弱虫コメット


「……ね、ブラックくん」

「はい、なんですか先輩」

私には思うことがあった。例えば己が純血の魔法族ではなくてマグルの家の、本当にただの娘だったら、と。マグル学で習うことは興味深く面白い。気になるものがたくさんだ。だからといって私にはマグルの友達も、マグル生まれの友達もいない。純血主義の旗の下に生まれた自分を恨みはせども、両親を恨んだことはない。目の前で私の言葉を待つレギュラス・A・ブラックはどうかはしらないけれど、彼は闇の帝王に憧れているから、きっと私とは違うだろう。私が生まれるべきは、せめて半純血あたりの家だったのだろう。
だって私はマグルを蔑めないから。

「私ね、ブラックくんが好きだよ。どうあがいても君は死喰い人になってしまうんだろうけど」

「……はい」

一言で返された。口について出た小さな告白に対してなのか、死喰い人なることに対してなのかは分からなかったけれど、どこか恥ずかしい。


私は私なりに考えて言ってみたつもりだったのだけど、彼にとっては当たり前だったのかもしれない。死喰い人になるのは純血主義の、そして闇の帝王に従う家柄では当然。でも私はなりたくない。

地べたに座り込む。人よけをした夜の湖畔はひどく静かで、少し、ほんの少しだけ泣きたくなる。

「私はなりたくないんだ。だって、私、マグルだからといって嫌ったりしない、興味があるし、好きだもの。だから、なりたくない」

「先輩を説得するように、と」

「やだ。ねぇブラックくん、一緒にどこかへ逃げよう、ね、私やだよ。死喰い人になんてなりたくない、卒業だってしたくない」

「……」

母から「卒業したら晴れて死喰い人になれるのよ」と言われて絶望感に浸った。いやだ。なりたくない。そんな気持ちでいっぱいで、授業もテストもまともに受けないですべてエスケープした。結果、卒業できず留年。願ったり叶ったりだ。

同じ学年だったスネイプくんやマルシベールくんなんかはもう卒業して、きっと立派な死喰い人になっているんだ。いやだ、私は、そうはなりたくない。

「僕は、」

ブラックくんはぽつりと言葉を零した。座り込んでいたままの私は、視線を彼の顔にあわせる。灰色の眸は、無感情に私を見下ろしていて、途端に怖くなる。

「逃げてばかりだといけないと思います。僕の兄は闇から逃げました。闇払いになるんだ、と風の噂で聞きました。いつか、いつかきっと闇に殺されます」

「でも、文字通り闇を払うかもしれないじゃない。私は、私はそうなりたい。逃げられなくてそのまま闇に纏わりつかれて、息が出来なくなるくらいなら、私は」

「僕たちは逃げられないんじゃないんです、逃げる必要性がないだけです。逃げる必要がないのにそれを受け入れないのは臆病以外の何者でもありませんよ」

「私、弱虫だもん」

そう言って蹲る。ブラックくんは呆れたようなため息を吐いた。私は、そのまま声を殺して泣いた。


弱虫だから、母も父もブラックくんも、誰のことも嫌いになれなくて、ただ変化だけが恐ろしくて仕方がなかった。それでも夜の湖畔は緩やかに風で波紋をたてるだけ。



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