――――――奥州 米沢城

その部屋の中で、政宗はゆっくりと身体を起こした。
巻かれた包帯。その下の傷が鈍く痛む。
政宗が小さく舌打ちをすると、被さるように、小さな笑い声が聞こえた。


『おはよう政宗。随分とお寝坊さんね?退屈だったのよ、私は』

「……俺の知った事じゃねえ。目覚め一番が司の顔なんざ、傷が悪化する」

『あら酷い。貴方は可愛い義弟なのに』

「Shut up」


鋭い隻眼で睨まれても、司はくすくすと笑うだけ。
それを見た政宗は、視線をずらして、またひとつ、舌打ちをした。
ゆっくりと窓へ近づいて、そのまま、桟に腰を落ち着ける。


「政宗様、小十郎にございます」

「入れ」


先程から感じていた気配―――それが発した言葉に、短く返す。
膝をつく小十郎は何時もの表情で、しっかりと政宗を見据えた。


「傷の具合は如何ですか」

「具合?!ハッ、最悪だぜ、クソッ」


苛立ちを隠すこともせず、政宗は悪態をつく。
頬杖をついたまま、小十郎の方もロクに見ず、言葉を更に連ねた。


「てめぇばかりか他の奴にまで無様なところを見せちまったな。あの赤いの!真田幸村!!次会ったら…」

「失礼、」


幸村への感情の吐露は、小十郎の静かな声と、銃声をも思わせる軽い音でぶつ切れた。
二人のやりとりを遠巻きに眺める司も、笑みをより一層深くする。


「…………」

「御無礼の段、あとからいかような罰でもお受けします。ですが!これだけはお聞き下さい」


目を見開いて固まる政宗に構わず、小十郎は平伏した。
だが、言の葉は―――敬い、貴ぶ故の、命懸けの進言。
頭を垂れたまま、彼は続ける。


「先日の出向で同行した者のうち八名が負傷、内二名はいまだ歩くこともままなりませぬ。これが決して、名誉の負傷などではありません。殿の御遊行に同行したがためによるもの。このような不名誉、二度とあってはなりませぬ」


政宗に反応はない。
ただ、小十郎に叩かれた頬を触り、聞いているかも解らぬ様に呆然としていた。


「一国の主であるということは、その国その民みの命、誇りまでも背負うということ。"それ"が政宗様のお命です……どうかそのお命、大切になさいませ」

「小十郎……」


再び平伏する小十郎を、政宗は見開いた眼で見据える。
小十郎は着ている陣羽織と着物をを大きく広げると、己の刀を抜いて、切っ先を腹に向けた。


「しかし君主に手をあげるなど、許されるとは思っておりません。度重なる非礼の段、この片倉小十郎、一命をもって……」

「小十郎!!」


政宗の行動は、素早かった。
左手で胸倉を掴むと、渾身の力で、その左手頬を殴った。
小十郎が取り落とした刀を、足蹴にして放る。


「……チッ、今ので傷が開いたぜ…テメェの言い分はよくわかった」


鼻からの出血を手で押さえる小十郎から離れて、政宗は己の腹の傷へと手を運ぶ。
それからまた窓の桟へ腰を落ち着けて、罰が悪そうに後頭部を掻いた。


「Ah…俺が間違ってたよ、軽率だった。俺の右目が曇ったときはお前がちゃんと止めてくれ」


その言葉に、小十郎は何も返さない。
ただ、眉間にシワを寄せて瞼を下ろし、じっと唇を噛んでいた。
政宗の眼が、小十郎を捉える。


「お前は俺の右目だ。どんなことがあろうと勝手に死ぬことは許さねえ。いいな」

「はっ…」


平伏する小十郎から視線を逸らして、政宗は外を眺める。
何処までも広がる空。一時的な、平和の世界。


「……小十郎、」

「はっ」

「俺は天下を獲る」


外を眺めたまま、政宗がそう、ハッキリと口にした。
その眼は強く気高い、そして何より、鋭い中に平和への願いが込められている。


「信長が討たれたのち、勢力争いは此処からどんどん苛烈になるだろう。豊臣、武田、上杉、西国の毛利、長曾我部……」


窓の外で、数羽の鳥が囀りながら飛び回り、戯れる。
政宗に背を向けられても尚、小十郎は平伏し言の葉を聞いていた。


「真田幸村だけじゃねえ、俺の前を塞ぐ奴はごまんと出て来るだろうよ。まだまだ退屈するには早ぇようだ」

「あっ、筆頭!」

「お怪我大丈夫なんスか」

「筆頭ー」


政宗が少し下に視線を向けると、自軍の兵達が下から己を見上げていた。
怪我をしているにも関わらず、己を慕い、案じていてくれる。
政宗の眼が、子を見る親のように慈悲深く揺れる。揺れる。


「―――安心しな、もうあんな馬鹿はしねえ。お前らは俺が護ってやる」


恐らくその言葉は、兵に届いていない。
だが、背後の小十郎にはしっかりと届いていた。
軍主として、国主として、当主としての言葉。
政宗は更に、言葉を重ねる。


「だからお前は、俺の背中を護れ」

「…ははっ!!」


小十郎の返事のその後、少しして―――ぱち、ぱち、とゆっくりとした拍手が聞こえた。
双竜の視線がそちらを向く。
静かに笑みを浮かべた司が、その半分透けた手を打ち鳴らしていた。


『とんだ戯れね。うふふ……乱世では綺麗事も偽善も偽悪も、何も通用しないのに』

「…………」


政宗の表情が、歪む。
表情こそ変わらないが、小十郎の眼も、鋭さを増していた。
それでも司は機嫌よさ気に笑う。嗤う。哂う。


『でもそれこそが乱世。満たされていても充たされはしないものよ?充虚は無くならないの』


まるで歌のように、高らかに。
くすくす、と人形のような可愛らしい表情が、その"異質"を、歪みを助長させていた。
風もないのに揺れる髪は、何故か。


『愛情も感情も悪意も敵意も、力さえも、与え、与えられなければ苦しいモノ。今は乱世として満たされていても、泰平の愛に飢える。泰平になれば、乱世の悪意や敵意に飢えるのよ。そうやって堂々巡りするの』

「…………」

『優しい政宗。向けられた敵意と悪意には、それと同じだけのモノを向けましょう?貴方の感じた"痛み"を与え、返してくれる"紅蓮"がいるのだから』

「Shut up!! アンタにゃ関係ねえ!!」


噛み付くように放たれた言葉。
同時に殺気も飛ばされたが、司はにんまりと、悪戯に成功した子供のような表情を浮かべた。


『ほら、私の望む"痛み"を返してくれる。貴方は無意識に理解をしているのよ?愛しく憐れな私の政宗。貴方は本当に可愛いわ』

「…………!」

「……司様。程々にしてくだされ」


目を見開き、傷がなく刀があれば今にも斬りかかりそうな主を見て、小十郎が口を挟んだ。
しかめっつらをする小十郎を見据えて、司は微笑む。
可愛らしく、己の唇に人差し指を当てた、まるで秘密だと云うように。


『…ふふ、これからが楽しみね?向けられる悪意も、向けるべき敵意も』

「…………」


政宗は射殺さんばかりに睨むだけで、返事はない。
司は楽しそうに笑って―――その躯は、空気に溶けた。
外で戯れる鳥の囀りに混じって、小さな舌打ちが一つ、反響する。




101222
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