「ねえ、ねえ」

猫が肘で青年の脇をつつく。ちょうどくすぐったいとこを突かれたらしく、青年は微妙に体を折ったが、何もなかったような顔をして猫に向き直った。

「何?」
「ポケットを叩くと?」
「ビスケットがひとつ」

答えを聞いて猫はにっこりと微笑む。自信満々に。
取り敢えず勝敗は話し合いで『全員優勝』なんてことには決まったものの、今度は鳥達に賞品をせがまれてしまってたじろぐ青年に、猫が出した解決策が、つまりは先に言ったそれなのだ。しかしいくらそんな歌があるとはいえ、現実にそれが可能なわけではない。
馬鹿にしたような笑いを浮かべながら、青年がポケットを叩いてから中を探ってみる。その顔が突然ひきつった。

「え……」

ポケットから出された青年の手の中には、砂糖のたっぷりかかった小振りのお菓子が握られていた。透明な袋に可愛らしいリボンで封がしてある。
次々に出てきたそれは、ちょうど獣達の分があり、受け取った獣達は嬉しさに舞いを舞いつつ方々に散って行った。

「何これ……この服どうなってるのさ?」
「不思議の国特製の服は、上物になればなるほど、魔力が込められてるんだよ。中には空飛ぶのとかあるって噂だぜ?」
「不思議の国特製?」
「そ、そ。君が今着てるのはこの国の洋服みたいだね」青年が袖を覗き込んだり、裾を引っ張ったりする。その服は、あまり動きやすい素材ではないし、フリルやレースは邪魔だし、やたらと釦が多いしで、実は青年にとっては不満が溜まっていたのだ。

「どうりで、僕の趣味じゃないわけだ。僕こんな服着ない人だったと思うんだけど、この国の人の趣味か」
「お気に召さない?」
「召さない」
「ありゃりゃ」

さて、と顔を上げた青年の目に飛び込んだのは、眼前いっぱいに広がる芥子色だった。
芥子色が動いて、嗄れて所々痰のからむ声が発せられた。

「御待ちなされ。私は、そなたが賞品を貰わぬのは平等ではないと、鳥頭なりに思いましてなあ」

声が切れて、芥子色が引いていく。それはドードー鳥の大きな大きな嘴だった。
所々に出来た嘴の傷を羽でなぞりながら、ドードー鳥は続ける。

「もうポケットには何も残っていらっしゃらぬだろうか」
「自分で自分に賞品をやれって言うわけ? 言い出しっぺのくせしてそちらから下さる気はない、と」
「うむ」
「即答……」

それでもドードー鳥は、賞品が渡されるまで青年の前を退こうとしないので、渋々青年はまたポケットの中をまさぐった。「!」

「何これ?」
「うわーうわー君そういう趣味だったんだねっ」
「断じて違う」

ポケットから出てきたのは、2つのヘアピンだった。うさぎの飾りがついたもので、小さい女の子向けといったところか。そんなものが賞品になるわけないと、がっかりしてポケットの中に押し込む。けれど、ドードー鳥は納得して、踵を返した。
青年には、帰路を辿るドードー鳥が楽しそうに笑っているように見えた。硬い嘴のどこからそんな風に伺えたのかは謎だったが。

「ねーねー、こんなもの見つけたよーウサギさんの落とし物ー」

弾んだ猫の声に振り向くと、猫の腕の中には白い手袋があった。

「これ持って白ウサギんちに行けば感謝されちゃうかもよ。早速ゴー!」

おー! と一人張り切って腕を振り上げる猫のフードを、青年が慌てて後ろに引っ張り引き留める。けれど、猫はぐんにゃりと背を仰け反らせて、逆さまの顔で平然と「なあに?」なんて答えるものだから、青年は思わず手を離してしまった。

「今、白ウサギの家って言った?」
「言いましたとも」
「どこだか知ってるのか?」
「知ってますとも」
「だったら早く言えー!!」

青年の怒号に、ひゃっと猫は首を竦めてフードの中に逃げ込むのだった。ずんずんと勝手に進んでいく青年の背が小さくなる頃、チェシャ猫はもう一度だけ、池を振り返ると、独り言を洩らした。



「鳥たちはレースを続ける。賞品を与えるまでゲームは終わらない。でも鳥たちは与えられるばかりで、与えることは出来ない。だから、ゲームを終わらせることは、鳥たちだけでは出来ない。
それが不思議の国のルールだから。」