彼女が審神者になったわけ
この世界は、神に喰い荒らされている。 地上は神が支配する楽園―――世界は、人々が生きることを許さない。
今から数十年前、謎の生命体が突然現れた。あらゆる対象を捕喰しながら進化を遂げ、増殖する謎の怪物に人類はなすすべもなく、人も、都市も、自然も、ありとあらゆるもの喰い荒らされ、文明社会は崩壊。既存の兵器は一切の効果がなく、世界の総人口は百分の一にまで減少した。 人類はその怪物に畏怖の念を込め、極東地域に伝わる八百万の神々になぞらえ、こう呼んだ。
《荒ぶる神々》、『アラガミ』と。
*
ガシャン、と、金属同士がぶつかる重い音が響いた。次の瞬間には、連続する発砲音。それは拳銃のそれよりは重く、大砲のそれよりは軽い。放たれたものは鉛玉ではなく、オラクルバレットと呼ばれる高エネルギー弾だった。レーザー状のそれは銃口から即座に上に向かい、そこから重力を乗せて、標的に向かって直進する。標的はゆっくりと力を失い、どうと地面に倒れた。 ぜえ、と、荒い息遣いが溢れる。身体はとうに限界を迎えていた。大きな傷こそないものの、小さな傷は数え切れないほどあり、少しでも気を抜けば、そこに崩れ落ちてしまいそうなほど疲労していた。
「全く……歓迎にしてはちいとばかし盛大過ぎじゃのう」
たった一人、アラガミの軍勢に立ち向かう彼女は、この状況でも笑っていた。勝てる見込みがあるからでも、死なない自信があるからでもなかった。ただ、今こうして戦い、生きている自分は一人でないのだと、確信しているからだった。 同じように戦う仲間がいる。 精一杯生きている人々がいる。 自分の守るべきものと、自分の命を賭けて、彼女は戦っていた。この孤立無援の状態で、ずっと。退路はすでになく、救援も増援もこないことなど、とうに理解していた。それでも、彼女は退くわけにはいかない。自分の後ろには、守るべきものがある。その信念だけで、彼女は武器を握り、抵抗を続けていた。 アラガミの咆哮が響く。赤く禍々しいオーラが凝縮され、彼女に向かっていく。それに呼応するように、アラガミ達が攻撃を連ねる。砲撃。落雷。凍結。火炎。それは無慈悲にも、彼女にだけ向けられていた。轟、と、低い唸りが耳を劈く。
「折角じゃ……最期まで生き抗ってやろうッ!!」
俊敏な動きで、彼女はそれを避け、時に薙ぎはらう。向かってくるアラガミ達を、その武器で斬り捨てる。その瞬間だった。一体の大きなアラガミが、彼女を喰らわんと、その大きな口を開けて飛びかかってきた。
「クッ……!!」
装甲を開く。だが、それは間に合わなかった。それをすり抜けて、アラガミは彼女の左肩に、深々と噛みついた。悲鳴が漏れる。痛みに視界が歪む。それでも、彼女は怯まない。渾身の力で、武器を振るった、その、瞬間。
――――――――――――ざあ、
すべての、ものが、きえた。 彼女は、痛みも忘れて立ち尽くす。自分はさっきまで、アラガミと戦っていたはず。さっきまで、退廃した都市にいたはず。さっきまで、アラガミに噛み付かれていたはず。振るった武器に感触はなかった。じゃあ、なぜ―――すべてが、きえて、いるのだろう? 見渡す限り、砂漠だった。無限の砂漠。虹色の空。どこまでもつづく、地平線。
「初めまして」
不意に声をかけられて、彼女は後ろを振り返った。黒いスーツ姿の男が、穏やかに笑んでいる。姿形はどう見ても人だった。だが、この常識離れした場所に平然といるあたり、彼女はその男を信じることができない。警戒を解かずに、彼女はゆっくりと男の方へ体を向ける。
「……ぬしは、人か?」
「勿論」
彼女の、見当違いともとれるような質問に、男は即答した。笑顔は崩れない。それがさらに、彼女の疑心暗鬼を増長させた。挙動のひとつすら、見落とすものか。彼女はじいと、男を見据える。
「此処が何処か、知っている風じゃのう」
「ええ、勿論。ここはね、『時の砂漠』です」
飄々とした態度のまま、男は答える。砂漠というのなら、それは納得できる。あたり一面が砂なのだから。だが、『時の』とは、どういうことなのだろう。思案する彼女に、男は、続ける。
「あなたの生きていた『時間』は、消失しました」
「…………は、ァ?」
素っ頓狂な声が出た。それもそうだろう。男が至極当たり前に発した言葉は、どう考えても現実的ではない答えなのだから。 『時間』が消失するとは、どういうことなのだろう。それがこの、訳のわからない砂漠とどう関係があるのだろう。 彼女が低い声でどういうことだ、と問う。男は、微笑んだままだ。
「過去が変わったことにより、未来が―――この場合、『あなたの生きていた2071年』は、無くなったんです。あなた以外の人間も、物も、歴史も、何もかもがね」
「そんなものを認めろというのか。戯言も大概にせい!」
「おや。うっすらと感づいているというのに、まだしらばっくれるのですか?」
男が小馬鹿にしたように笑う。そのまま、彼女に一歩近づくと、まるでオペラのように両手を広げ、高らかに『宣言』した。
「ならば言いましょう。どの世界、どの時間軸においても、あなたの居場所など存在しない!」
がつん、と、鈍器で殴られたような衝撃。感づいていて、だが、それを認めたくなくて、ずっと否定し続けてきた事象だった。何も無くなったのだ。アラガミが全てを喰い尽くすよりも綺麗に、何もかも、全てが。 それと同時に、彼女は心の隅で安堵していた。自分は死んでいない。いや、死んだも同然だが、こうして息をして、思考している。間違いなく、この瞬間、自分は生きているのだと。その瞬間、忘れていた痛みがぶり返してきた。噛まれた肩。神機を握りすぎて痺れた手。火傷、凍傷、裂傷。その全てが痛む。まだ死んでいない。唯一の命令を、まだ、守れている、と。
「……何故、儂だけが残った。時間が消え、全てが消えたのならば、儂も消えるが道理じゃろう」
「あなたは『特異点』なのですよ。時の流れにおける『特異点』。そして、それゆえに―――あなたには『審神者』の資格がある」
男の話はどうも要領を得ない。どこかボケているような、焦点の合わない、気味悪さ。だが、それを指摘するのは、どうも無粋な気がして、彼女は大人しく話を聞いていた。それが吉と出るか凶と出るか、それは誰にもわからない。だからこそ、彼女は自分の判断を信用し、その責任を負って行動していた。
「この時間を取り戻したいのなら、『審神者』になりなさい」
「さにわ、じゃと?」
「ええ、そうです」
怪訝な顔をする彼女に、男は続ける。
「あなたの時間が消えた理由―――それは、『歴史改変主義者』の介入によるものです。それに対抗すべく、我々『時の政府』は、『審神者』を見つけ出し、刀剣より生み出されし付喪神と一緒に戦っていただいています」
「つまり、儂がその審神者とやらになって、その付喪神と、歴史の改変を止めろ、と?」
「その通りです。そうすれば、あなたの生きていた2071年も元に戻るでしょう。……私には、戻るほどの価値が有る時代には思えませんがねえ」
「黙れ!何も知らぬ輩が、この世界を語るな!!」
彼女が声を荒げる。男はすこしキョトンとしてから、失礼いたしました、と、微笑みながら頭をさげた。彼女の、神機を持つ手に力がこもる。小さく息を吐いてから、まっすぐ、男を見据えた。その眼に、諦観も動揺も見られなかった。ただ、あるのは、清々しいまでの覚悟、のみ。 自分たちの命令は実にシンプルだった。死ぬな。死にそうになったら逃げろ。そして隠れろ。運が良ければ、不意をついてぶっ殺せ。今、彼女の前には生きるための選択肢があるのだ。それなら、仮にそれが、どんな愚行蛮行であったとしても、生きるためにしてやろう。どうせ、生きるべき世界はもうないのだから。
「良いじゃろう。審神者とやら、引き受けよう。……じゃが、忘れるな。ただの利害の一致に過ぎぬ。妙な真似をしてみろ、貴様を喰い殺すぞ」
「英断ですね。……では、これからあなたの拠点となる本丸に向かいます。転送しますから、一瞬ですけど。何かお困りのことがあったら、ご連絡ください。…………そういえば、名を聞いていませんでしたね」
「世界が消え、儂の存在意義もない今、名乗る名など持ち合わせておらぬ。審神者と呼べばよかろう」
「そうですか、では―――審神者殿。よろしくお願いいたします」
男は穏やかに笑んでいた。彼女はそれに目もくれず、ただ、前を向いていた。
「死んでたまるものか。生き抜いてやろうぞ」
F.A.T.E. (これは運命なんかじゃない) back
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