IF:審神者と闇落ち和泉守


※闇落ちネタ



「戻った」

「おかえり、山姥切。……浮かぬ顔じゃのう、どうした?」

戦から帰ってきた山姥切に、審神者は意外そうな顔で問いかけた。戦績は上々だったはず。なら、何をそんなに、悲痛な顔をするのだろう。山姥切は立ちすくんだまま、俯いて何も言わない。
まあ座れ、と審神者が促すと、震える足で進み、座布団の上に崩れ落ちるように座った。どうした、ともう一度問いかけると、震えた涙声で話し始める。

「和泉守、が、……」

「和泉守?一緒に出陣しておったのだろうに。何があった?」

「………………俺たちを、アンタを―――裏切った。前の主を、助けるんだ、と、言って……聞かなくて…………」

最後は、声になっていなかった。その外套の下で、山姥切は泣いているのだろう。殺しきれない嗚咽が、審神者の鼓膜を震わせる。
いつか、こういうことがあるであろう、と、審神者は覚悟していた。だが、いざ直面するとなると、どうしても苦虫を噛み潰したような気分になる。いつだって、決別するのはつらいものだ。食いしばった歯が、ぎり、と音を立てる。

「……そうか。辛いことを言わせてすまぬのう。後は儂に任せい。ぬしは手入れ部屋に行ってこい」

審神者はスッと立ち上がると、山姥切の横を通り抜けて部屋を出た。山姥切の身につけている外套の上から、その頭をそっと撫でて。
静かな廊下を早足で歩く。審神者の表情は、見たことがないくらいの無表情だった。作り物のそれよりも、ずっと、何も感じられない。その眼は、何も映さない。ただただ、現実をあるがまま受け入れているだけで。
そのまま、本丸の一番奥―――審神者の自室に着くと、脇目も触れず、部屋の中に足を踏み入れた。何ひとつ、家具すらない部屋の真正面、人の身長くらいある黒いケースが、我が物顔で鎮座していた。審神者はそのケースを軽々と持ち上げると、そのまま、本丸の門へと向かっていく。

「おや、お出かけかい」

「…………まあ、そんなところじゃ」

じろり、と睨みつけられても、にっかり青江はいつものように笑みを湛えたまま。それがさらに、審神者の胸中をざわつかせる。その様子に物怖じすることなく、青江は続ける。

「凄く殺気立ってるね。まるで戦に行くようだよ」

「分かっておるのなら、そこを通してはくれぬかのう」

「いやだ、……と、言ったら?」

「勘の良いぬしなら、問わずとも分かっていよう?」

のらりくらりとした青江に、審神者は少しだけ、語気を強めた。青江は、答えない。ただにっかりと笑い、審神者を見据えているだけ。両者の間に、張り詰めたような空気が重苦しく淀む。どちらの表情も、変わらない。

「君はもっと、抵抗したり泣いたりするのかと思ったけど、そこまで落ち着いてると逆に恐ろしいね」

「だから何じゃ。儂とて戦う身。その覚悟くらいはある」

「覚悟があるのと、実際にやるのじゃ大違いさ」

「………………」

審神者が押し黙る。それを嫌という程知っているのに、どうしてわざわざ、この話をするのだろう。……いや、自分の過去を知るわけがないのだから、きっと、純粋な好奇心か、或いは。
何も言わない、動かない審神者に、青江が一歩近づく。ゆったりとした動作で、審神者の頬をそっと撫でた。にっかりと笑む表情は美しいが、両目で色の違う眼はどこか、狂気に歪んでいる。

「君にそれができるのかい?」

笑みが、深く、嘲るように。その瞬間、審神者の頬を撫でていた青江の手が、勢い良く弾かれた。審神者自身の、手によって。

「舐めるなよ、刀剣風情が」

低く、威圧的な声。あっけらかんとした普段の声とは似ても似つかない、憤りの声色。まるで親の仇を前にしたような、瞳孔の開いた、獣じみた眼。ギラギラとしたそれは、睨んだだけで人を殺せそうで。

「武器であるのが、貴様らだけと思うな」

審神者はそう言い捨てて、青江の横を抜けていく。振り返ることも足早になることもなく、しっかりとした足取りで背を向け去る姿は、自らが優位であると、自らの方が強いと、主張している。

「なんだ、そんな眼も出来るんだね」

そう言う青江は、名前の通りにっかりと笑って、審神者の背を見送っていた。





荒れ果てた戦場。むせ返るほどの血のにおい。煤臭い火薬。おびただしいまでの、屍体。
それらに目もくれず、審神者は進んで行く。大きなケースを持ったまま、目標に向かって。…………そして、数十メートル先に、『それ』は、いた。
目を引く紅の着物に、浅葱ダンダラの羽織。長い髪。腰に帯びた太刀。見慣れていたそれは、徐々に、見慣れぬ骨のような何かが、露出し始めていた。

「…………それがぬしの結論か、和泉守」

背後から声をかけられて、和泉守は緩慢な動作で振り返った。いつもと変わらぬ様子で佇む審神者に、ゆうらり、と立ち上がる。その翡翠の眼は、紅の光を灯し尾を引いていた。審神者の眼が、すう、と細められる。

「俺を説得しに来たのか?」

「そんな気はさらさらない。ぬしが決めたことなら、何も言わぬよ。だがのう、和泉守」

一歩、審神者が足を進める。和泉守は太刀を抜き、いつでも斬りかかれるように構えた。それは今までと変わりなく、美しい、そして、らしい構えだった。
審神者は持っていたケースを体から離す。ピッ、と小さい電子音の後、それは勝手に開いた。俊敏な動作で中身の柄を握り、重力に従って、ケースだけが落ちていく。和泉守は露わになった中身に、目を見開いた。

「それによって邪魔立てをするのなら、放っておくわけにはいかぬ」

銃口を地面につけ、審神者によって支えられているそれは、銃器と呼ぶにはあまりにも大振りなものだった。審神者と背丈と同じくらいの大きさに、黒で統一されたパーツ。どう見積もっても十貫(約30kg)はありそうで、審神者の細腕では振るうことはおろか、持つことさえできるのかと思うほど。―――それは、審神者が生きるために振るう、『神機』だった。
絶句する和泉守に、審神者は続ける。

「ぬしは刀剣じゃ。刀剣は、人が自らの意思を、自らの選択を、具現し押し通すための道具。障害を殺すための武器。それ以上にもそれ以下にもなれぬ。『モノ』が意思を持ち反旗を翻すなど、あってはならぬ。それは自らの存在意義を、真っ向から否定することじゃ。違うかのう、和泉守」

「ハッ……!だからアンタは俺を折るってのか?自らに逆らうものは手打ちか!!随分な選択だな!!」

「…………何とでも言えば良い。じゃがのう、儂とて、ぬしとそう変わらぬ」

審神者はそういって、持っていた神機の銃口を和泉守に向けた。背丈の同じくらいの長さのそれは、冷たく無慈悲に、和泉守を喰らわんとしている。それは殺すためでも、壊すためのものでもない。それは間違いなく、『喰らう』ためのものだった。神を従え、神を喰らい、神を殺す、神罰をも恐れぬヒトの武器。
ぞくり、と、和泉守の背筋が冷える。ああ、あれは間違いなく、俺自身を喰い殺すのだ、と、和泉守は理解していた。それでも、退くことは出来ない。仲間も、審神者も、歴史さえも裏切った自分に、もう居場所などないのだと。背水の陣というにはあまりに絶望的な、黄泉への一本道。
和泉守の様子を気にしていないのか、審神者は、いつもの調子で続ける。

「儂は『時の政府』に使われる『審神者』という道具にすぎぬ。儂の意思など関係ないのじゃ。こうせねば儂は儂の意義を失う。儂が『審神者として此処にいる意味』が崩れてしまう。…………すまんのう。できれば、儂はぬしを折りたくないのだが……致し方あるまい」

「結局、アンタも自分のためか。自分が生きたいがために!」

「その通りじゃ。儂は生きるために戦う。儂はのう、和泉守。名誉や誇りのために死ねるほど、豊かな世界に生きておらぬのだ」

ガシャン、と、金属同士の当たる大きな音が響いた。銃形態だったそれが剣形態に変わる。艶消しの黒で統一されたそれは、これから和泉守を虚無の深淵へを落とす、大きな穴のようで。
震えを殺し、和泉守が走り出す。審神者を斬り殺そうと、刀を振りかぶる。その瞬間だった。その重厚感を感じさることなく、審神者は神機を振るった。それは無慈悲にも和泉守に―――『和泉守兼定』に、力任せに叩きつけられた。

「和泉守兼定、 礼を言おう」

その思いも、生き様も。儂よりも、ずっと、ヒトらしい。
和泉守の姿が、空気に消えていく。本体である刀が音を立てて折れた時、その姿は、残滓すら残っていなかった。たった一人、荒れ果てた戦場に立ち尽くす。

「すまぬ」

和泉守だった刀身の欠片を拾い、掌に食い込むのも厭わず、力一杯握りしめた。薄い皮膚を破り、肉に食い込んでいく刃。それを証明するように、地面に落ちていく血潮。
その欠片は、間違いなく和泉守の亡骸だった。無残にも折れ、もう修復はできない刀身。人に例えるならば、それは、間違いなく生命そのものだった。もう戻らない。もう動かない。声を聞くこともなければ、姿を見ることすら叶わない。

「すまない……」

亡骸を抱きしめるように、ボロボロになった刀剣の残骸をかき集めては、胸の前で抱え込む。それでも、どこか審神者の心は落ち着いていた。和泉守は、たしかに此処に居たのだから。その証拠が、審神者の手の中にあるのだから。
自らがいつも屠ってきた『仲間』は、いつだって、亡骸など残らない。
残るのは無骨な腕輪と、使えなくなった神機だけ。髪の一本すら、すべてが空気に溶けていってしまうのだ。―――あの、忌まわしきモノを構成するものに変わって。

「すまない、和泉守……!!」

掌から流れる血に、透明なものが落ちる。それはすぐ朱に染まり、元に戻ることは叶わない。



大義の傀儡
(糸を切れ。動かぬように)
(糸を括れ。動けぬように)
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