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 昼はとっくに過ぎ、もうすぐ日も傾き始めるであろう今時分。やっと目を覚ましたおれは、まだ覚束ない視界にもう一度目を閉じ隣にある筈の温もりへ手を伸ばす。しかし、そこに求めた暖かさは無く、さらさらとしたシーツはまるでおれを嘲笑うかのように冷たかった。
 隣に彼女が居ない事に気付いて上体を起こすと、同時に覚醒し始めた五感が一つ嗅覚が鼻をつく様な強烈な臭いを感じ取る。思わず鼻をつまんで顔をしかめれば、クスクスと控え目な笑い声が耳に届いた。その声の主は鏡台前に座り、鏡越しに俺を見て笑う彼女。


「…何のにおいだ」

「コレ」


 そう言って彼女が細い指でつまみ上げたのは真っ赤なマニキュアの小瓶。なるほど。しかし、塗り慣れている筈のそれが強烈な臭いを放つ事を知らないわけが無いのだから窓位は開けておいて欲しいとも思う。
 おれは眉をしかめたままベッドの横にあるドアを開け、頭だけを出して肺一杯に外の空気を吸い込む。早朝の様な爽やかさには欠けるものの、夕方の空気は既にひやりと冷たかった。
 あぁ、だから……寝てるおれを気遣って窓を開けなかったのかアイツは。


「ごめんね、もう終わるから」

「おう」


 その言葉に部屋の中を振り返り、窓の燦に両肘を付いて寄りかかる。ここから見えるのは薄着な彼女の後ろ姿のみ。時折緩く吹き込んでくる風は彼女の髪を揺らし、細く色の白いうなじを露にした。そこから続く肩、腕、腰。滑らかな曲線を描くその綺麗な身体に素直に見とれる。


「…見すぎ」
「ん?あぁ、すまん。あまりに綺麗だったもんで、つい」

「ふふ、ありがとう」


 真剣に褒めた(口説いた、とも言う)つもりが、そんな言葉はあっさりと華麗に躱される。動揺した様子も照れた素振りさえ微塵も見せない。
 彼女の職業は所謂娼婦。更にこれ程までにいい女ならばそんな事は数多の男に言われ慣れていて、一々反応を示す程の事ではないのだろう。彼女にとっておれは大勢の男…いや、ただの客の一人でしかないのだ。
 しかし、おれはそれが気にくわなかった。ベッドから降りて真っ直ぐ鏡台に向かう。細い指の爪先が真っ赤に染まっていくのを黙って見下ろした。これは次の客を取るための準備。化粧や髪は既に綺麗に直されている。つまり爪先のマニキュアを塗り終えれば彼女とはお別れだ。


「どうかした?」


 不思議そうに尋ねてくる彼女の視線はしかし爪先に向いたまま。おれは彼女の言葉を無視して白い首筋に緩く噛みついた。ぴくり、小さく揺れた白い肩に自然と口角があがる。ちょっと、とそれを咎めるように呟かれた言葉も無視をした。白いランジェリーの頼りない肩紐をずらしてなめらかな肌に手を這わせた。


「ね…だめ、はみ出ちゃう」

「知るか」


 背後からまわした左手で顎を上げさせ、ピンと張る首筋の薄い皮膚に舌を這わせる。鏡越しに視線を合わせてやれば彼女の瞳は漸く潤いを増して頬は薄く色づいていた。
 確かにこちらに向けられた意識を放すものかと素早く抱き上げてベッドへ組み敷く。乾ききっていなかったマニキュアが真っ白なシーツを赤く汚した。


「折角塗ったのに…こんな爪じゃあ今夜は客が付かないわ」


 血に塗れたかのような指先が獲物をそそのかす様に腕に触れた瞬間背筋に走った感覚を何と呼べばいいのか。悪寒とも呼べなくないそれにしかし酔ってしまっているおれはすっかり彼女に囚われてしまっているらしい。
 


「心配するな、

    今夜もおれが買ってやる」




掛かったお前と落ちた俺



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