すっかりオレンジ色に染まってしまった窓の外にため息を一つ吐いて誰もいない教室を後にした。どこかにある音楽室から聞こえてくる吹奏楽部の演奏、遠くに聞こえる運動部の掛け声に切なさが倍増する。自分がここにいるのが場違いに思えて仕方なかった。


「……(早く帰ろう。)」


 少しだけ歩くペースを上げて、首に巻いたマフラーの端をきゅっと掴む。

 昇降口へ向かうための階段。それを数段降りた所で聞き覚えのある声に足が止まった。低すぎず高すぎず心地よく耳に響く男の声。その声が相手にするのは、甘ったるく絡み付くような媚びた女の声。

 そっと息を殺して二人が早くその場を去ることを願った。

 少ししてすぐに女の「じゃあね」という言葉と小さくなっていく足音が聞こえ、ほっと胸を撫で下ろす。


「…ナナ?」


 しかしその安堵も束の間。その場を去ったのは女だけだったらしく、階段横から現れた男とはばっちり目が合ってしまった。
 入学してからずっと避け続けてた相手との思わぬ遭遇に鼓動が早くなる。この場から逃げ出したいのに足がすくんで言うことをきかない。


「久しぶりだな」


 見上げながらかけられた言葉に返す言葉が見つからず、行き先に困った視線を足元へ落とした。


「……」

「…なんで黙ってる」


 決して責められているわけではない。純粋な疑問符を浮かべているだけ。でもわたしにはそれが悲しかった。この人は何も覚えていないんだ。


「…ロー先輩が…嫌い、だからです…」


 今にも零れそうな涙と震える声を必死に堪えてやっとのことで絞り出した言葉にずきりと胸が痛む。握りしめた拳の中で掌に爪が食い込んだ。


「おれが何かしたか?」


 ほら、何もわかってない。これじゃあ何のために無理して自分のレベルよりもずっと高いこの学校に入学したのか。


「うそつき…」

「…あ?」

「待っててくれるって、言ったのに…」


 去年の卒業式、友達の後押しもあってわたしは一度先輩に告白している。返事はOKをもらった。だけどそれは条件付きの良い返事で、その条件というのがこの学校に入学すること。「おれは馬鹿と付き合うつもりはない、一年待っててやる。」と確かにそう言われたのだ。


「きらい」


 いっつも派手な女といるし、見かける度違う女だし、わたしに気付いてくれないし、約束だって忘れてる。期待させといて、頑張らせておいて、あんまりだ。


「…だいっきらい…っ」


 きらい。きらい。大嫌い。何度も何度も同じ言葉を繰り返し口にして気付いたら泣いてて泣くなんて負けたみたいで悔しいと思うのに涙は止まらなくて。ずきずきずきずき胸の痛みもどんどん酷くなる。


「ナナ」


 頬に添えられた手にぐいと無理矢理顔を上げられ、そこでいつの間にか先輩がわたしの一段下まで階段を登ってきていたことに気付く。


「いや…っ」


 こんな弱い所も涙でぐしゃぐしゃの顔も見られたくなくて先輩の手を振り払ってみても、逆にその手を捕まえられて身動きが取れなくなっただけ。しっかりと捕まれている手首が熱い。


「悪かった」


 あっけなく吐き出された謝罪の言葉。先輩の指先が次々と溢れる涙を拭っていく。


「もう泣くな、ナナ」


 優しく宥めるようなその声に余計に涙は溢れて頬を濡らし、抵抗をやめた自分の手は力無くしなだれている。

 何て酷いことをするんだろう。わたしの気持ちに誠実に向き合う気なんか微塵もないくせに。今ここで面倒な女だと突き放された方がどれだけ楽だったか。

「ナナ」


 名前を呼ばれる度にぎゅうっと締め付けられる胸が苦しくて、無かったことにしようとしていたはずの気持ちが絞り出される。

 もう一度耳元で低く名前を呼ばれて、我慢出来ずに先輩の制服を掴んでその胸に顔を埋めた。



「せん、ぱい…すき…です」




いになっちゃえ
あぁ、わたしは完全なる敗北者だ





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