「お兄ちゃん、くさい」
リビングのソファーにて。俺の隣に座るなり我が最愛の妹は顔をしかめてそんな言葉を口にした。
「キモイより傷付いたぞ、今の」
「あっそ」
コーヒーを啜りながら、うるさいバラエティ番組を興味無さげに観ている妹。その横顔からは彼女が今、不機嫌であるということが容易に読んで取れる。しかし、同時に不機嫌の理由もわかってしまった俺はにやにやと弛む自分の顔を引き締められずにいた。するとそれに気付いた妹は益々険しい顔で俺を睨みつけ、最大限の距離を取るようにソファーの端へと逃げていった。
「まぁ、そう逃げんなって」
「くさい。きもい。近寄らないで」
距離を詰めるようにずりずりと近寄れば、辛辣な言葉と共に行儀の悪い足が飛んできた。腹を狙ってきたその足をヒョイと避けて捕まえる。すかさず飛んできたもう片方の足も同様に。両足を片手で纏めて押さえつけてやれば今度は拳が飛んできた。
「ははっ、お前のそういう所好きだぜ」
「うざい!」
もちろんそんな可愛らしい拳は俺には当たらない。飛んできた拳をくぐるように避けて懐に潜り込むと、ぐっと縮まった距離に妹は怯んだ。にやり、口角を吊り上げて自分よりもいくらか小さいその身体をぎゅっと腕に閉じ込める。それでも尚抵抗をやめないコイツはよっぽどこの匂いが気に食わないらしい。
「ぎゃー!離してよへんたい!」
「兄ちゃんから女の匂いするのそんなに嫌か?」
ぴたり。抵抗が止まる。何かを考えているのか、はたまた動揺しているだけなのか。右へ左へ色素の薄い黒目だけが揺れていた。やがてそれも動きを止め、長い睫毛が静かに伏せられ頬に影を落とす。俺のシャツを掴んでいた手に力が籠められたかと思うと、やっと妹は口を開いた。
「…いや、だよ」
「何で?」
本当は聞くまでもない。わかってる。ただ少し、もう少しだけ。可愛い妹の困った顔を見ていたかった。まったく、とんだ性悪の兄貴がいたもんだ。
「言ってみ?」
「言わない」
「じゃあ、当ててやろうか」
うつ向いている妹の顎に手をかけて顔をあげさせる。さっきよりもいくらか潤いを増した瞳を覗き込めば、意地悪く映る自分の顔。何か言いたげに薄く開きかけた唇を指で軽く押し潰す。
「俺が好きなんだろ、ナナ」
兄ちゃんとしてじゃなく、男として。そう付け足してやればナナの顔は何とも言えない表情に歪む。焦っているような、不貞腐れているような。
「うん…って言ったら、お兄ちゃん困るでしょ?」
「あぁ、困るね」
わざと肩を竦めて見せればナナの眉は一層しかめられ、瞳はじわじわと潤いを増してゆく。目は口ほどにものを言う、か。ゆらゆら揺れる潤いの膜は今にも弾けてしまいそうで、正にコイツの今の心情を物語っているようだった。きゅっと固く一文字に結ばれた唇を見ていると何だかこっちまで切なくて。今までに、誰かをこんなに愛しいと思ったことがあっただろうか?
「…お前がそれを認めると、俺が我慢する理由がなくなっちまうからな」
そう言った自分の声はさっきまでとうってかわって弱々しい。あんな余裕ぶって上からもの言ってたのに情けねぇ。一方、おそらく予想外であっただろう俺の反応にナナはポカンとアホ面を晒している。この沈黙が気まずくて誤魔化すように目の前の頭をかき乱してやれば、俺の可愛い妹はぼろぼろと大粒の涙を流して泣き始めた。
お前と書いてバカと読む…まぁ、お互いさまか。愛してるよ、シスターへ提出!
20110309