歪んだ世界の端っこで


杖がなくなったのに気付いて、部屋に戻って同じ部屋の子たちに聞いてもみんなは口を揃えて「知らない」なんて答える。私、きっとみんなに嫌われているんだ。きっと、彼女たちが。魔法使いの命みたいな杖をとるなんて、どうかしてると思った。貴女たちだって魔女なのに、何が違うっていうの。

どこにあるのか、なんて知らない。私はちゃんと自分の枕元に置いていたはずで、朝は忘れてきてしまって、それでも、何回探してもどこにも見当たらない。そろそろ先生のお力を借りなきゃいけないのかな。私だけじゃとてもじゃないけど見つけられない。同じ部屋の子たちを問い詰めたら、なんて考えるけど、彼女たちがそんなことをしたっていう証拠も何もないし、私にはあの子たちを問い詰めるなんて物騒なことはそうそう出来そうにない。

ため息をつく。明日は呪文学があるのに。


「どうしたの」
「っ、トム。どうしたって、…あのね、私の杖、知らない?」

いきなり声を掛けられてびっくりしそうになった。これはこれはホグワーツきっての優等生のトムだ。トム・M・リドル。そんなトムが心優しくも、困っている私に声を掛けてきたのだ。これは天の、創始者さま方の情けなんだ。

「杖…」

ふうむ、と正直に考えこんだトムを見て、ちょっとばかし私は頭の弱い言い方をしたのではないかと恥ずかしくなる。

「ご、ごめん。杖だなんて言われても抽象的過ぎるよね。少しずつ違っても、自分の杖でもない限り、判別なんてそうそうつくわけが」
「ああ、知ってるよ」

「えっ」
「君の杖、落ちていたものかもしれない。少し前にね、何処かの部屋で落ちている杖を見たんだ。君のかもしれない、おいで」

すっ、と長くてすらりとした脚を前に進め始めたトムの後ろを、自分の短い脚で追う。落ちていた? ということは、あの子たちが、いや、私が自分で落としてしまったのかもしれない。そうだ。きっと私が落としたのだろう。


やけに長く歩いた気がして、目の前を迷いなく進んでいたトムの歩みが止まる。トムの背中より首を横に出してみれば、大きな扉があった。なるほど、この部屋。だけど私にはこんな部屋に入った記憶なんてない。でも、魔法魔術学校であるホグワーツなら、扉の装飾も、部屋の区切りも、廊下も、全部昨日以前までとは違うのかもしれない。

白い手が扉を押す。ああ、この扉は単なる押し扉なのか。なんてひどくどうでもいいことを考えながら、「先に入りなよ」、なんて言う甘い顔をしたトムにありがとうと言ってからその部屋の中へ入る。


「君の杖は、それかい」

少し、わけがわからなかった。

がちゃんと背後で扉が閉まったのはわかった。だけど、磨き上げられたように美しい床に散らばる木の欠片と無残な棒切れが、まさか私の、杖だなんて。そんなこと、あるはずがないのに。

「君って馬鹿だね」

わけがわからない。
わけがわからない。
トムは、優等生で、みんなに優しい、私みたいに人に嫌われてしまっている生徒にも優しくて。そんな人が、そんな。

「と、トム…?」
「君は嫌われ者だ。授業ではことごとくスリザリンの点を減らし、日頃はどんくさくてよくこけて、ぴいぴい泣いて。一年の頃からずっとだ。ねえ、そういえば君の母親はマグルだったかな?」

スリザリンの恥晒しだと後ろ指指されて、知っている人は母親のことをすぐ出して笑い者にして、穢れた、なんとかって。

「父親は名門純血のスリザリン出でも、どこの馬の骨から産まれたのかわからない君がよくスリザリンで7年も生きてこれたね。でもそれは今日で終わりにしよう」

トムはこんなにも怖い人だっただろうか。私の脳裏に浮かぶのは、魔法薬学で調合を手伝ってくれた、優しくて、本当に優秀で、公正な人で。

「僕についてくるか、ここでこの、君の杖のようになるか。二つに一つを選ぶといい」

きっとこれは逃げなくちゃいけないんだ。幸いトムは扉から少し動いている。扉に体当たりでもすれば、あとは走り出せばいい。足が竦む。トムの笑顔。敵意と害意しか感じとれない笑顔が怖い。それでも、あの杖のようにはなりたくはないし、トムに付いていくだなんてそれはおこがましいことのように感じてしまう。

トムの顔を見ると、ひどく恐ろしい顔をしている。

「トムについていくと、私はどうなるの」

ぽつりと零してみると、愚問だね、と軽く言葉が返ってくる。私はその言葉に眉をひそめつつ、どうして愚問なのかが気になった。私を、あの杖のように無残に殺すのか、彼について行くのでは、そんなにも差がないというのだろうか。ボロ布のような扱いを受けるとでもいうのか。

「君みたいに面白くない魔女を手元に置いて、僕には何もメリットがないだろう。半純血の、君みたいな魔女」
「じゃあどうして」
「君みたいな半端者が、スリザリンで7年、生きてこられたんだ。じゃあ僕の傍でこれから生きていくことになってもしぶとく生き残るんだろう?」

わけがわからない。

「じゃあ君、僕についてくるんだろう。左腕を出して御覧」



本当に、わけがわからない。左腕に刻まれたのはトムについていく証であるだとか、その熱さだとか痛みだとか、全部、わけがわからない。ただわかるのは、私はもう今まで通りには生きていけないなあ、なんて感傷じみた内心の絶望くらい。


120830 title:箱庭