を殴った。 小十郎が取り落とした刀を、足蹴にして放る。
「……チッ、今ので傷が開いたぜ…テメェの言い分はよくわかった」
鼻からの出血を手で押さえる小十郎から離れて、政宗は己の腹の傷へと手を運ぶ。 それからまた窓の桟へ腰を落ち着けて、罰が悪そうに後頭部を掻いた。
「Ah…俺が間違ってたよ、軽率だった。俺の右目が曇ったときはお前がちゃんと止めてくれ」
その言葉に、小十郎は何も返さない。 ただ、眉間にシワを寄せて瞼を下ろし、じっと唇を噛んでいた。 政宗の眼が、小十郎を捉える。
「お前は俺の右目だ。どんなことがあろうと勝手に死ぬことは許さねえ。いいな」
「はっ…」
平伏する小十郎から視線を逸らして、政宗は外を眺める。 何処までも広がる空。一時的な、平和の世界。
「……小十郎、」
「はっ」
「俺は天下を獲る」
外を眺めたまま、政宗がそう、ハッキリと口にした。 その眼は強く気高い、そして何より、鋭い中に平和への願いが込められている。
「信長が討たれたのち、勢力争いは此処からどんどん苛烈になるだろう。豊臣、武田、上杉、西国の毛利、長曾我部……」
窓の外で、数羽の鳥が囀りながら飛び回り、戯れる。 政宗に背を向けられても尚、小十郎は平伏し言の葉を聞いていた。
「真田幸村だけじゃねえ、俺の前を塞ぐ奴はごまんと出て来るだろうよ。まだまだ退屈するには早ぇようだ」
「あっ、筆頭!」
「お怪我大丈夫なんスか」
「筆頭ー」
政宗が少し下に視線を向けると、自軍の兵達が下から己を見上げていた。 怪我をしているにも関わらず、己を慕い、案じていてくれる。 政宗の眼が、子を見る親のように慈悲深く揺れる。揺れる。
「―――安心しな、もうあんな馬鹿はしねえ。お前らは俺が護ってやる」
恐らくその言葉は、兵に届いていない。 だが、背後の小十郎にはしっかりと届いていた。 軍主として、国主として、当主としての言葉。 政宗は更に、言葉を重ねる。
「だからお前は、俺の背中を護れ」
「…ははっ!!」
小十郎の返事のその後、少しして―――ぱち、ぱち、とゆっくりとした拍手が聞こえた。 双竜の視線がそちらを向く。 静かに笑みを浮かべた司が、その半分透けた手を打ち鳴らしていた。
『とんだ戯れね。うふふ……乱世では綺麗事も偽善も偽悪も、何も通用しないのに』
「…………」
政宗の表情が、歪む。 表情こそ変わらないが、小十郎の眼も、鋭さを増していた。 それでも司は機嫌よさ気に笑う。嗤う。哂う。
『でもそれこそが乱世。満たされていても充たされはしないものよ?充虚は無くならないの』
まるで歌のように、高らかに。 くすくす、と人形のような可愛らしい表情が、その"異質"を、歪みを助長させていた。 風もないのに揺れる髪は、何故か。
『愛情も感情も悪意も敵意も、力さえも、与え、与えられなければ苦しいモノ。今は乱世として満たされていても、泰平の愛に飢える。泰平になれば、乱世の悪意や敵意に飢えるのよ。そうやって堂々巡りするの』
「…………」
『優しい政宗。向けられた敵意と悪意には、それと同じだけのモノを向けましょう?貴方の感じた"痛み"を与え、返してくれる"紅蓮"がいるのだから』
「Shut up!! アンタにゃ関係ねえ!!」
噛み付くように放たれた言葉。 同時に殺気も飛ばされたが、司はにんまりと、悪戯に成功した子供のような表情を浮かべた。
『ほら、私の望む"痛み"を返してくれる。貴方は無意識に理解をしているのよ?愛しく憐れな私の政宗。貴方は本当に可愛いわ』
「…………!」
「……司様。程々にしてくだされ」
目を見開き、傷がなく刀があれば今にも斬りかかりそうな主を見て、小十郎が口を挟んだ。 しかめっつらをする小十郎を見据えて、司は微笑む。 可愛らしく、己の唇に人差し指を当てた、まるで秘密だと云うように。
『…ふふ、これからが楽しみね?向けられる悪意も、向けるべき敵意も』
「…………」
政宗は射殺さんばかりに睨むだけで、返事はない。 司は楽しそうに笑って―――その躯は、空気に溶けた。 外で戯れる鳥の囀りに混じって、小さな舌打ちが一つ、反響する。
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