「かわいそうなアリス」

真っ白い部屋の中。
涼やかな声が響いた。

「」

水色のエプロンドレスにうさぎのヘアピン。いつか会った少女は穏やかに、伏せたアリスを見下して言った。

「白雪姫はね、本当は継母じゃなくて実母に妬まれたのよ。『私の夫を奪うなんて』って」

それは初版のグリム童話における話だ。
改訂される以前、養子よりも実の娘に男を奪われるほうが酷だったことだろう。嫉妬に狂う后はあれやこれやと手を尽くし白雪姫を死に追いやろうとするも悉く失敗。最後は白雪姫に報復されてしまう。

「だからこそ白雪姫は林檎を口にすることが出来ないのだと私思うのよ。林檎は祝福の証。実父を誑かした娘に、人並みの幸福は与えられない。嫉妬に塗れた真っ黒な毒林檎がお似合いなのね」

少女の瞳には真っ白な部屋の景色が映り込んでいた。
何もかもを拒絶しているような白だった。

「変、変よね。アリスなのに、白雪姫なの。アリスは林檎を食べられないのよ、おにいさん」

そこで漸く彼は、彼がアリスであったことを思い出す。
何時だって、白い壁は彼の記憶を曖昧にする。アリスにとって白は恐ろしいものだった。いつまで経っても脱け出せない気がして。そしていつか自分も真っ白に塗り替えられてしまう気がして。

「そう、そうだよね、おかしいよね。
……アリスは僕なのにね」

白い部屋は少しずつ、彼を狂気に引き込む。長い14年間を想起させながら。
手の中から零れ落ちたのは、漆黒の果実。それはどちらの手からだったのか。
母に、愛されなかったのは。