コンコン。
「……?…マルコ、入るよー」
ノックをしても返事がなかったので、一応一言断ってドアを押し開ける。相変わらず本やら書類やらが積み重なっている机を見ると自然と眉間に皺が寄った。あーあ、またこんなに抱え込んで。少しくらい他の人に頼めばいいのに。崩れそうな山を軽く立て直して足を進めれば、部屋の中がぼんやりと不自然に明るくなる。窓から射す陽の光では、ない。これは、もしかして…
「……やっぱり」
その薄明かるい光の正体はベッドで丸まって眠る不死鳥姿のマルコだった。実際この状況を目の当たりにするのは初めてだけど、噂には聞いていた。(…と言うか、サッチがみんなに言い触らしてマルコを怒らせていたのだけど)寝惚けて不死鳥化するマルコ。人を呼びつけておいて自分はぐっすり昼寝とはいいご身分だ。…と、言いたい所だけど。机の上のアレを見た後じゃあそんなことは到底言えない。別に急ぎの用事でも無さそうだし、少し寝かせといてあげよう。
本棚から適当な一冊を持ち出してベッドに腰かける。しかし、サウスブルーのどこかにあるという島について書かれているその本には5分で飽きた。
適当にベッドに本を投げて、隣でゆらゆら揺れる青い炎に目を向ける。規則正しい呼吸を繰り返す体にそっと触れてみた。そういえば、不死鳥姿のマルコに触れるのは初めてだっただろうか。
「…(本当に熱くないんだ)」
理屈では聞いていたものの、どう見ても炎で覆われた体が熱くないと言うのはやっぱり不可思議で。普通の鳥が持つ羽毛とは大分異なるその感触にわたしはいつの間にか夢中になっていたらしい。さすがに違和感を感じたのか眠っていたマルコが身動いで、重たそうな瞼がゆっくりと開いた。そして、上体を起こすにつれて徐々に人間に戻っていくマルコに思わずくすりと笑いが漏れる。
「おはよ、マルコ」
「………」
起き上がったマルコがまだ覚醒しきっていない目でぼんやりとわたしを捉えると、思い出したように「あぁ」と口を開いた。しかし、マルコはそんな惚けた反応を見せた直後ぱたりとわたしに向かって倒れて来たのだ。肩にマルコの頭の重みがのし掛かる。
「マルコ?」
「………」
「マルコさーん?」
「……よい…」
まだ半分夢の中にいるらしいマルコからまともな返事は返って来なかった。どうしたもんかと肩に乗っかっている頭に目を向ける。よっぽど疲れているのかマルコが動く気配は全く感じられない。
それにしても、よくよく考えたらわたし今すごく貴重なモン見てるんじゃないの?普段のマルコはポーカーフェイス気取りのかっこつけだ。それが今はどうだ。まるで母親に甘える子供のようじゃないか(子供と例えるのは些か無理がある、というツッコミは無視させてもらう)。そう思えばこの重たい頭すら何だか愛おしくて。
「マルコも可愛いトコあるね」
わたしの手は勝手に肩にあるマルコの頭へと伸びていき、自然と、何の違和感も持たずによしよしと頭を撫で始めた。子供はおろか恋人すらいないわたしにも母性本能というものは備わっているらしい。
「でもさ、マルコ。疲れてるならちゃんと横になって寝た方がいいよ?」
わたしまた後で来るから。無意識に優しくなってしまった声でそう伝えればマルコは何やらもごもごと喋り始めた。肩口を掠める吐息がくすぐったい。そんなことに気を取られていて聞き取れなかった言葉を聞き返すが、返って来たのは言葉ではなく緩い抱擁で。
いつまで寝惚けているんだと腰に巻き付いた手を解こうとしたが、力は一層強められてどうにも出来なかった。どうやら寝惚けているわけではない、らしい。
「…ね マルコ、離して」
そうと分かった途端、鼓動は早まり声が上擦る。顔だけじゃなく、全身が熱い。こんなにも密着している状態ではこの緊張はダイレクトにマルコに伝わってしまいそうで。そう思えば更に羞恥を煽られて冷静な思考は猛スピードで消滅していった。
「ね、ねぇ!マルコってば!」
「何もしねェよい」
「もうしてる!」
「…もう少しだけ…」
「…〜〜ッ」
故意に首筋に寄せられた唇が肌を掠める度に身体が震えた。少しでも気を抜けば甘ったるい吐息が漏れてしまいそうで、必死に下唇を噛んで堪える。そんなわたしの反応を楽しんでいるのか、マルコの唇が肌から離れる気配は無い。寧ろ行為はエスカレートし、やわやわと首を甘噛みされる始末。
んっ、ついに漏れてしまった声に慌てて両手で口を押さえるが時既に遅し。ちらりとその声に反応するかのように上目遣いでわたしを見るマルコ。
「随分かわいい声出すじゃねェかよい」
「だってマルコが…ッ!」
「おれが?なんだよい?」
鼓膜に注ぎ込まれる低く甘い声。その声に身体からは力が抜けて、そのまま全てを委ねてしまいたくなる。自分がここへ来た目的を考えればすぐにでもマルコを押し戻して用事を聞くべきなのに。わかってる。本当はわかってるのにわかりたくないからわからないフリをする。
首筋に感じる熱や何とも言えない背徳感がどうしようもなく心地好くて、離れたくない。
「何だかんだ、嫌じゃあねェんだろ?」
マルコの腕はとっくに緩められているし逃げようと思えば逃げられた。それなのにわたしがそうしなかったのは、つまりそういうこと。
「…………」
「沈黙は肯定と見なすよい」
そっと顎に添えられた手に誘導されるがまま、マルコと視線が絡み合う。
まだ沈みきらない太陽がカーテン越しに薄明るく室内を照らす。まるで外界から抜け落ちてしまったかのようなこの空間で、ゆっくりと近付いてくる唇を目を閉じて受け入れた。
融解する母性
ただのおんなになりさがる