happiness



「あ」

ぱりん、と大きな音を立てて落ちたお皿が割れる。それと重なるように、言うことを聞かなくなった私の体が床に倒れこんでしまう。右手の甲から割れた陶器の破片の所為か、じりじりと痛みが伝わってくる。ところどころが痛む。貧血だろうか。金づちで殴られたような鈍く、だけどぐらぐらと脳みそが揺さぶられているように頭が痛い。

体に力が入らなくて立ち上がれない。この家には私とシリウスくんしか住んでいない上、ゴドリック谷というところから少し外れたところに孤立して建っている為、ここには私しかいない。助けを呼べるはずもない。

「シリウスく、ん」

シリウスくんは今はまだ寝ている。今日は朝帰ってきて、少しだけ怪我をしていた。5、6人の死喰人に奇襲をかけられたそうで、急いで応戦したものの2人逃してしまったという。きっと疲れているから、起こしてしまってはいけない。だけど私は愚かにも彼の名前を読んでしまう。本当に筋金入りのグズだと思う。

左腕の包帯が解けかかっているのが左目に映る。もうそんなに痛くないその内にある傷は、谷まで無断で出かけたときに怒られた時のもので、あとは骨にひびが入っているくらいだけど、あまり上手には動いてくれない。お皿はシリウスくんのお気に入りだった気がする。怒られる要素だけがどんどん増えていってしまう。私はどうしてこんなにもどうしようもない人間なのだろうか。シリウスくんのそばにいてもいい人間ではないように思う。

とんとん、と足音が聞こえる。床に倒れこんでいる所為でよく聞こえるそれは、きっとシリウスくんのものだろう。どうしよう。起き上がろうとしても、やはり力が入らない。

「…ハナ?」

どすどす、と足音が近づいてくる。焦ったような声がもう一度私の名前を呼ぶ。

「おい!どうしたんだよ!」

「…あ、ごめんなさい、貧血、みたいで」

背中に回された腕から柔らかい暖かさを私に伝えてくる。生きてるなぁ、なんてぼんやりと考えながらシリウスくんの灰の眼を見つめ返した。

「だからお前はグズなんだよ!だったら寝てろ!俺を呼べばいいだろ、なんでいつもそうなんだよ。バカだろ、お前は!」

「…ごめんなさい」

また迷惑をかけることになってしまった。私はいつまで経ってもグズのまま、シリウスくんにいつ捨てられてしまっても何も言えないようなどうしようもない人間なんだろう。つまらない人間だ。

 * *

「シリウスくん」

「…なんだよ」

「昨日ね、シリウスくんがお仕事に言ってるときにお医者さんに行って来たの」

気だるげな表情が一瞬で険しいものになる。それは私が医者に行ったということに対するものじゃなくて、「何も言わずに出かけた」というシリウスくんへの裏切り行為に対する嫌悪と憤怒からくるもの。いつもの行動パターンだから、私のようなグズでもわかる。

「それでね、」

「うるさい。黙れ。言い訳は聞きたくないっていつも言ってるだろ。お前はどうしていつもそうやって」
「違うの」

そう口を開くと、シリウスくんが意外そうに眼を見開くのが分かった。今まで、口答えというものはほとんどしたことがなかった。私は灰の眼を見つめながら、下唇を少し噛んだ。少しくらいじゃ血なんて出ない。シリウスくんに殴られたときほどには痛くない。

「私ね、お腹に赤ちゃんがいるんだって」

左の手首を掴まれる。あまり感覚がない。歪に固まった骨が左腕自体を曲げてしまっている。シリウスくんは信じられないというような顔で私を見ている。覗き込むような灰の双眸の瞳孔が少し開いて言うように見えた。驚いているの。私たちの関係は、どこかおかしかったけれど、それでも私たちは倖せになれるんだって、そう教えてもらった気がした。

「嬉しい?」

シリウスくんは答えない。

今が一番倖せな気がした。ああでも、シリウスくんに、結婚しようって言われて時もすごく倖せだった。その時は戸惑いの方が上回っている気がした。だから、今がきっと一番倖せ。

「…本当か」

「ほんと」

ぎゅうっとシリウスくんが私を抱きしめる。倖せというものは、お腹のそこから暖かいものがせり上がってくるようことを言うんだろう。胸が暖かい。倖せ。

「幸せになろうな、三人で」

「うん、嬉しい」

勝手に外に出たことへの仕置きは何もなく、こんなふうに抱きしめてくれている。すごく嬉しいのが分かる。私のようなグズなのに、それなのにシリウスくんがこんなにも私を大切にしてくれている。シリウスくんは素晴らしい人だ。私なんかには勿体ないひと。それでも私は、シリウスくんと一緒にいれて、こうなれて、すごく嬉しい。倖せ。そう、倖せ。



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