半壊


以前より少しだけデカい箱でワンマンすることが当たり前になってきて、そこそこの中堅バンドにのし上がってきた頃だった。知名度が上がれば悪い噂もものすごいスピードで蔓延する。俺が昔売りをやっていた過去が何者かによって漏らされた。だからと言って動員が減るわけでもセンターだけが穴だらけになるわけでもなかった。今、問題はそこじゃない。メンバー間にも知れ渡った後、明らかに態度が一変した朔麻さんがなぜだか俺の上に跨っていた。色素の薄いシルバーの毛先が額に落ちてくすぐったい。綺麗な二重の目には困惑した表情の俺が映っている。

その"問題"についての説教紛いの飲みに誘われたと思っていたのに、こないだのライブがどうとか最近通販にハマってるだとかいつもと変わらぬしょーもない話を延々として、お互いに酔って終電を逃した勢いといつもの癖で当たり前のようにホテルに来てしまった。過去の経験上酒が入っていてこの流れは大抵ワンチャンヤレる、ホテルに入った直後にそう脳裏をよぎったが、部屋に辿り着くなりシャワーに直行した朔麻さんの背中を目で追って、ああ…これは脈無しだ、と勝手に落ち込んだ。いや、当然なのだけど。遠くでシャワーの音が聞こえる中、俺はベッドの真ん中で見慣れた天井の安っぽい模様を目でなぞった。数え切れない程の夜を名前すら知らない人とこのホテルで過ごしたが、素性を知っている男と来るのは朔麻さんが3人目だ。どうせならもっといいホテルが良かった、もっと違うシチュエーションが良かったなんて、相手が朔麻さんなだけに我ながら気持ち悪いことを考えているうちにシャワールームの扉が開く音がした。なぜだか咄嗟に起き上がってベッドに座り直す。ほんの少し緊張している。これから何も起こらないとわかっていながら、いや、逆にいつもの流れじゃないからかもしれない。
下着だけを身につけてバスローブを羽織りながらこっちに向かってくる朔麻さんを直視出来なかった。仮にも俺は多分、この人にもう随分も前から惚れてしまっている。この状況はいわば拷問。あわよくば、なんて甘い考えでここに来ることを自ら選択したのだから、俺はもしかしたらマゾかもしれない。
「煙草一本ちょうだい」
視界の端に追いやった朔麻さんは乱雑に髪をタオルで拭きながら俺の隣まで来て腰掛けた。反射的に咥えられた煙草に火をつける。「ありがとう」と微笑む朔麻さんと一瞬目が合った。何ら変わりないいつもの朔麻さんだった。ぼんやりと上半身に所狭しと入っているタトゥーが見える。こんなに近くで生で見るのは初めてだった。煙草を吸う朔麻さんは飲みの席でたまに見かけるくらいですごく新鮮だ。昔は吸っていたらしいけど、その昔っていつなんだろうか。
「顔パスだなんて、ここには良く来るの?」
突然の問いかけに思わず息が詰まった。
「や…昔に」
適当に返した言葉を誤った。ふーん、と興味なさそうにトントンと灰を落とす。昔ってなんだ、俺の昔なんて記憶にまだ新しい程度のものなのに。どうせなら飲みの席で本題の話をしてくれたら良かった。こんな静かな二人きりの空間で、しかもよりにもよって俺が幾度となく金で身体を買われたこの場所で。気持ちを落ち着かせようと、サイドテーブルに置いた煙草に伸ばした手を朔麻さんに強く掴まれた。
「?」
状況を理解出来ないまま吸い寄せられるように俺はベッドに仰向けになる。右手は朔麻さんに掴まれたままでマットレスに少しばかり沈んでいる。何も言えないでいる俺には目もくれず、朔麻さんは空いた片方の手で半分くらいまで燃えた煙草を器用に灰皿に押し消した。やんわりと煙のにおいを纏って、さっきまで煙草を持っていた手が俺の額から髪を撫でる。
「朔、麻さん…?」
動揺の中かろうじて呼んだ名前にも応答のないまま、近づいてきた唇で唇を塞がれる。されるがまま、ヌルリと隙間を割り込んできた舌先の生温さに身震いした。待って、おかしい。こんな筈じゃない。以前の俺ならありえない程に焦っている。舌を絡め取られて吸われる度に腰が浮く。酔っている所為もあってか気持ち良いなんてもんじゃなかった。じわじわと脳の奥が麻痺していく。このままじゃ、まずい。
「…や、めっ」
抵抗すると口内から名残惜しそうに舌が抜けていった。左手で押した胸板は見かけによらず厚くて、俺が思っていたのと大幅に違ったが見上げた先には紛れもなく朔麻さんがいた。浅く呼吸する心音が掌から伝わってくる。はだけたバスローブの影越しに、胸から肩に散りばめられた桜のタトゥーが揺れている。どんな表情をしているかなんて確認出来ない。俺はさっきまで直視出来なかった身体の模様を見つめていた。
「ガイは今、朔麻さん酔ってる?って聞こうとしてる?」
「え…」
「酔ってるのかな多分」
胸に添えたままだった手を退かされて、俺の頭を囲うように朔麻さんが両腕をベッドに立てた。
「うん…おかしいんだよね、俺。なんかわからないけどすごい嫉妬してる」
何を言っているんだこの人は。近づいてきた顔は俺の左肩に埋められた。首筋に触れる唇がくすぐったい。逃げられない体勢になってしまった。普通なら無理矢理にでも押し退けるべきなのかもしれないけれど、俺には朔麻さんを拒む理由がない。今まで体感したことのない緊張の中、むしろこの状況を楽しんでしまっている。
「まずいよなぁ…絶対」
熱っぽい小さな溜息を吐きながら俺の太腿に明らかに固くなったブツを押し当ててそんなことを言うもんだから思わず笑ってしまった。それに、ここまで攻めておいて今更後悔するなんてズルいだろ。俺は朔麻さんと二人きりでいるってだけで我慢するのに必死だったんだから。
「男相手は嫌?」
「や…そうじゃなくて」
「なに?」
「メンバーに手出すって、なんか」
ああ、なんだそんなことか。朔麻さんは俺と違って真面目だから。首に顔を埋めたままの朔麻さんの髪をわしゃっと掴んで起き上がるよう促した。現れたのはあまりにも色っぽい表情で、俺は思わず生唾を飲む。
「誰にも言わないよ」
「…そういう問題じゃ…、?」
バスローブの中に手を入れて直に背中をなぞる。指先の冷たさに身震いする朔麻さんの腰をぐいっと自分の方に押すと、少し冷えた脚が俺の間を割って入ってきた。
「ほら、ヤバイでしょ俺も」
出来るだけ慎重に、丁寧に、上目遣いで。
朔麻さんの髪から時折滴る水が首筋を伝う。それが汗に見えて、初めて朔麻さんを客席から見たあの日を彷彿とさせる。緊張が解けて興奮が高まってゆく。ああ、ヤバイ、ずっとずっと犯されたかった。待ち望んでいた瞬間を目の当たりにして身体は発熱したみたいに火照る。躊躇いなく俺の服を脱がしにかかる朔麻さんに身を委ねて、俺は何も言わない唇を重ねた。



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