IF:審神者が神に喰われる


※審神者の闇落ち(アラガミ化)の話




―――それは、唐突だった。
いつも通りの進軍だった。敵の大将を討ち取り、帰ろうとした、その時だった。

「……主?どうかしたの?」

異変に気付いた蛍丸が、審神者に声をかけた。いつもなら先頭を歩く審神者が、一番後ろになっていたからだ。足を止め、振り返った蛍丸に倣い、他の刀剣達も審神者を見据えた、その、瞬間だった。
バキン、と、大きな音を立てて、審神者のしていた赤い腕輪にヒビが入った。黒い靄が立ち上る。

「おい、大丈夫か?!」

「来るなッ!」

伸ばされた獅子王の手を振り払う。その拍子に審神者はよろけ、横にあった木の幹の下に座り込んだ。顔色が悪い。息が荒い。それを隠すように俯いて、審神者は静かに、絶望を吐露した。

「もう、遅い」

それは酷く落ち着いていて、澄んだ声は、こだまのように反響した。
ぜえ、と、審神者の荒い息が漏れる。辛いのだろう。苦しいのだろう。それでも彼女は、いつものように、不敵に笑っていた。

「なあ、ぬしらに、最後の命を言うてもいいかのう」

「…………あなたの命なら、聞くしかないよ」

小夜が小さな声で、絞り出すように言う。審神者はその様子を見て、満足そうに頷いた。ここで拒否されていたなら、今すぐこの場から立ち去るつもりだった。誰も追ってこれないくらい、遠く、遠くへ。
その思いを胸に、審神者はゆっくりと口を開いた。

「儂を、斬れ」

風が、止んだ。
息を飲んだのは、誰だったのだろう。全員が信じられないといった眼で、審神者を見据えていた。いつもなら、この辺で冗談だと、してやったりと悪戯っ子のように笑うのだ。だが、今日に限って、それが、ない。
痺れを切らして、この雰囲気に耐えられなくて、主よ、と、宗近が呼びかける。

「はは、……冗談か?ちと笑えぬな」

「こんな下らぬ冗談を、儂が言うとでも?」

希望が混じった宗近の言葉は、バッサリと両断された。見開かれた眼に浮かぶ三日月を、審神者はまぶしそうに見据えている。

「本気じゃ。儂を斬り殺せ」

「ッ俺達に!俺達にそれができると思ってんのかよ!」

和泉守の言葉に、審神者は否定も肯定もしなかった。ただただ意味ありげな笑みを湛えて、彼らを見つめている。目は口ほどに物を言う。刀剣達は理解してしまっていた。できると思っていると。審神者を貫くなど、たやすいことだと知っているのだと。
審神者は、すまぬのう、と、小さく詫びる。

「酷い奴だと自覚しておる。じゃが、儂は、死ぬまで人間でありたい。ぬしらの知る、人間の審神者として死にたいのじゃ」

このままでいたら、アラガミになる。
小さく紡がれた言葉に、刀剣達は絶句した。アラガミ。審神者から聞いたことがあった。審神者の世界にいた、人類の敵。屠るべき化け物。何もかもを喰い尽くす、荒ぶる神々。
審神者の左目を隠していた眼帯が外れる。露わになる紅色の眼。人のそれでない、アラガミの眼。ずぐずぐと侵食が進み、顔の半分ほどが、黒く変わっていた。

「なあ、頼む。儂を化け物にせんでくれ。儂はぬしらを襲いたくない。折りたくない」

押さえつけられた右腕。その腕輪から先は、人のそれではなくなっていた。黒い、獣のような、手。黒い靄が、腕輪から漏れる。
審神者の目尻に涙が溜まる。だが、それは流れない。滔滔と紡がれる、切実なまでの願いとは違って。

「もう助からぬ。どうせ死ぬなら、愛するぬしらの手で死にたい」

誰も、動けない。
だが、隊長の歌仙が、一歩前に出て、自らを抜いた。目を見開く他の刀剣を余所に、彼は切っ先を審神者に向ける。審神者の、心臓に。

「そうだ、それで、いい」

審神者が満足そうに笑う。滅多に見ない、穏やかで、誰が見てもわかるくらいの、満面の笑顔。
空を仰ぐ。俯き、視線を逸らす刀剣たちとは対照的に。

「今日は死ぬにはいい日じゃ。最期に見るのがぬしらでよかった」

さあ、殺してくれ。
審神者の言葉に、震える手で刀を構えた歌仙が走り出す。誰も止めなかった。誰も、止められなかった。

「ああ、畜生」

歌仙の羽織が翻る。ふわふわとした藤色の髪も、美しい顔も、澄んでいる瞳も、審神者からはよく見えた。
最初から最後まで一緒だったのだ。どうせなら、目一杯褒めてやればよかった。その美しい見目も、ブレない太刀筋も、細やかな気遣いも、誇り高き魂も、その全てを。
切っ先が迫る。泣きそうな顔をした歌仙が、よく見える。最期に泣かせるなど、審神者失格ではないか。小さく自嘲する。まあ、それも、悪くない。

「――――――――――――」

鮮血と涙が混ざる。審神者は、笑っていた。




願いが叶うなら
(もっと、生きていたかった)




審神者の心臓を貫いた刃は、骸を大地に縫い付けた。だが、それから間もなくして、骸は空気に溶けていく。ずぶずぶと侵食されるように、黒い靄になり消えていく。
最終的に、審神者は、身にまとっていたものと、あの赤い腕輪を残して、跡形もなく消えてしまった。

「…………人というのは、難儀なものだな」

宗近の呟きに、誰も何も言わない。ただ、雪解け水のように美しい雨が、全員の頬を濡らしていた。
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