審神者と左文字兄弟


「よく戻ったな、小夜。怪我は?」

「ないよ」

「そうか、なら良い」

そう言って、審神者は小夜左文字の頭をぐりぐりと撫で回した。そうされた小夜はと言えば、自らの手を頭に持っていき、きょとんと審神者を眺めていた。自分は戦帰りで、決して綺麗な状態ではない。大した事が無いとはいえ怪我もしてるし、土埃や血で汚れている。そんな自分を、綺麗で戦など知らないであろう主が、躊躇いも無く撫で回すとは思っていなかったのだ。

「おや……小夜。戻っていたのですか」

「江雪兄様。うん、今さっき……」

「宗三も来ておったのか。カカッ、左文字兄弟と儂だけというのは、初めてじゃのう」

背後からの声に小夜が振り向くと、こちらに向かってくるのは、兄である江雪左文字と宗三左文字だった。人間のような血縁関係ではないにしろ、同じ刀工に作られた刀であるが故に、人間なら兄弟に値するのだろう。そんな事を考えながら、審神者はカラカラと笑う。それを見た小夜が、ねえ、と、審神者に向かって言葉を紡いだ。

「何じゃ、小夜。言うてみよ」

「あなたは、……僕が、怖くないの……?」

「怖くなどないが………………すまぬ、順序立てて説明してくれぬか?何をどう考えて、儂が小夜を怖がると思ったのか、儂にはよう分からぬ」

少し困ったように審神者がそう言うと、小夜も目を逸らして、その、と言い淀んだ。少しばかりの、静寂。小夜も審神者も、言葉を発さない。
後ろから見守っていた江雪と宗三は顔を見合わせ、それから、少し呆れたように、だが穏やかに笑った。主、と声をかけたのは、宗三だった。

「小夜はですね、戦帰りで汚れて血も付いている自分を、貴女が怖がると思っていたのでしょう。そうでしょう、小夜?」

「うん……」

「戦帰りで多少汚れているのは仕方ないとしても、それがどうして儂が怖がる理由になるのか、イマイチよく分からぬのう」

「貴方は……戦を知らないのでしょう?」

江雪の言葉に、今度は審神者がきょとんとする番だった。そういえば、そういう話をした事は無かったし、刀剣達の見えるような場所で訓練や鍛錬の類いをした事など、勿論無かった。

「む?勿論ぬしらの言う『戦』は知らぬが……儂とて戦場に立つ身。その程度、可愛いものじゃろうて」

寧ろ生きて帰ってくるのなら、上出来じゃろうて。そう言って、審神者はまた笑う。左文字兄弟は対照的に、ぽかんとしたような表情をしていた。主が戦場に立っていたなど、聞いたことが無い。確かに、自分達にする指示は何時も的確だったが、それは定石と呼ばれるに相応しいものだった。故に、学んだものだろうと思っていたのだ。何より、その細い身体では武器を振るえないだろうと、豆の無い掌は、武器など握った事が無いだろうと思っていたのだ。
それを感じ取ったのか、審神者は苦笑いを零す。だが、そのことには触れず、言葉を続けた。

「ぬしらが構えるその刃も、敵を見据える鋭い眼も、振るうと同時に翻る髪も、散って汚す血の雨も、ぬしらがぬしらである所以じゃろう。結構なことじゃ。戦が嫌いならそれで良いし、逆に出陣を望むのならそうしよう。復讐を望むならそれで構わぬし、矛先を儂に向けるのなら向ければ良い。まあ、抵抗くらいはするがのう」

そう言って、審神者は屈託なく笑う。だが、容赦はしないと眼は語っている。やれるものならやってみろと、挑戦的に見据えていた。

「それに、それを言うなら、儂の方がずっと汚れておる」

「……どうして?」

「私にも、分かりかねますね……貴方は、人でしょう」

「それなら、僕の前の主の方がずっと汚いと思いますが」

「何をしたかは知らぬが、そ奴が人であるなら、それは汚れてなどおらぬ。儂は違う。他のものが混じっておる。儂の仇とも呼ぶべき、忌むモノが。儂は人であって、人ではない。何にも属せぬ、穢れそのものじゃ」

そういった審神者の眼は諦観が占めていた。だが、其の奥、ずっとずっと、深層というべき最奥には、ハッキリとした狂気が見て取れた。何人にも壊せぬ、囚われたままの殺意。

「あなたには……復讐したい相手はいる……?」

その低い声は、若干の怯えを含んでいた。そう問うた小夜に、審神者は、おらぬよ、と穏やかに笑う。
だが、その眼は刃のように鋭く、氷のような冷たさを持って、左文字兄弟を射抜いていた。まるで戦場であると錯覚するくらいの、張りつめた雰囲気。其の中で、審神者は笑ったまま、まるで天気をとうような軽さで口を開いた。

「喰い殺す相手は居るがのう」

上がった口角。唇をなぞる舌。じいと見据える眼。それはまるで、獣の、ような。
左文字兄弟は動けない。初めての感覚だった。負ける、斬られる、折られる―――今までに感じた感覚とは違う。

だが、三人は理解していた。
このままでは、自分達は、目の前の主に、『喰ワレル』、と。

どれ位の時間をそうしていたのかは分からない。寸の出来事だったのかもしれないが、永遠のようにも感じられた。自らの急所に牙を突き立てられたかのような悪寒。それから、自分はこれから死ぬのだと、壊れるのだいう、絶望。
―――それらは、おっと、という審神者の軽い声で、一斉に、壊れた。

「戯れがすぎたのう、すまぬな。小夜、手入れ部屋に行ってくると良い。それから、八つ時の菓子もある故。江雪、宗三、たまには兄弟水入らずで過ごしてきたらどうじゃ」

「……ええ、そうですね、そうさせてもらいます」

「僕もそうしますよ。小夜、行きましょうか」

「うん。……じゃあ、また何かあれば」

「うむ。ゆっくりしてこい」

審神者は何時もの調子でそう返し、左文字兄弟に手を振った。角を曲がって、その背が見えなくなるまで。見えなくなって、振っていた左手を降ろす。視線の先は、右手首の、腕輪。

「儂にぬしらを導く資格などありはせぬ。……やはり、自ら駆けるほうが楽じゃ。何時になったら、儂は戻れるのかのう…………」

脳裏に浮かぶのは、壊れかけた都市と、滅びかけの文明。我が物顔で闊歩する荒ぶる神々。それでも尚、抗う人類。
最強と称される『神を喰らう者』。それは既に、荒ぶる神々と同等の場所まで、登ってしまっていた。
人でありながら、神々を貪り喰らう。
神々でありながら、人であると騙る。
その罰がこの仕打ちだというのなら、『運命』とやらは、少々皮肉が過ぎるのだろう。

「つまらぬのう」

その言葉は、何にも、届かない。




人になった刀、人と騙る武器
(矛盾には気付かないフリをするだけで)
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