「はぁ……っはあ…、は……っ、」
「やっぱウサギは早えなあー」
「あれのどこが兎なんだよ!!」

青年が2人、街中を駆けていた。青年といっても、片方は灰色のローブをすっぽりと被っているため確証は得られないが、声の様子からすれば男性であることは間違いない。
片や全力で走って息も絶え絶えながらに口を開く青年に対して、さらりと暢気なことを呟く青年。全く疲労も焦りも見られない様子に、一方の青年が怒りの声を上げた。その声を受けた方は、へらりと笑ってそれを受け流した。それがまたしても青年の怒りを煽ることは分かっていながらに、態とやっているのであろう。
前方を行く青年が時折人混みに足踏みをしたり、通行人にぶつかったりしているのに、後方を着いていく灰色ローブの青年は滑るような動きで人々を躱し、全く止まることはない。
――猫のようなやつだ。
後方を振り返った青年はふと、かろやかに障害物を避けて通る猫の姿を思い浮かべた。実際、後ろの青年は足音なんて全く立てずに着いてくるし、その上猫耳フードなんか被っていて、正に猫という喩えがぴったりだ。

「兎じゃないよ、兎には耳があるだろ? あれは白ウサギ」
「違いがわかんないんだよ、くそやろ……」

のんびりとした青年の答えに、もう一方の青年の頬が引きつった。それを見て、原因である青年は楽しげに口元を綻ばせた。それを見て更に気を悪くした青年は、灰色ローブについた耳をぎりぎりと引っ張った。そのあいだも、足を休めることはなく走り続ける。

「ちょっと何すんだよ取れちまうだろ!」
「うっさい馬鹿野郎! にやにやしてんじゃねー!」
「何それ非道い!」

ぱっと手を離し、青年はまた前を向く。それと同時に、後ろの青年は引っ張られた猫耳を労るようにしながらフードを背に下ろした。現れたのは、目も眩むような明るい金の髪と、緑色の目。ざっくり切られた髪と、気の強そうなつり目は、軟派で軽率なイメージを見る者に与える。しかしその一方、圧倒的な色のコントラストは芸術品のようでもあった。
フードを取ってすっきりしたような顔の青年は眉を下げて不満そうに小言をぶちぶちと溢している。「チェシャ猫はにやり笑ってるのが決まりなのー。設定無視したら女王に首跳ねられっちまうじゃんー」

「ん? お前、今自分のことチェシャ猫って言った?」
「言った。それがどうかした?」
「名前あるんじゃないか」
「んー、名前とは違うんだけどな」

チェシャ猫はくすりと笑う。しかし青年はそれを見て怪訝そうに目を細めた。
―――チェシャ猫、その名前には覚えがあった。ぼんやりとして曖昧だが。
いつ、どこで、何もわからないけれど。その名前を目にする時は、いつも胸が躍っていたんだ。
その記憶が心の内で蟠り、彼は一層表情を暗くさせた。

(ちぇしゃねこ……)