「あ゛? 誰がお嬢さんだって?」

しかし少女の発した言葉は、その涼やかな声に似合わず、不穏なものだった。

「俺はイカレ帽子屋。帽子屋の性別を間違えるなんて、随分トチ狂ったアリスがいたもんだなぁ?」

手にしていたティーカップを不機嫌垂れ流しでテーブルに叩きつけ、ぎろりとアリスを貫くその眼光は明らかに怒っている。
アリスは慌てて取り繕った。

「これは失礼。帽子屋……さん? お嬢さんでなく坊っちゃん、だったのか」
「ああ。俺の名前は帽子屋で間違いない。成程、いまいち名前と役職の区別が出来てねえほど役立たずなアリスだと聞いていたが。……お前俺の言葉の意味分かって聞いてんのか?」
「?」

それはチェシャ猫とのやり取りを揶揄しているのだろうか(どこから漏れたかは謎)。先程やっと国のルールを教えてもらったばかりのアリスにそれを言うのは酷というものだ。むしろ、側にいながら結局重要なことは何一つ話さなかったウサギやネコこそ非難されるべきだ。

「アリスってのは名前と性別だけは絶対間違わねえ奴だったってのによ。いつからこの国はこんなのがアリスだと罷り通るような国になっちまいやがったんだ、って言ってんだよ」
「な、」

嘆かわしげに吐き捨てた帽子屋は、ふてぶてしく両腕を頭の後ろで組んだ。天使のような外見をしてはいるが、中身はとんだ悪魔だ。口調はぶっきらぼうだし、仕草には品がない。
詐欺だ、とアリスは呟いた。
それに気付いてか否か、帽子屋はより強い視線をアリスに向けた。

「ア、アリスの理想を……以前のようなアリスを、僕に求めるのは遠慮してくれるかな」
「フン、ガキが。生意気な口を利くじゃねえか」
「!? お前のほうが見るからに餓鬼じゃないか。大体僕はもう21歳だ」

その時、アリスは自分で自分の言葉に驚愕していた。逸る心臓を押さえ込むように胸に手をあてる。

(僕、21歳だったんだ……!?)

他人からしたら凄く笑い物だが、今まで記憶喪失で通ってきたアリスにとって、憤慨の拍子につるりと零れた記憶は、面白いほど動揺を与えていた。
そして、安堵も。

(僕にはきちんと、人としての事実があったんだ)

「おーおー、こんだけのことに随分ムキになっちまって。ま、取り敢えず名前だけは間違えるなよ。アリスなんだから」
「アリスなんだからって、何さ」
「゛名前とは大切なもの。名前があるから、自己を確立できる。だから名前は、自分を正確に表すものがいい。自分の役割、性質を明確に示しつつ、唯一のものであるべきだ。゛
それがアリスのお言葉。この国の連中はみんなこの言葉を敬って、名前を大切にしてる。それなのにたとえ埋め合わせの存在といえど、アリスが名前をぞんざいにしていたら、要らん反感を買うぞ」

名前。
名前をぞんざいになんて扱えるわけがない。抑、アリスだってそれを手に入れるために奔走している只中にあるのだから。(だがその考えはアリスと住民たちのあいだで壁があることに気付いているだろうか。アリスにとって名前こそは目的でなく手段である。現時点では)
そっと、胸に当てていた手を下ろした。

「あと、お前が21になるなんて、この国の奴等は全員知ってるっつうの」
「え」