【アリス毒リンゴ殺害事件】。
そんな名前を勝手に自分で命名した筈のアリスは、ぴんぴんしていた。さも何事もなかったようにいつもの応接室で茶を啜っているふてぶてしさで。
それというのも、白ウサギは帽子屋宅一連の出来事に関しては全く何も知らないようで、アリスがどやされることはなかったのである。

そこに、扉の陰からそっと手招きする猫の姿。アリスは、対面に座る白ウサギに訝しまれないよう当たり障りない言葉を掛けて席を立った。



* * *



「具合は良さそうだね。よかったよかった」

言外で着いてこいと示すチェシャ猫に倣って白ウサギ邸を出た頃、チェシャ猫は前記台詞を述べた。

「その言い種……倒れた筈の僕を部屋に運んだのはお前?」
「ん、正確ではないけどね。帽子屋に呼ばれて、森のほとりに行ってみたら、あの小さい体で必死にアリスを運んできてくれてたんだ。帽子屋は森から出られないから、それ以降だよ、俺が運んだのは」
「帽子屋が……」

アリスが驚きの色を示したが、瞬きの間にそれは変わる。やっぱり、とでも言いたげな、満足げな表情に。
チェシャ猫はそんなアリスの表情に不思議そうな顔をしたが、すぐさま表情を切り換えて苦言を呈す。

「帽子屋個人はわりかし好感が持てるんだけど、チェシャ猫としてはアリスに森へ行くのはやめてほしい」
「どうして」
「あそこは時が止まってるから。アリス、いつかあそこから出られなくなるよ」
「…………」

チェシャ猫の告げた理由は納得できるものではなかったが、その言葉はアリス自らも薄々気付いていたことだった。
あそこは、自分にとってこの上なく心地好い場所だった、と。何に代えてもあそこから離れられなくなる、そんな予感がしていた。

「帽子屋はそれを」

チェシャ猫はアリスの当惑を全く予想していた。それはアリスが投げ掛けた問いを中途でチェシャ猫が肯定する、という形で表れる。

「うん。わかってて君に素っ気ない態度を取ったんだろうね。言われなくても分かるなあ、アイツならそうする」
「うん」

今度はアリスが頷く番だった。