アルコールに侵されてすっかり重たくなった頭は今や両腕の支えがなければいとも簡単に机の上に転がってしまうだろう。目を開けてるのも億劫で、しかし瞑ってしまえば一分ともたずに深く眠ってしまいそうな自分。
そんなに飲んだかな、なんて考えてみても思考は同じところをぐるぐる回ってどこにも辿り着けない。今のわたしは誰がどう見ても重度の酔っ払いだった。
「ナナ、」
実際よりも遠くに聞こえる賑やかなみんなの話し声。そんな中、至近距離で耳に注がれた声にとびかけていた意識がゆらりと引き戻される。
「大丈夫かァ?」
「ん、だいじょーぶ…」
「……じゃァねぇみてーだなァ」
顔を上げて声の主に目を向ける。そして覚束ない視界でその顔を認識すればやってしまったと顔を覆いたくなった。高い位置からわたしを見下ろしているのは奈良上忍。タメ口をきいてしまった。
「帰るか?」
「あー、はい…そうします。みなさんにもよろしく伝えてくだ――」
「俺も帰る」
「え?」
「あ、いえ、一人で…」
大丈夫ですと言い終わる前にパサリ、頭上から自分の上着が降ってきた。とっとと着やがれ。すでに帰り仕度を整えた奈良上忍に急かされてもたもたと上着を羽織る。その間に奈良上忍はみんなに事情説明を終え、わたしがやっとのことで帰り仕度を終える頃には既に店の入り口に立っていた。
見送ってくれる先輩や仲間たちに軽く頭を下げて自分も店を出る。冷やりとした夜風は火照った体に心地いい。ぼんやりした月明かりの下、奈良上忍の一歩後ろをふらふらとついて歩く。時折「段差があるぞ」などと声はかけてくれるものの、それ以外に会話もなければ振り返る素振りも全くみられない。
「…あの、なんか、すみませんでした」
「気にすんな。俺も丁度帰ろうと思ってたところだ」
沈黙が重くてとりあえず発してみた言葉にも返ってくるのはそっけない声と態度だけ。めんどくさがられているのだろうか。そう思いつつも沈黙には耐えられず、呂律の回らない口からはその場しのぎの話題(と呼べるかも怪しい)が零れ落ちる。
「わたし、こんなになったの初めてで……」
「だろうなァ」
「千鳥足も初経験ですあはは、は…」
「…………」
「…………」
…死にたい。働かない頭も回らない呂律もなによりこんなになるまで飲んでしまった先程の自分を呪って死にたい!徐々に冷静さを取り戻し始めている理性がわたしを苦しめる。いっそ酔いつぶれて眠ってしまったほうが幸せだったんじゃないかとすら思う。
これ以上迷惑をかけたくないので(というのは建前で、もうこれ以上の醜態を曝したくないというのが本音だ。)ここからは一人で帰ることにしよう。
「…あの、もうすぐ家なのでこの辺で大丈夫です。」
「そうもいくめェよ。お前を潰したのは俺なんだからなァ」
「……え…?」
ぴたり。奈良上忍の足が止まる。緩慢な動作でわたしを振り返ったその表情からは何も読み取れない。そして、古傷の残る顔の上、少しかさついた唇がかすかに動いた。
「悪かったな」
一言放たれた言葉はちっとも悪びれておらず、それどころか自分が責められている気さえするような態度だった。
彼曰く、わたしがお手洗いに立った時や仲間と馬鹿笑いしている間にわたしのグラスをこっそりアルコール度数の高いものと入れ替えておいたとのこと。味は変えていないにしろ全く疑わぬまま潰れるとは思わなかった、と。……灰になりたい。
「だから、しっかり家まで送らせろ」
「うぅ…」
「心配しなくても送り狼にはなんねェよ」
「えっ」
ただでさえ醜態を曝し迷惑をかけているのに、そんな心配をしていると思われてたのかと思えば恥ずかしさや申し訳なさで顔を上げられなくなった。もう明日からはまともに顔を合わせられそうもない。
その後はお互い何の会話も無く、家に着くまでただただ気まずい帰り道だった。…のはおそらくわたしだけだろうけど。
「今日は本当にすみませんでした」
「謝るんじゃねェよ、ど阿呆」
ぽん、と頭の上に大きな手が置かれぐらぐらと揺らされた。そして今度はわしゃわしゃと散々頭を乱暴に撫でられたかと思えば、奈良上忍の手はぴたりと止まる。わたしの頭の上で。
…………?
「…あ、あの、奈良上忍?」
「お前、どうしようもねェ中年親父に目ぇつけれちまったなァ」
「…それはどういう……」
「酔いが醒めたらテメェで考えやがれ」
「わ、」
ぺしっと軽く頭をはたかれて顔を上げた時にはもう奈良上忍はわたしに背を向けていた。明日遅刻すんじゃねーぞ、と後ろ姿でそんなことを言う上司に慌ててお礼とおやすみなさいを言ってその背中を見送って。
「…………」
玄関先に一人取り残されたわたしは間抜け面で自分の頬をつねるのだった。
春眠暁を覚えず
そんなばかな!