玖
「…で?なんだテメェは……?」
伊達軍が急襲した先、上杉本陣に軍神は不在。 代わりに、長い髪と派手な恰好をした男が、そこに居た。 機嫌を損ねたように問い掛ける政宗は、さらに言葉を連ねる。
「本陣がもぬけのカラたぁどういうことだ?それとテメェは誰だ」
「あんたが伊達政宗か。強そうだな」
その男は不敵に、だが政宗とは違い人のいい笑みを浮かべた。 政宗の後ろで、小十郎の顔が険しくなる。
「政宗様、」
「下がってろ小十郎」
一蹴されて、小十郎は押し黙る。 刀に手をかけ、何時でも抜刀できるようにする姿に、司はひっそりと笑みを浮かべた。 だが、政宗がそれを知る由もなく、さらに言葉を連ねる。
「名乗れっつってんだよ」
「俺は前田慶次。えーと、留守番中…かな」
『あら、運が良いわね。うふふ……素晴らしい"痛み"だわ』
慈しむような、それでいて嘲笑うような司の言葉に、小十郎は一瞬、顔をしかめた。 だが、背を向けている政宗は気付かない。男―――慶次の名乗りを聞くと、さっきまでの不機嫌顔ではなく、不敵に笑った。
「Ha! 前田!テメェがあの前田慶次か!」
「みんなよく俺のこと知ってるなぁ、有名人てのもツライねえ」
照れたように頭を掻きながら、なあ夢吉、と己の肩に居る猿に、慶次は同意を求める。 夢吉が同意したかは定かでない、しかし、慶次が嬉しそうにしているのだけは事実だった。
「前田の風来坊…行きがけの駄賃にしちゃあ骨のありそうなヤツだな」
『そうね。もしかしたら、あの"紅蓮"と肩を並べる位の"痛み"かも知れないわ……さしずめ、雷雲を吹き飛ばす"暴風"かしら?』
司の同意が、政宗には届いているはず。 だが、政宗に反応は無い。気付いているのかすら、危ういのだ。
「…豊臣秀吉とテメェは昔、ツルんでたそうじゃねえか」
政宗の言葉に、慶次の顔付きが変わった。澄んでいた笑みが澱んでは落ちていく。 きしり、と軋んだ空気は、何処にも行かずに留まっては、憂いと濁りを増していった。
「ここにいるってことは豊臣か?上杉か?どっちのイヌだ?」
「秀吉とは関係ねえ…」
幾分か低くなった声に、風のすり抜ける音が混ざりこんだ。 だが、それをさらうことはなく、紡がれた言の葉は反響して意識に留まる。
「謙信には世話になったんでね、一宿一飯の恩義ってヤツさ」
「Ha! まあいい、どっちだって俺には同じコトだ」
『そうよね?理由なんてどうでもいいわ、"痛み"は唯一の共通、純粋なモノだもの』
うっとりと心酔するような、熱にうなされたような表情を、司は浮かべる。 どう見てもその眼は"尋常"で無かったが―――良くも悪くも、それを指摘する人間は居ない。
「俺の前に立つ奴は全員倒す。怪我する前にそこをどきな」
不敵に笑ったままの政宗が、左腰の刀に手を掛けた。 だが、政宗が抜刀するよりも早く、慶次は己の超刀を地面に突き立てる。 土くれが跳ね、あっさりとひび割れて、地面は刃を受け入れた。
「言ったろ?留守番だって。ここを通すわけにはいかないよ」
「……そうこなくちゃな」
ひゅう、と聞こえたのは、風か、それとも、政宗の口笛か。 楽しそうな政宗とは違い、慶次は困惑したような、呆れたような表情を浮かべた。
「ところであの兄さん達すげえニラんでるんだけど。あんた倒したら俺、アッチも相手しなきゃなんないワケ?」
「Ha! 俺を倒したら、だと?」
慶次の言葉を、政宗は小馬鹿にするように笑った。 抜いた刀の切っ先で、己の後ろの地面を刔る。 緩やかな曲線を描かれたそれは、境界線。
「こっから向こうは俺の国だ。誰にも手出しはさせねえ」
風さえも凪いだような、張り詰めた反響。 兜の下から覗く眼は、ぎらついた光を宿し、より一層鋭く慶次を睨んだ。
「テメェと俺とじゃ、背負ってるモンが違うんだよ!」
「……ふーん。俺は別に何も背負いたくないね」
腑に落ちないような、納得していないような表情で慶次は返した。 突き刺したままの超刀を抜くと、その言動からは想像できないくらい、凛々しく、楽しそうに笑う。
「楽しまないと、人生損だよ?」
「御託はいい、そろそろ行くぜ?」
慶次のその表情に釣られるかのように、政宗もまた、笑みを浮かべた。 戦の時によく見る、悪人ともとれそうな、不敵な笑みを。
「政宗様、」
「わかってるよ。一瞬でカタつけてやる」
小十郎が後ろから名前を呼んだだけ―――だが、政宗にはそれで十分だったらしい。 言葉を紡ぐと同時、政宗が両の手を刀に掛けた。 ぱしり、と微かに蒼い雷が鞘を被っている。 だが、慶次に臆する様子は全くない。それどころか、面白いものを見つけた、と言わんばかりに声を上げた。
「へえ!六の爪ってやつか。見せてもらおうかな」
「上等だ……クセになるなよ?」
『さあ、"痛み"が始まるわ……精々喰われないようにね?愛しく哀れな私の政宗、』
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