拾弌
ひゅう、と風が吹き抜けて、政宗の髪を微かに揺らす。 だが、政宗は先を睨んだまま、ゆっくりと刀を抜いた。横に並ぶ小十郎も、刀を抜いて構える。 空気と殺気が軋轢を生んでは、澱みを増加させていた。
「小十郎…わかってるな」
政宗の低い声が、その空気を震わせる。 足りない言葉。だが、小十郎には十分すぎるくらいで。
「はっ。皆の命、必ずや救い出しましょう」
小さく頭を下げて、小十郎が言葉を補った。 それを聞いて、政宗は小さく、口角を上げる。
「Okey…俺に続け!」
「承知!」
勢いよく走り出した二人の後ろ―――不意に現れた司は、二人の進んだその先を、何も映さない、人形のような眼で見据えた。 血の気のない唇が、"綺麗に"歪む。
『新たな痛みだわ…うふふ、何て素敵なのかしら』
うっとりとした表情を浮かべて、司は舌なめずりをする。 そして、双竜を追い掛けるように前に進むと、その姿は空気に溶け込んだ。 澱んでいた空気は、何時からか暗鬱へと変貌している。
*
氷穴を抜け、駆け抜けた先、双竜と男――松永久秀――は対峙していた。 久秀の背後には、丸太にくくり付けられ、命綱二本で生きながらえている伊達軍兵の姿。 司が不意に姿を現す。その事実は、誰にも知られていない。
「一つ……二つ……また一つ……」
二人に背を向け、刀に目線を向けたまま、松永は言葉を紡ぐ。 険しい表情で睨む双竜とは裏腹に、司はうっとりと微笑んでいた。
「人は生まれて、壊れる事の繰り返しだ…」
『あら、よくわかっているのね。ふふ、とても面白いわ……まるで幼子の様な狂気』
松永の言葉に同意する司の声は、響かずに四散する。 勿論、松永に届くはずもなく、ゆっくりと振り向いては双竜を見据えた。
「やぁ…独眼竜とその右目、ご機嫌如何かな。六の爪を貰いに来たのだが、問題あるまい?……と言いたい所だが…機嫌はあまり良くないようだ」
「テメェ…自分がしたことをよくわかっていないようだな…!」
飄々としている松永に、流石の小十郎も、怒りをあらわに、低い声で言葉を紡ぐ。 松永は小さく笑うと、ゆっくりと命綱へと近付いた。
「そいつは失敬……これで勘弁してくれたまえ」
「何っ?!」
そして、刃を宛がっては―――躊躇い無く、その命綱を切り、落とした。 悲鳴を上げながら落ちていく兵。その声は徐々に小さくなり、そして、響きさえも消える。 松永は二人に向き直ると、切っ先を向けた。 指し示す先は、政宗の六爪。
「ふっ…さあ、それをもらえば以上で終わりだ」
「政宗様、ここはこの小十郎にお任せを。貴方の手を薄汚い血で汚す必要は無い…!」
低く、低く、小十郎の硬い声色が地を這うように響いた。 構えられた刀は、まるで獣の眼のようにぎらぎらと輝く。
「Okey…その粋、見せてみろ」
『あら政宗、優しいのね。その燃え盛る"痛み"を、解放せずに渡してしまうなんて』
くすくす、と笑う司を、政宗は微かに一瞥した。 その前で小十郎と松永の刃が、痛い金属音を発する。 松永は片腕であしらいながら、本気の声色で、言葉を紡ぎだす。
「卿らは何を怒っているのかね?」
「分からねぇとはな…テメェは芥以下だ…!」
飄々とした言葉に対し、小十郎の低い、怒りの感じ取れる声。 次の瞬間には、霹靂く雷が空間を飲み込んでいた。
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