漆
「政宗様、」
―――軍議が終わり、まだ兵の興奮も冷めやらぬ頃。 城の長い廊下で、後ろに控えていた小十郎が口を開く。
「民を思う政宗様のお心、この小十郎、感服いたしました」
「誰かさんにさんざ説教されたせいでよ」
憎まれ口を叩く政宗の表情は、晴れ晴れしい。 それを聞く小十郎も、一瞬だけ穏やかなモノを浮かべた後、しかし、と何時もの表情で言の葉を拾った。
「川中島を通ると考えられたのはもしや、あの武田の若武者、真田幸村と見えるためですか」
「下心がないっつったら嘘になる」
お見通しかよ、と薄く笑って振り返る姿は、もう、らしくなっていた。 脳裏に浮かぶのは、あの紅蓮。 司に言わせれば、政宗をも焼き尽くすという、業火。
「野郎、この俺に一太刀くれるたぁ地獄まで追っても足りねぇぜ。ついでだろうがなんだろうが、次に奴とカチ合ったら決着をつける!」
言葉とは裏腹、何処か楽しそうな表情さえ浮かべる政宗を、すう、と空気が撫ぜる。 それから、二人のずっと奥―――くすり、と成り切れぬ声が震えた。
「また無茶だって止めるか?」
「いえ、御存分に。今度はこの小十郎が背中をお護りいたします故」
「いい覚悟だ」
穏やかな表情――とは言え、親しい者にしかわからぬ程度だが――で頭を下げる小十郎を見据え、政宗は再び前を向いた。 それから、独り言のように、言の葉を紡ぐ。
「だが急がねぇとな」
「…は」
「戦が長引けば冬になる」
少し陰った眼、下がり窪んだような声色。 そう、奥州の冬は厳しい。何もかもが白く閉ざされる。
「寒いのは好きじゃねぇ。奥州の冬は長すぎる」
田畑は凍てつき、陸の孤島と化す。 果たして好きじゃないのは、寒い事だけなのか。 その真意をしるのは勿論、憂いを帯びたように言う、政宗一人だけで。
「誰も飢えることのねえ豊かな土地を……」
「政宗様…」
「…なんてな。大義名分なんざ今更か。まずは上杉を抑え、武田の真田幸村にリベンジといくぜ!」
「はっ」
『……ねえ政宗、大義名分を掲げなければ"痛み"をごまかせないんじゃなくて?』
くすり、と笑う司の声に、政宗と小十郎が後ろを振り向く。 優雅に手を組み、笑う姿は美しい。だが、言いようのない"何か"があるのは確かで。 強張った表情の小十郎の奥で、政宗が表情を歪めた。
「今更、何の用だ?」
『なにも?面白い話をしているようだったから、混ざろうかと思って』
政宗はその言葉に何も返さず、ひとつ、舌打ちをした。 司は何時だって本気だ。―――故に、性質が悪い。
「なら帰れ。今さっきTalkは終わったところだ」
『あら、意地悪ね。ふふ、まあいいわ。今日は大人しく引き下がるから』
くすくす、と耳に残る声を残して、司の姿が掻き消える。 政宗はそれを見据えて、また舌打ちをした。 その後ろ、小十郎は顔を引き締めると、再び足を進める主の背を追い掛ける。
*
「政宗様、」
それからまた時は過ぎ、城と城下を見渡せるような丘の上、武装した政宗はそれを見下ろしていた。 背後からかかる小十郎の声には、何も返さない。 しかし小十郎には通じたのか、気にする様子もなく言葉を連ねた。
「出陣の準備が整いました」
「Ya. 頃合いだな」
にぃ、と政宗の口角が上がる。 その後ろで、司も、あの綺麗すぎる笑みを浮かべていた。
「Let's get it started hot!!」
『さあ、"痛み"の具現化を始めましょう。うふふ……火傷は騙して生きていくモノよ』
政宗にさえ、重ねられた言葉は届かない。 連なる馬の蹄音を聞きながら、司はその手を空へ翳した。 文字通り透き通った肌は、日の光で赤く染まる。 ―――そう、あの時のように。
110104 ← back →
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