十六年前のあの日、俺たちの一番上の兄貴が死んで、柔兄が俺たちの一番上の兄貴になった。
その日から、柔兄は一度も泣かない。
矛兄が生きていた頃、俺はまだガキだったからあまりはっきりとは覚えていないけど、確か柔兄は泣き虫だった気がする。
よく蝮を泣かせて、矛兄にゲンコツで殴られて泣いていた。矛兄との手合わせで敗けて泣いていた。お父に説教されて泣いていた。
そんな柔兄が、あの夜をさかいにぱたりと泣くのをやめた。
矛兄が灰になったとき、みんな泣いた。矛兄は死んだときもうほとんど燃えて炭みたいになってしまっていたけど、一生懸命みんなで矛兄を拾ってお棺に入れて、もう一度焼いた。熱いけど堪忍、ってめったに泣かないお母が泣いた。お姉もお兄も泣いた。あのお父も泣いてた。けど柔兄は、ぎゅっと拳を握りしめて歯を食いしばって、とうとう一滴も涙を流さなかった。
それから柔兄は、矛兄の代わりになるために一生懸命修行した。勉強も、誰にも負けないくらい頑張って、テストはいつも百点だった。お母は柔兄を褒めた。俺たち兄弟はみんな柔兄を尊敬した。お父も酒を飲んだときだけは、柔兄を褒めた。
そうやって柔兄はどんどん“カンペキ”に近づいていった。けれどどんどん眉間のシワが深くなっていった。そのシワは笑ったときも消えない。ずっと、まるで生まれたときからついていたみたいに消えない。
あの夜から十六年、柔兄がフランダースの犬の最終回を見ても泣かなかったとき、俺は「柔兄がとうとうヤバイぞ」と思った。柔兄の涙腺は、ずっと使われていないから干からびてしまったらしい。
「じゅうにい、なんで泣かへんの?」俺はティッシュで鼻をかみながら柔兄に尋ねた。
「……なんで?」
「普通泣くやろ?ってか柔兄、矛兄が死んだときから泣いてないんとちゃう?涙腺生きとる?大丈夫?」
柔兄の瞳がぐらりと揺れた。
「……泣いて、なかったっけか、俺」
俺は頷いた。
「泣いて、ええんやろか、俺」
もう一度、今度はさっきより大きく頷いた。
そうしたら、柔兄はもう止まらなかった。大きな声で、わんわんと、嗚咽を漏らしながら泣き叫んだ。俺の胸元に顔を押し付けて、あとからあとから溢れてくる涙を俺のTシャツに全部吸わせて。痛いくらい強い力で、俺の肩にすがり付いて。
こどもみたいに、泣き叫んだ。
騒ぎを聞き付けた家族がみんな、血相を変えてやってきた。そして柔兄を見て、ちょっとだけ微笑んだ。“ああ、やっと泣いた”って。そう思ったみたいだった。
柔兄の十六年分の涙が枯れた頃、お父が缶ビールを持ってやって来た。柔兄は泣きつかれて眠ってしまっている。
「やっと収まったか」
「十六年分やからなあ。ほらお父、俺のTシャツ、柔兄の涙と鼻水でびっしょりや」
「ははは」
プルタブを起こして、寝ている柔兄にそっと掲げた。
柔兄が、あの日から初めて泣けたこの夜に、乾杯。
はじめて痛いと泣いた夜に
title by 白群
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