「まあ、注意されたからって諦める僕じゃないわけさ」

森の小道を弾む鼻唄が通る。同じく弾む足取りで道を踏み締めるのは、間違いなく先程注意されたばかりのアリス。
昨日の今日でまたしても白ウサギの言い付けを破って森へ来ていた。
道に迷わないか若干不安だったにせよ、気付けば目的の館が見えている。門扉の無い館。

「帽子屋ーお茶飲みに来たぞーって、あれ」

うきうきと満面に笑顔を浮かべてテーブルに寄ると、帽子屋は居なかった。お茶会の道具もない。代わりにあるのは、茶色いもふもふ。

「ヤマネ……?」

首根っこを掴んで茶色い物体の顔を見つめる。ずんぐりむっくりの胴体に、申し訳程度の四肢が付いている。その体の頂点に君臨する頭。鼻提灯が絶えない。
これは明らかにヤマネである。そして、

「かわいい……」

アリスのツボど真ん中だった。すぴすぴ幸せそうに眠るその顔を眺めつつ、頬を緩ませていること小一時間。
かちゃかちゃと硬質な音を立てて館から帽子屋が出てきた。佇むアリスを見つけて、呆然と口を開く。

「お前、なんでここに……いや、今そんなことはどうだって良いな。帰れ。お前に出す茶はねえ「アリスじゃないですかあ! ちょ、帽子屋っ一緒にお茶会お誘いしましょうよう!」……。」

茶器をどっさり抱えた帽子屋の背後から現れたのは、帽子屋の話を全く聞かない男だった。アリスもアリスで、それをいいことに帽子屋の言い分を無視して話を進める。

「何と言おうと僕はお邪魔するからね。ところでそちらの君は誰? 帽子屋の知り合い?」
「僕は三月ウサギですぅ。帽子屋のお茶会仲間ですよ。以後お見知りおきをっス、アリス!」

元気に自己紹介をする三月ウサギとは対照的に、か細く消え入りそうな声がアリスの下から上がる。

「アリス……〜むにゃ、ぼくは……ヤマネ……ぼうしや……ともだち、すぴーすぴー」
「ねえ、帽子屋。コイツ持ち帰っちゃ駄目? すげえ可愛いんだけど。今すぐペットにして枕元にずっと置いておきたいんだけど」
「いやいや駄目だから。……あー、まあ、その、今の通り、コイツらはこの帽子屋屋敷所属の阿呆どもだ。チッ、うだうだしてる間にもう3時じゃねえか。お茶会始めんぞ」
「はーいっアリスは上座どうぞ」
「どうも」

いそいそとアリスを上座に促す三月ウサギの姿に、帽子屋が顔を顰めた。が、既に諦めた(というより一刻も早くお茶会を始めたい?)らしく、何も言わず席に着く。

「今日のお菓子は林檎尽くしかあ。帽子屋、僕ダージリンね。んー、いかにもタルトが美味しそうだなあ」

三月ウサギがはしゃいだ通り、テーブルの上に並べられたお菓子は林檎尽くしだった。タルト、ケーキ、ジャム、グラニテ、マドレーヌ、クッキー。全て林檎を使用してあり、そのどれもが美味しそうな匂いを放っている。
卓上のセッティングも完璧で、お菓子を映えさせるように選ばれた花や装飾品が更に食欲を掻き立てる。帽子屋が淹れている紅茶も美しい色だ。ポットのみならずカップにも予め湯を注ぎ温める徹底さ。きっと美味であろう。
アリスがそれらを眺めているとき、ふいに視界に三月ウサギの手が現れた。その中には真っ赤に熟れた林檎が1つ。

「お近づきの印に。前途洋々な幸福を君に」
「……有り難う?」
「おい待てアリス!」

帽子屋の制止の声が割って入ったが、アリスは林檎を受け取り、何の疑問も無く齧りついた。
カシリ。
小気味良い音が立つ。それとは裏腹に、帽子屋は絶望の色を浮かべた。

「あ〜あ、アリス。幾らなんでも人から貰った食べ物を易々と口にしちゃ駄目だよぉ。魔女の毒林檎かもしれないでしょ?」

三月ウサギが言い終える頃には、アリスの身体は傾き、地に倒れていた。