悪魔の懇願


首が絞まる。嫌いという言葉を私の耳と心臓に撃ちこんだ彼は、ゆっくりと私の首を絞めていく。嫌い。嫌悪。それすら構わないと私が彼を愛せたならば、どんなによかったんだろうか。私は嫌われて尚、その相手を愛することが出来るような出来た生き物ではない。

首が絞まる。私の心臓からは血が流れている。赤くはない。透明でさらさらしていて、それでもどろどろと溢れているもの。嫌いと言われるのは別に初めてではないし、そんなことで傷つくような繊細な生き物でもない。ただ、彼が泣きそうな顔をしてそんなことを言うものだから、私の心臓が痛みに叫んだ。いたいよ、くるしいよ。

「どうして、そんなことに」

わからないんだよ。そんな風に泣きそうな顔をしなくたっていいのに、私の心臓にそんなに傷をつけたいのだろうか。手を伸ばそうとしても、指先が麻痺してしまったみたいで、うまく動いてくれない。酸欠だろうか。こんなことを考えているから私の脳みそが酸素をどんどん浪費してしまっているのかもしれない。

首が絞まる。私はなんの抵抗もしないまま、彼の腕を受け止めていた。痛い。昔はあんなに小さくてか弱かったのに、いつの間にこんなに大きくて強くなってしまったんだろう。男の子って、これだからいやだなあ。

私の指先はまだ麻痺したまま、長くて黒い爪が彼を、雪くんを傷つけないですむならそれでいいなあって呑気に考えて、彼の顔を見た。相も変わらず泣きそうなまま、怖い顔をしている。ひどいや、ひどいよ。

「ね、撃ってよ」

首を絞めるのはもう勘弁してよ。掠れた声でそう言った。ちゃんと届いたのかはわからないけど、どうにか声に出来たそれは、彼の顏をもっと泣きそうな、そして怖そうな顔にするのには十分すぎることだったらしい。

「僕はどうして、そうなったかを聞いているんだ!」

首がぎゅうと絞まって、喉からかすかすしたひゅう、とかいう声が漏れた。言えっていうのなら首から手をを離すものじゃないのかな。そんなことでこれから大丈夫なの、ねえ、私がいなくなって、それから大丈夫なの?

明確な理由なんて私にはわかんないし、どうしてこうなってしまったのかなんて私にわかると思うの。私はずっと馬鹿で、やっと頑張って祓魔師になったんだよ。でももうそれですらないから、もう、わかんない。

「言わないなら、ここで処分を下すことになるんだよ」

そうしてくれって、今言ったよね。首にかかった圧力が弱まる。咳き込むと、雪くんが唇を噛んだ。血が出そうなくらい、強く、強く。結構長い間絞められていたのに私の首の痕はきっとすぐに消えてしまうんだろう。それが私がしてしまったことの証明。悪魔堕ちなんて、祓魔師の恥晒し。

「撃ってよ」

呼吸が安定したところで、もう一度要望を告げる。だって、このままだとヒトの理性が悪魔の本能に食い尽くされちゃう。ここまで必死に抑えてきたのに、ここで食われたらすべて水の泡じゃないか。どうすればいい?ここで雪くんを殺しちゃえばいい。だけどそんなことは好きじゃない。どうせなら雪くんに殺してもらえたら。悪魔だと、骨は残らないのかな。寂しいよ。

「僕は理由を聞いて…!」

「私、殺しちゃうよ」

にっこりと笑う。首の痛みはもうない。心臓が痛むのは、気にしないことにする。雪くんは私を嫌いだ。弱い私が嫌い。強くなったつもりでも、まだ中身は子供だった。心は弱いままだった。嫌われたくなかった。好きだった。

雪くんが私の額に銃口を突きつける。かちり、安全装置が外された音。そうだよ、それでいいんだよ。私は殺されないといけない生き物だから。

「雪くん。一つ聞いていい?」

雪くんは答えない。そんなこと気にしない。返答した隙を突いて、私が腹の上に馬乗りになっている彼を突き倒して反撃するとも限らないから、それは正しい判断だと思う。返事なんていらない。嫌われていても、その人を愛することが出来る、出来た生き物になりたかった。

「私のこと、好き?」

「…嫌いですよ」

そう言って、雪くんが奥歯をぎりりと食いしばる。歯が悪くなっちゃうよ。引き金にかかった指が銃口から弾が出るよりも早く。私の唇は最後の言葉を紡ぐ。

「わたしはすき」

銃声が響く。



110814 title:虫喰い