零の隙間


うちのバンドのボーカルは、容姿端麗で声もカッコいい挙句アホみたいに歌も上手い。ファンは圧倒的に女の子が多いけれど珍しいことに男からも好かれている。初のワンマンを終えた月に"神の産物"だなんて大層なキャッチコピーでマイナー音楽雑誌の巻末表紙を飾ってから、毎月のように他の音楽雑誌に取り上げられるようになった。そのおかげかバンドの名は一気に広まったが、ライブの本数が劇的に増える訳ではなかった。
公演が発表される度にチケットは即完売するし、毎度のことながら会場はキャパオーバー。なんなら音漏れを聴きに集まるファンで会場の外はいっぱいだし、グッズに関しても当日分の量を確保するのがやっとな状態で、閉園後に予約限定生産とかいう異例の方法を実施したりした。需要と供給が成り立ってない。もっと俺らは上に行ける筈なのにどうして。ファンからの不満はネットをエゴサすれば簡単にヒットする程転がっていたし、流石の俺も我慢ならなくなったが聞いてすぐさま後悔した。
「ポリープ …?」
「そう、もうだいぶ前から。定期的に検査には行ってるけど、今以上の無理はさせたくねえ」
だいぶ前からって、なんでそんな大事なこと…。本気でキレてしまうと思うけど、いつもみたいに「冗談冗談〜」って大口を開けて笑いながら言ってくれたらよかった。しかし、暗い表情はいつまで経っても変わらなかった。
「朔麻にはあんまり気遣わないでくれ」
「…朔はそのこと、知ってんすか?」
丁寧に深く頷いてくれたけど、聞くまでもなかった。思い返せば最近は特に、歌っているとき以外の声を聴いていないし、よくリーダーと一緒に吸っていた煙草ももう随分も前に見たっきりだ。まだ未成年なんだから目立つところで吸うなよって注意をしたのはいつが最後だったっけ。あれ、もう20歳になったんだっけ。なるべく喉を使わないように声を発さないだとか、喉に良くないものを避けているだとか、ボーカルとして当たり前のケアみたいなものを自然とやるようになった朔麻を俺は一度も疑おうとしなかった。
「失礼します」
居ても立っても居られなくなって喫煙所を飛び出した。一番年が近くて弟みたいに可愛がっていた朔麻のことを何一つ知らない自分に腹が立った。上手く進まないスケジュールの愚痴を溢したあの日の夜、「俺もライブもっとやりたいよ」って同意するのも悔しかったろうに。「なんで増やさないんだろうねー」って、俺に話を合わせるのもしんどかったろうに。朔麻に言わせちゃいけない言葉をたくさん言わせてしまった。知らなかったからなんて言い訳は通用しない。気をつかうななんて言われても、俺には今後朔麻に対して出来る限りの気遣いと気配りしか出来ないじゃないか。少しでも長くバンドでいられるように、少しでも長くネオジムのボーカルの朔麻でいられるように。声帯にポリープがあるってことしか聞いてないのにどんどんと悪いほうに考えてしまって申し訳ないんだけど、根がネガティブだから許してほしい。

「おかえりー」
事務所の一室に戻ると朔麻がソファに寝そべっていた。端からはみ出す長くて細っこい脚を組んでそれまた優雅に。テーブルには湯気の立つ白いマグカップが置いてあって、お菓子を食べた痕跡もある。ここは家じゃねぇんだぞといつもなら一喝するのに出来なかった。
「サトくん、なんて顔してんの」
明らかにいつもと違う俺を不審そうな顔で見つめてくる。こっちに来て、と手で促されるまま重い足を引きずって朔麻の空けたソファに腰掛けた。勢いで来てしまったものの何を言っていいかわからなかった。何か言わなくちゃと言葉を漁っている俺の顔を覗き込んで
「リーダーのとこ行ってたんだね」と何かを察したように言った。なんでわかったのかなんて聞く余裕もないし、嫉妬しているみたいで恥ずかしくて聞けなかった。
「なんか聞いた?」
「…朔、調子は」
「え?めちゃめちゃいいよ、ていうかサトくんのほうが悪そうじゃん」
大丈夫?って言いながら本気で心配してくるからわからなくなる。俺が心配されてどうすんだ。どっちが年上だったっけ。俺は何を言いに来たんだっけ。慰められるような軽いハグに加えて背中をポンポンされて危うく惚れそうになった。っていうと語弊がありそうだけど。ふんわりと甘い香りを残して俺から離れた朔麻は笑みを浮かべて言った。
「心配しないでね。俺はずっとサトくんの一番のボーカルでいるから、ね」
こっぱずかしい台詞を表情も変えずに吐く朔麻の目には一点の曇りもない。頷くのが精一杯で、俺はこの言葉を信じる他なかった。
メジャーデビューが決まったのはこれからまもなくのこと。




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