論争は続いていた。

「ただのペットが不思議の国の案内人とか、そもそも務まるわけがないと俺は言ったんだ!」
「……つまりそれはアリスの采配を否定するか。そこに直れ! 噛み切ってやる」
「返り討ちにしてやろう」

猫とウサギが共に構える。そこまで発展したこの論争であるが、種は『どちらがアリスのお供をするか』だった。
――アリスのお供というのは、本来物語を進める上でアリスが不思議の国中を上手く駆け回れるよう、それとなく誘導すればいいものである。つまりそれは、度々到着先に現れるチェシャ猫のような存在で十分で、只管付き従って国を案内するような役職ではないわけだが、此度はどうにもそう上手くは行かんらしい――
渦中の人物であるアリスは優雅に紅茶をすすっている。――おそらくこの表情、この2人が重要視しているのは『アリスという自分個人』でなく、『アリスのお供という重役を任されること』だと思い違えている。
猫もウサギも、役職なぞに執着しない動物であると、彼は知らない。

「そもそもウサギは『勤勉で知恵があり、情が深い』と、A General History of Quadrupedsでも書かれている。気紛れなにゃんこに比べれば、よほど相応しいじゃないか」
「『逃げたり巣穴に隠れたり、弱い動物』とも書かれてるけどな」

猫とウサギが睨み合う。その剣幕は凄まじいもので、二人を取り巻く空気だけが切り取られたかのように、酷い温度差だった。アリスはやれやれとため息を吐くと、ティーカップをソーサーに置いた。

「アリスのお供って人数制限とかあるんだー」

一瞬にして場が凍りつく音が立ったような、立っていないような。



* * *



「「盲点だった……」」

ソファにぐったりと身を沈めた男2人は、やつれた様子で声を揃えた。それはとてもとても息が合っていて、「こいつら、実は仲いいだろ」とかアリスに思わせていた。
猫とウサギは暗い顔をしながら、尚も「案内は猫の役割だから……」「でも今回追いかけるのは白ウサギではないし……」とかぶつぶつ言い合っている。その様子に若干呆れながら、今アリスである青年は、頭に浮かんだ疑問を、ただ率直に投げ掛ける。

「アリスアリスってさあ、それ絶対の決まりなの? 誰が追いかけられたって、誰が案内したって、別にいいじゃん」
「国のルールですから」
「そんなわけのわからないルール、誰が決めてるのさ」

ていうかそもそも、そこまで優遇されるアリスって何。
あまりの理解不能さを紛らわすためにアリスが紅茶に口をつけるのを見て、白ウサギは困ったような顔をした。ちりん、と鈴の揺れた音につられてアリスが顔をあげると、チェシャ猫がこちらを振り返っていた。
相変わらずのにやけ顔のくせに、幼子に言い聞かせるように告げた。

「不思議の国はルールの積み重ねだよ、アリス。しかし、ルール自体の意味はあまり気にすることではない。どうしてそのルールが出来たか、それを考えることに意味がある。ルールの本当の意味を皆が理解できれば、世界はがらりと変わるのにね」
「にゃんこのくせに難しいと言うんだな」
「……猫だからさ」

アリスの言葉に僅か目を見開いたチェシャ猫だったが、ややの間をおいて、目を伏せるとそう呟いた。それから、どこか残念そうにアリスを見上げる。その瞳が、光を眺めるネコのように、瞳孔を狭める。
チェシャ猫が何かを言いかけるような気配をして――。

「――「チェシャ猫」

窘めるような白ウサギの声が飛んでくると、それまで崩れることのなかったチェシャ猫の笑顔が引き攣った。
無表情になったチェシャ猫が白ウサギの方を向くと、偉そうに足を組んだ白ウサギが大きな溜め息を吐くところだった。

「ごめんごめん、何でもないよー、アリス」

チェシャ猫は、またにやにや笑いに戻っていた。