審神者と蜂須賀


「…………のう、虎徹。ぬしは儂を見ていて楽しいのか?」

とある日の昼下がり。机に向かって書き物をしていた審神者は、自分の後ろに控える蜂須賀虎徹にそう問いかけた。急に聞かれた虎徹は少しキョトンとしてから、邪魔なら出て行くけど、と、言いながら首をかしげる。

「別に邪魔とは言うておらぬじゃろ。ぬしが儂を見ておるゆえ、純粋に気になっただけじゃ」

「気づいてたんだね。何も言わないからてっきり気づいてないのかと思ったよ」

「……ぬしらほど鋭くないにせよ、ずっと凝視されていたら流石に気づくぞ」

少しムッとした表情をしながら言う審神者に、虎徹は軽く笑う。なにがおかしい、と何時もより低めの声で言われて、彼はようやっと笑うのをやめた。

「すまない、最初に比べたら様になってるなあと思ったんだ」

「こうして机に向かってるのがか?」

うん、と即答する虎徹に、審神者はバツが悪そうに頭を掻いた。確かに、審神者はここに来たころは、読み書きがかなり拙かった。話す・聞くは問題がないのに、書いてある文字は審神者の知るそれとは大きくかけ離れていたのだ。そのため、最初は事務作業がままならず、刀剣達に手伝ってもらっていた。それを見かねて、審神者に読み書きを教えたのは、今ここにはいない歌仙兼定と、他でもない虎徹で。だからこそ、この件に関しては、審神者は頭が上がらない。
筆を置いて、審神者は正座で少し痺れた足を崩し、胡座をかく。主は女子だろう、と言っても、違う座り方をする気は無いらしい、そのまま、言葉を紡いだ。

「元々儂は現場にいた人間ゆえ、こういうのは性に合わぬのじゃがのぅ……」

「そうなのかい?初めて聞いたよ」

「言ってなかったからの」

くあ、と、審神者が大きなあくびをする。その視線は虎徹ではなく、開いている障子のさらに先、桜の舞い散る庭を見据えていた。
青い空。白い雲。若葉を揺らすそよ風。しとしとと降る雨。審神者にとって、それらは願っても手に入らないもののはずだったのだ。審神者のいた世界では、神々に奪われ、どれもこれも歪んでいた。いつだって空は鉛色で、厚い雲が帳を下ろす。風は人々の侵入を拒むように吹き荒れ、赤い雨は病を呼んでは人を喰い殺す。
―――それを思い出す審神者は、この場所を見ていない。虎徹はそんな審神者の横顔を見据えていた。審神者はよくこの眼をすると知っていた。その理由は知らない。だから、このまま話を続ければ、それが分かるのでは、と思案しながら、次の言葉を待つ。

「ぬしらの戦場があるように、儂にも戦場があるだけのことじゃ」

「それはこの部屋かい」

「此処では、そうじゃろうなあ」

審神者が笑う。どこか乾いているそれは、諦めだったのだろうか、それとも。
虎徹は小さく息を飲む。審神者に審神者自身のことを聞けるこれとない機会が巡ってきたと。震える声をなんとか抑え、口を開く。

「―――どこか、違う戦場があるのかい」

「――――――ああ」

その肯定はあっさりと、だが重く返ってきた。言葉は続かない。
静寂がしばらく続いた後に、ぽつりと、酷く細い声が聞こえた。

「反吐が出るくらいのクソッタレな世界でも、ないと寂しいものじゃのう……」

そう言う審神者の左手は、右腕の無骨な腕輪を撫でていた。審神者のそれは、出会った時からずっとあった。いついかなる時も外さず、壊れることもない。邪魔かとも思っていたが、審神者はそれがあることが当たり前のように生活していた。なんの価値もないものだ、と、審神者は言っていた。諦めたように笑って、眼を伏せて。
虎徹にはそれが、枷のように見えていた。誰にでも見える枷。だが、今、それだけではないと理解してしまった。腕輪は象徴でしかないのだ。審神者は身動きが取れないほど、振り向くことさえできないほど、色々なものに雁字搦めになっているのだ。

「ねえ、主。主は、ここが好きかい」

自分でも無意識のうちに、虎徹はそう問うていた。ここで問うておかなければ、もうずっと聞けないのではと、妙な義務感が生まれたのだ。それと同時に、焦っていた。この主は、この本丸の、ひいては刀剣たちからの枷がなければ、きっといつか、全てを捨てて何処かに行ってしまう。それが主をさらに苦しめることになったとしても、繋いでおかなければ。そうでなければ―――嫌な想像が脳内をめぐる。

「ああ、好きじゃ。此処も、ぬしらも、この生活も」

その想像を断ち切った審神者の声は、聞いたことがないくらい穏やかだった。そして虎徹を見据える表情も、子を見る母のように穏やかで。
審神者は、続ける。

「そう不安そうな顔をするな、虎徹。ぬしらをほっぽって、何処かに行くようなことはせぬよ」

虎徹の視界が歪む。ゆらゆらと揺れるのは、きっと涙だろう。それを悟られないように俯いて、茶を持ってくるよ、と言って部屋を出る。審神者はそれに気づいてか否か、熱いのを頼む、と笑った。
その背を見送って、足音さえ消えてから、審神者は息を吐く。笑顔は、面影すらも消えていた。

「…………ぬしらが、儂を見限らぬ限り」

きっと刀剣達は、自分を人間だと思っているのだろう。だから気にかける。脆弱だから守ってやらねばと。自らの身が消えてはたまったものではない、と。
審神者は自嘲する。それを理由に、枷を望んでいるのは自らなのに、と。



賭したもの
(じぶんのいのち、あいてのいのち、それから―――)
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