拾漆
―――久秀の元へ、小十郎はただ突き進んでいた。
兵を斬り捨て、捕虜を救い出して、"竜の宝"を取り戻すために。 捕虜の解放はほぼ済んだ。後は、主の六爪のみ。 そう思い、刀を抜いたまま走っていく。 陣のような、小さな建物に入ったとき、待っていたかのように、大量の銃口が、小十郎を捉えた。
「ちぃっ……!」
瞬時に守りの体勢になる。微かな舌打ちは、それで防ぎきれると思っていないからだろう。 その銃から、鉛玉が放たれる――― その前に、断片的な悲鳴だけでその場は終息した。 小十郎の前には、見慣れた青い陣羽織。
「政宗様?!」
「威勢良く出てった割に、随分とかかる事で」
振り返った"政宗"の笑みに、小十郎は顔を引き締めた。 自分の主ではないと、瞬時に理解したからだ。自分の主は、政宗はあのような"綺麗に歪んだ"笑みなど浮かべはしない。
「……政宗様は、」
「あら、反応無し?寂しいわ……可愛い義弟なら貴方を追おうとしたのよ。自分の身も省みずにね」
目を見開く小十郎に、司はくすくすと笑うだけ。見た目は政宗だが、何故かそこに違和感は存在しない。 刃毀れの酷い刀を一振りして、司はゆっくりと歩きだす。
「司様?!」
「あら景綱、貴方は行かないの?あの梟の元へ」
司はそれだけ言い放つと、今度こそ歩みはじめた。小十郎は一度、刀をきつく握り締めてから、その背を追う。 主を守らねばならぬと、言い訳のように胸中で繰り返しながら。
*
「―――ふむ、これは珍しい客人だ」
開口一番に、久秀はそう呟く。"政宗"と小十郎の姿を見て、だ。 小十郎に手をかけられた刀が、微かな鍔鳴りを響かせる。 それを、司が手で止めた。 政宗らしい――小十郎からすれば、ただの仮面でしかないが――笑みを湛えて、久秀を睨みつける。
「予期していたことに、今更何を言う?」
政宗でもない、かといって司でもない、微妙な口調で、"政宗"の声が響く。 不敵に浮かべたその笑みは、やはり"綺麗に歪んで"いた。 くつ、と、久秀が笑いを喉で噛み殺す。そして、剣の切っ先で前の二人を指し示した。 不敵な笑みは、喰えない。それに、司はひっそりと笑いを押し殺す。
「いやはや、これは予想外だよ」
きし、と空気が軋む。 殺気の類ではない。だからといって、気のせいだと云うには余りにハッキリとした、空気の変質。 小十郎の眉間に、深いシワが刻まれた。嫌な予感、で済まないような虫の知らせに、今にも切り掛かろうとする。 それに気付いてか否か、久秀は薄っぺらい笑みを湛えた。
「竜の姿を借りた黒禍が来るとは」
その言葉に、司はついに吹き出した。 勿論、政宗のような笑い方等ではない。軽快で不気味な、寒気を感じさせるモノで。 ひとしきり笑ってから、司は久秀を見据えた。その眼に、彼の者は映っていないというのに。
「嫌いじゃないわ。梟にしては頭が回るのね」
くすくす、と可愛らしく――実際、醸し出される雰囲気はそれと掛け離れているが――笑う司は、刃毀れの酷い刀の切っ先を向けた。 心なしか、まるで刀身がすべて存在して居るかのように、焔の光を受けて輝いている。
「卿は何をしに来たのかね?この俗世に干渉し続けるとでも?」
「あら、可愛い義弟の仕返しくらい良いじゃない。私も"痛み"が欲しいしね?」
司の浮かべる笑みが、初めて"人間らしく"変わる。それでも、本当に人が浮かべるのかと思うくらい、酷く整い過ぎていた。 小十郎の苦い顔は、誰にも気付かれない。その握りすぎた、両の拳さえも。 久秀が声を上げて笑った。司の表情は変わらない。
「卿からはあらゆるものを奪おう。…なに、絶望ぐらいは残る」
「あらゆるもの?貴方、甘いのね」
久秀は、自分の言葉に即答した司を、感心したように見据える。 司はといえば、刀の切っ先を突き刺して、両の手を自由にしていた。
「なら私は全てを奪うわ」
一歩前に出した足が、地面を軋ませる。 ざり、と砂同士が擦れ合う様も、司にとっては愛しい"痛み"。 喰われるように、風が凪いだ。
「貴方の城も、国も、民も、兵も、刀も、声も、意思も、身体も、命さえも全部、貴方自身から」
歌うように、高らかに。 まるで愛でも囁いているような恍惚の表情で、司は言葉を紡ぎ続ける。
「希望も絶望も苦痛も快楽も、感じる前に"痛み"で奪い尽くしてあげる」
大きく腕を広げて、現実味の無い言葉を吐く様は、舞台の一人芝居のようで。 はた、と全ての音が消えた。
「―――とても、素敵なことじゃない?」
極上の笑みで吐かれた"異質"が、そこの全てを変質させた。 人形のような表情は真っ直ぐと久秀を見据え、敵意ではなく、純粋な"悪意"を向けつづける。 そんな司の後ろで、小十郎は眉間に深いシワを刻んでいた。 自分にはどうしようもできないと分かりながら、どうにかせねばという使命感に、苛まされる。
「いやはや、卿は怖いな……とんだ狂狡だ」
久秀が言葉を紡いだ。そう言いつつも、表情は笑ったまま。 司は刀を握ると、軽く一振りした。軌跡に微かに残る、蒼い火花。
「だが、実に興味深い。そこまで狂っていながら、卿は実に純粋だ。まるで、何も知らない幼子のように」
「うふふ、光栄だこと。お礼は…そうね、"痛み"を貴方へ贈るわ」
その瞬間、均衡は脆く崩れ去る。
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