拾参
―――ぐん、と何かに引かれるようにして、政宗は目を覚ました。
見回した周りに人影は無い。だが、あの竜の石像は、摺上原双竜陣のモノ。 痛む身体に鞭打って、身体を起こした。 陣中に、人の姿はおろか、気配さえ感じない。 そして不意に―――ざわり、と空気が変質した。
『おはよう、政宗。気分はどうかしら?』
「…………最悪だ」
苦々しげに言葉を紡いだ政宗を見て、司は機嫌が良さそうに笑う。笑う。 司は困惑顔の政宗を、何時ものように見据えた。
『現状の理解が出来ていないのね。此処は摺上原双竜陣で、貴方は人取橋で爆発に巻き込まれて落ちたのよ』
思い出したかしら?と司が続けると、政宗は目を見開いた。走馬灯の様に、駆け巡る記憶。 少しの沈黙の後、政宗は射殺さんばかりの眼で司を睨む。
「……小十郎はどうした」
地を這うような低い声。司は綺麗に笑ったまま、答えない。 重い空気が澱んでは、二人を取り巻いていく。
「小十郎はどうしたかって聞いてんだッ!!」
まるで噛み付くように、今にも掴み掛かりそうな勢いで、政宗は言い捨てる。 それでも、司は笑ったまま、政宗に一歩近付いた。
『景綱なら、あの梟を狩りに行ったわよ?』
「……何…?」
『たった一人でね。私は好きよ、そういうの』
政宗の眼が見開かれる。 司は微動だにしない政宗に近付いて、その透けた手で頭を撫でた。 何時もなら即座に拒否するだろうが、政宗にその素振りはない。
『政宗に刃を向けた罪滅ぼしのつもりかしらね?とても怖い顔をしていたわ』
「…………!!」
くすくす、と可愛らしく笑う司の眼は、何時までたっても、何処も映す事はなく、硝子のように透けるだけ。 漸く現状を理解した政宗は、たった一振りの、刃毀れのある刀を杖代わりに立ち上がった。 激痛に表情が歪む。それでも、瞳は"独眼竜"の、あのぎらぎらとした光を取り戻している。
『あら、死にに行くの?』
「……ンな訳ねえだろ。俺の、竜の宝を、右目を、取り戻しに行く」
『それを死にに行くと言うのよ?愛しく憐れな私の政宗』
声色は普通だったが、司は、冷たく、突き放すように言い放った。 射殺さんばかりに、政宗が睨みつける。
政宗自身も分かっていた。手負いの身体で行く、それは自殺行為に等しいと。 自分が行ったところで、良い方に転ぶかは分からず―――寧ろ、悪い方に転ぶ確率の方が、高いということも。
「だと、しても……ッ、」
ぎり、と歯が軋む。 噛まれた唇からは、滲むように出血していた。 司は、綺麗に笑ったまま。
「兵の数人、腹心一人守れねぇで、何が天下だ!何が奥州筆頭だ!俺を信じるあいつらの為にも、俺が立ち止まる訳にはいかねえ!!」
悲痛に、咆哮するように、宣言するように、言い聞かせるように、政宗は言い捨てた。 一歩足を出す。鉛のように重い身体は、その度に軋み、痛んだ。
それでも、政宗は立ち止まらない。 覚束ない足取りで愛馬のところでまでたどり着くと、無理矢理跨がって、腹を蹴った。 小さくなっていく背中を、司はただ見送るだけ。
『あらあら、手のかかる義弟ね。だからこそ愛おしいのだけれど』
風も無いのに靡く髪を、軽く掬い上げて、それが落ちるより早く、司の姿は掻き消えた。 存在の残滓は、何一つとして残らない。
*
軋んで悲鳴を上げる身体をひたすら無視しながら、政宗は馬を走らせていた。 口に広がっていた鉄の味は、もう分からない。 ただ、ひたすら、小十郎の向かったであろう先に、走らせる。 その瞬間、風を切って飛んできた何かを、反射的に刀でたたき落とした。
「Shit…!!」
政宗のついた悪態さえ、何時もよりキレが無い。 だが、囲むように現れた忍には関係なく、寧ろ好都合だろう。 一斉に攻撃を仕掛けてきた忍に、政宗は馬から下りて、刀を構えた。
「ッ、HELL DRAGON!!」
蒼い雷が、辺りを飲み込む。 だが、政宗の身体も、びきりと嫌な音を立てた。 耐え切れず、その場に膝をつく。
―――…ふざけるな、俺は、こんな所で休んじゃいられねぇんだ……!!
意思に反して、身体は動いてくれない。いや、動かせないと言った方が正しいだろう。 先の攻撃で倒せなかった忍が、じりじりと距離を詰めてくる。 政宗は、動けない。
『だから言ったでしょう?年上の忠告は聞くものよ』
「……るせぇ…!」
不意に聞こえた、何時もは耳障りだと思う司の声が、酷く甘美なモノに聞こえる。 政宗は、それが猛毒であると分かっていた。 分かっていながら、それに縋らなければいけないことも、全て。
『愛しい義弟の為だもの、手を貸してあげるわ』
己の不甲斐なさに奥歯を噛み締めながら、司の軽い笑い声を聞いていた。 忍が、目前に迫る。
『《愛しく憐れな私の政宗、貴方と力とその世界を、余さず私に捧げてくれる?》』
「…………《くれてやる》」
その瞬間、司の笑顔が"綺麗に歪んで"、
―――轟音。
舞い上がる砂埃と、まだ微かに霹靂いている空気に囲まれて、"政宗"は綺麗に歪んだ笑みを浮かべた。 ざわり、と空気が澱む。
「ふふ、"痛み"の応報を始めましょう。あの梟に、お礼をしなくちゃね?」
男にしては高すぎる、そして"まるで司の様な"口調で、政宗は笑った。 その隻眼は、何処も映していない。
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