審神者がトぶ話


「なァ大将、俺もあんまり口やかましく言いたくはないんだが……もうちぃっと大人しく出来ないモンかね」

「後ろでのうのうと指示をしているだけなぞ、願い下げじゃ」

顔にできた切り傷を消毒しながら言う薬研に、審神者はそう言い捨てた。その様子に、薬研はため息をつく。
そもそもの切っ掛けは、審神者が戦場に立ってしまったことだった。出陣の帰り道、改変主義者の生き残りか、はたまた別の何か――少し距離があって、薬研からは見えなかった――が、審神者達に襲い掛かってきたのだ。油断していた、気を抜いていた、そう言えばそれだけだが、刀剣達は一瞬、反応できなかった。反応できたのは、審神者だけ。審神者はこともあろうに、襲い掛かってきたそれを、素手で殴り倒した。慌てる刀剣達を余所に、審神者はそれを悠々と追い返したが、頬に一つ、切り傷ができてしまったのだ。
薬研は傷の血が止まったことを確認して、塗り薬を薄く塗る。少し痛んだのか、審神者が僅かに顔をしかめたが、薬研に気にする様子はない。終わったぞ、と審神者に声をかけて、手当に使っていたものを仕舞った。

「ああ、すまぬな薬研」

「良いってことよ。けど、これで懲りて欲しいもんだな」

「まだ言うか。儂はぬしらだけに戦わせるような真似はせぬぞ」

薬研の言葉に、審神者は硬い声色でそう返した。片方しかない眼はじいと薬研を見据えており、鋭くぎらぎらとしていた。まるでそれは、戦いの時に向けるそれのようで。
それを見てか、薬研も眼を細める。自身の刃渡のような、すうと研ぎ澄まされた鋭さを携えていた。

「……大将。俺達は刀剣だ。刀剣が戦うのは当たり前だろ。だがな、大将は生身の人間だ。手入れをしたら直る俺達とは違うんだ。頼む。自重してくれ」

それはどこか、切実とも取れる訴えだった。願いとも、祈りともとれるようなものだった。粉うことなく、それは薬研の本音だった。
審神者はそれを、どこか上の空で聞いていた。薬研が何を言っているのか分かっていても、理解するのを頭が拒否していた。どうして戦ってはいけないのだろう。戦うことは、生きる事。生きるために戦ってきたのだ。人でありながら盾であり矛であり、『人類最後の砦』と言われ続けた。それなのに、どうして――――――その『存在意義』を、奪われねばならないのだろう。

「…………すまぬ。それは無理だ」

審神者のその言葉は、ほぼ、無意識に紡がれていた。その証拠に、審神者の眼の焦点はどこか合っておらず、薬研とこの世界を通して、別の何かを見ているようにさえ感じる。
薬研の眼が見開かれる。だが、次の瞬間、まるで戦場にいるときのように、鋭く、殺気を孕んで細められた。ぴり、と、空気が張り詰める。

「なら、しょうがねえなあ。動けないように、"アンタ"の脚、斬っちまおうか」

薬研が自身を抜いた。光に反射する刀身に刃こぼれなどはなく、ただ、美しく輝いていた。紫水晶のような眼は据わっており、本気であることがありありと伝わっている。審神者のことを『大将』と、自らの従う相手だと呼んでいないことも、それに拍車をかけていた。
審神者は自らに近づく刃を、じいと見据えていた。それが、皮膚を突き破りそうになったその瞬間。

「――――――――ッ!!」

審神者の眼が見開かれ、薬研が予想していたよりも早く、その肢体を動かした。
薬研の刃が肌を斬るのも意に介さず、その華奢な身体のバネを活かし、薬研の身体を外に蹴り出す。斬れた皮膚から鮮血が飛び散ったが、審神者はそれを気にもしない。
逆に、それに驚いたのは薬研だった。確かに自分は刀を抜いて、事もあろうに、主にそれを向けた。ちょっとした脅しのつもりだったのだ。こうなったら動けないだろうと、そう言って笑うつもりだった。やりすぎたとは思う。だが、―――これは、予想外にもほどがあったのだ。審神者がこんなに動けるなど、誰が思っただろう。
蹴り出された薬研の身体は、手合わせをしていた大倶利伽羅と歌仙の間を飛び、植木に突っ込んだ。二人が驚く暇もなく、審神者は薬研を追って外に飛び出す。その眼は薬研を薬研と見ていない。
ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、大倶利伽羅が手を伸ばし、審神者の手首を引っ掴んだ。だが、華奢な体にこれほどの力があるのかと思うほど、審神者の力は強かった。少しでも力を抜けば、やすやすと振り払われてしまうのではと感じるほどに。

「何してるんだ、アンタ!」

珍しく大倶利伽羅が声を荒げた。それほどまでに、審神者の雰囲気も、しようとしている行動も、常軌を逸していた。その声に我に返った歌仙が慌てて、薬研の元へ駆け寄る。植木に突っ込んだのが幸いだったらしく、薬研に大きな怪我はない。せいぜい、小さな擦り傷程度だった。

「離さぬか、"ソーマ"!!」

審神者が噛みつくように叫ぶ。それは大倶利伽羅に向けられていたのにもかかわらず、呼ばれた名は違うものだった。大倶利伽羅は一瞬目を見開いたが、すぐに、離すものかと手に力を込める。

「大倶利伽羅、そのまま、押さえててくれ!」

歌仙はそう言うと、木刀を落とし、つかつかと審神者の眼の前に向かった。そして、審神者が何かを言うよりも、手足を出すよりも早く、その頬を勢い良く引っ叩いた。
パァン!と、軽い音が響く。大倶利伽羅も、薬研も、審神者さえ、その行動にきょとんとして、動きを止める。

「何してるんだい、君ともあろうものが。君がいるのは本丸だ。敵なんていないし、ましてや、ここは君の生きてた場所じゃない」

「………………か、せん?」

審神者の眼が、歌仙を映す。まだ少し焦点がぶれてはいたが、きちんと現状を理解し始めていた。その様子を見てか、大倶利伽羅が手を離す。薬研も痛みが引いたのだろう、ゆっくりとした足取りで、審神者に向って歩き出した。

「そうだよ。歌仙兼定。……全く、何してるんだい。手当てするからこっちにおいで」

「……ああ、すまぬ。薬研、大倶利伽羅、情けないところを見せたのう。詫びは後でさせてくれ。歌仙、引っ張らんでくれ、痛いぞ」

「いいから」

歌仙にぐいぐいと腕を引かれて、審神者は少したたらを踏んだ。だが、転ぶことはなく、歌仙の背について行っていた。その様子を、大倶利伽羅と薬研が、半ば呆然と見送っている。

「……おい、なんだったんだ?」

「あー……元はと言えば俺のせいだが……よくわからん」







「はい、これでいいよ」

「すまぬな、歌仙。礼を言う」

「どういたしまして」

審神者の足は、歌仙によって丁寧に処置された。それを見下ろし、すうと撫でる審神者を見ながら、歌仙は徐に口を開く。

「で、何がどうしてトんだんだい。止めるのが面倒だからやめてくれと、再三言ってるだろう」

「さあ、よう分からぬ。だが、ぬしらには悪いことしてしもうたのう」

笑いながらそう言う審神者に、歌仙は眉間のシワを深くした。いつもそうだ。いつだって審神者は、そう言って感情をひた隠しにする。

「……ソーマ、って、誰だい」

だから、挑発するような真似と知って、歌仙はそれを問うた。審神者の眼が見開かれる。なぜ知っているんだ、とでも問いたそうな表情。歌仙は、続ける。

「大倶利伽羅に向けてそう言っていたよ。僕達にはしないくらい、感情をむき出しにして『離せ』とね」

「……そうか、それは、大倶利伽羅に悪い事をしたのう。あとで詫びておかねばな」

「僕が言いたいのはそういうことじゃないんだけど」

歌仙が声を低くして、語気を強める。だが、審神者は申し訳なさそうに、少し困ったように笑うだけ。それを見た歌仙は表情を歪めて、審神者から目を逸らした。こうなっては何も言わないと、歌仙はよく知っていた。審神者は自らの過去を語らない。心中も吐露しない。どこまでも近く、どこまでも遠いのだ。

「なあ、歌仙」

「なんだい」

「儂はここに、……"在"るか?」

「…………ああ。僕の眼の前に」

出会ってから、幾度となく繰り返された問い。決まり切った答え。定型句。それを聞いて、審神者は笑った。無邪気に、だが、……悲しそうに。
ありがとうな、歌仙。そう言って、審神者は部屋を出て行った。その背を見送って、見えなくなってから、小さく息を吐く。

「主、君はどうして、……無理して笑うんだい」

さっきとは違い、答えは、ない。
歌仙は知らない。審神者の思いも。その感情も。その絶望も。何もかも。

「…………どうして、どうして儂だった……どうして、逝かせてくれなかった……!」



業火の叫び
(誰も知らない、誰も分からない、未来の行く末は、――――――)
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