「お茶でもいかがですか」
骨ばった白い指が玄米茶の入った湯飲みを八百造の前へ差し出した。八百造は一瞬たじろいだように見えたが、すぐに「おおきに」と湯飲みを受け取り、玄米茶を少し口に含んだ。
「少し休んで下さい。所長、朝から休みなしで働いとりますでしょう」
「仕方がないやろ。やってもやっても書類の山が減らんのやから」
咎めるような蟒に、八百造は頭を掻いて再び書類と向かい合う。
「そもそも、デスクワークなんぞ俺には向いとらんのや。前線で錫杖振り回しとる方がよっぽど性に合っとる」
「仕方ありまへんやろ。お前さんは所長で、所長の印鑑が必要な書類は山ほどあるんやから。それを一々目を通そうとするお前さんが悪いんです。手分けして印鑑だけ押させればすぐに終わるでしょうに」
「目を通さんで印鑑なんぞ押せへんわ」
「真面目なお人や……ふ」
蟒はため息混じりに笑った。
「…………なあ」
「何です」
「やめてくれへんか」
「何をです」
「それや」
「は」
「敬語、あと俺を“所長”て呼ぶこと」
「………」
「せめて二人んときくらいは」
「………あきません。これが、今のお前さんと私の距離です。“所長”と、“深部部長”。お前さんはもう、明陀の僧正だけやのうて、出張所も背負っとる。立場ってもんがあるのです。甘えたらあきません」
蟒の突き放すような台詞に、八百造の瞳が不安げに揺らいだ。何時も真っ直ぐ前だけを見ている、その瞳が揺らぐのを見て、蟒は愉悦を感じる。
「……私も、仕事がありますさかい、これで失礼」
軽く頭を下げ、部屋を後にする。八百造はなにも言わなかった。


いつも真っ直ぐ前だけを見ていたあの瞳が、不安げに揺らぐあの一瞬が好きだ。
その一瞬、奴の瞳が揺らぐ瞬間だけ、奴は確かに私だけを見ているのだから。





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