審神者と長谷部


―――それは、酷く、現実味があった。それこそ、現実なのだと思うくらいには。
草木も眠る丑三つ時。本丸の一番奥の自室で、審神者は目を覚ました。少し空いている障子の隙間から、月光が冷たく照らしている。審神者はしばし呆然としてから、キョロキョロと周りを見回した。本丸の自室であると理解したのは、それから暫くしてからで。
煩い動悸を深呼吸でやり過ごし、自分の右腕に視線を落とす。無骨な腕輪はしっかりとついたままで、その先の手も、間違いなく、ヒトのそれだった。それに安堵の溜息をつく。普段なら静かなそれは、ひゅう、と情けない音を響かせた。
気分が悪かった。酷く現実味があった夢のせい?それとも、収まらない動悸と荒い呼吸のせい?違う。自己嫌悪だ。夢の中で自分のした判断も、その結果も、目が覚めて安堵した事も。全てが全て、審神者の自己嫌悪に繋がっていた。自らの腕輪を抱え込むように抱きしめて、再び、息を吐く。震えたままだ。
審神者はそっと布団から出て、縁側へと向かった。冷たい月光が夜を照らしている。蒼白い満月は、ひどく見慣れない。審神者の世界の月とは違うのだ。人の業と神々との戦いの象徴となった、あの、緑化した月、とは。

「主、お休みにならないのですか?」

「……長谷部か。ぬしこそどう―――いや、近侍ゆえ、か。すまぬことをしたのう」

声をかけてきた長谷部に、審神者は苦笑い混じりに詫びる。長谷部は穏やかに笑んだまま、いえ、と返した。その声色はいつもと変わらない。
審神者は縁側に腰を落ち着けると、自らの横を軽く叩く。その意図が分かったのだろう、それを渋る長谷部に、審神者は来い、座れ、と短く命令する。そうすれば、長谷部がそれを聞き入れると知って。
長谷部がそっと、審神者の横に座る。暫くの間、静寂がそこを支配していたが、ふと、長谷部が口を開く。

「なにか、ありましたか」

「何故そう思う?」

「…………腕輪を、ずっと抱いておりますので」

指摘されて初めて、審神者はその事実に気がついた。自らの右腕にある無骨な腕輪を、まるで宝物のように抱えている。気恥ずかしくなってすぐに放したが、審神者の視線は腕輪を追うばかり。長谷部も同じように、紅色のそれを見据えていた。

「その腕輪は、大事なものなのですね」

「……まあ、な。別にコレは価値のあるものではないが、儂が儂であるためには必要な物ゆえ。生物が自らの命を惜しむようにするのと同じこと。コレ自体には何の意味もありはせぬ」

そう言って、審神者は乾いた笑いを漏らす。それはどこか自嘲じみていて、それでいて、飽和するくらいの諦観が含まれていた。
再び、静寂が空間を支配する。満月に薄雲がかかり始め、陰っていく。月光が弱まり、雲が何かを暗示するかのようにぼうと鈍く輝く。そんな中、審神者が小さく言葉を紡いだ。

「―――のう、長谷部」

「なんでしょう」

「ぬしは『主命』であれば、なんでもこなすのか」

「もちろんですよ。何をしましょうか?家臣の手打ち?寺社の焼き討ち?御随意にどうぞ」

冗談なのか、はたまた本気なのか、長谷部は穏やかに笑んだまま、物騒なことを口にする。審神者はそれに苦笑いをするも、ふと真面目な顔をして、静かに、だがハッキリと、自分の胸の内を吐き出した。

「儂を斬れ」

「――――――……え、」

「なんでもこなすのであろう?ならば、儂を斬り殺せ」

目を見開き、呆然と見据える長谷部を、審神者はまっすぐと見つめていた。その眼に、嘘偽りや冗談の色は微塵もない。あるのは、どこまでもまっすぐで、真摯な願い。淡い希望と、切実なまでの祈り。
長谷部は、動けない。まるで金縛りにあったかのように、指の一本すら、動かせない。言われた言葉だけが反響し、ぐるぐると胸中で暴れまわる。口が乾き、喉の奥が張り付いている。声が出ない。震えた呼吸が、ひゅう、と喉を鳴らす。

「長谷部」

審神者の声が、聞こえる。それは酷く優しくて、まるで、母親が子供に語りかけるような、赤子をあやすような、そんな声色だった。
じいと見据えられた眼から、逃れられない。目が逸らせない。

「ちょいと悪ふざけがすぎたのう。すまんな、長谷部」

だが、いつもの軽い調子でそう言われて、長谷部は再びきょとんとした。フッと体が軽くなり、さっきまでの金縛りが嘘のように自由になる。カラカラと笑う審神者に、頭を抱えてため息をつく長谷部。

「せめてもう少し、笑える冗談をおっしゃってください」

「すまぬすまぬ。…………だが、あながち冗談でもないのでな」

下を向いていた視線を瞬時にあげて、審神者を見据える。審神者の眼は長谷部ではなく、まるで穴のようにぽっかりと浮かんだ、寒々しい満月を見上げていた。淡々と、言葉は紡がれる。

「遅かれ早かれ、儂はいつか喰い殺される。ヒトでは無くなる。ぬしらのようになれるはずもない。儂は『アラガミ』になり、全てを食い尽くそうとするじゃろう」

「………………」

「そうなる前に。手遅れになる前に。人ならざる前に、……ぬしらには儂を殺してもらわねばならぬ」

月光のせいだろうか。月を仰ぐ審神者の眼は、いつもの黒ではなく、紅色が混じっているように見える。瞳孔が開いている。そう。例えるならそれは、ケモノの、それで。
ざあ、と、風が二人の間をすり抜ける。それは戦場を渡ってきたのか、それとも気のせいか、ふわりとした血と硝煙の匂いを孕んでいた。長谷部にとっても、審神者にとっても、それは嗅ぎ慣れた、戦いの匂い。自らの身に染み付いた、存在意義の証明。

「儂が儂自身を、自らの愛機で貫く前に」

せめて死ぬときくらい、誰かと一緒にいたいのだ。どうせ独りで逝かねばならぬゆえ。
ぽつりと零された言葉は、のらりくらりとしている審神者の、紛うことなき本音だった。その眼に恐怖はない。あるのは穏やかな諦観。それだけだった。
何故かと、どういうことかと問う前に、審神者はスッと立ち上がる。長谷部に背を向けて、肩越しに振り返った。

「つまらぬことで時間を取らせたのう。儂は休むゆえ、ぬしもそうするといい」

「…………主命とあらば。おやすみなさいませ」

審神者は振り返ることなく、自らの部屋へ戻っていった。いくら近侍とはいえ、主の部屋に足を踏み入れることはできない。長谷部は踵を返すと、足音を殺してその場から離れていく。

「――――――……クソッ」

小さな悪態は、闇夜に溶けて、消えた。



奥底に眠るもの
(それは紛うことなく『神』である『ヒト』ゆえの『なにか』で)
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