俺は名前が羨ましかった。
小さい頃から名前は手先が器用で、折り紙でいろんなものを俺に作ってくれた。俺はどうにもそういった細かい作業が苦手で、名前の真剣な横顔とみるみる形が変わっていく折り紙を眺めることに専念していたのだが、その時間が好きだった。名前がたった一枚の紙から全然違う形のものを生み出していく様は魔法使いのようだったし、なにより出来たと俺に作品を差し出してくるその顔が好きだった。俺がまるで長続きしなかったピアノも、名前は見事に習得した。俺から見たら何が何だかわからない譜面を簡単に理解して、さっと弾いてくれる。綺麗な音色がその指先から溢れてくるのを聴く時間も好きだった。その時も確か俺は、名前は魔法使いみたいだと思った気がする。絵も得意で小学生の時に描いた風景画は賞を貰っていた。俺はというと絵を描く行為がどうにも退屈で、美術の授業の時間内で絵を描き終えた試しがない。途中で飽きてしまう。でも、名前が絵を描いている横でどんどん絵が出来ていくのを眺めているのは好きだった。先生には名前くんのことばっかり見てないで自分のキャンバスを見なさい、なんて怒られたけど、自分の下手な絵よりも名前の上手な絵が見ていたいのは当然のことだろうと思ってスルーした。名前にも怒られた。
とにかく俺は、名前が生み出すすべてのものが好きだったし、その際に名前がする真剣な顔も、出来上がったときの満足そうな顔も、完成品を俺に見せてくるときの笑顔も大好きだった。
その大好きだった顔が、厚くて長い前髪に隠されてしまったのは中学からだ。
中学生というのは単純なもので、派手なものに視線が集まるものだ。運動が得意だけど手先は不器用で人と話すのが得意だった俺と、運動はあまり得意じゃないけど手先は抜群に器用で口下手だった名前。どちらが目立つかは明白だった。不本意ではあるけれど。
補足しておくが、俺は名前を口下手だと思ったことは一度もない。確かに得意な方ではないかもしれないし、俺みたいにベラベラ言葉が出てくるタイプではない。だがそのぶん目だとか、表情だとかでちゃんと伝えてくれるのだ。だから名前のことを地味だとか、俺と双子だとは思えないだとか言ってくる奴は心底馬鹿だと思った。勝手にアイツにイメージを押し付けて、自分の思い通りじゃないと悪口を言って排除する奴らは、正直みんな死ねばいいと思った。…ちょっと大げさかな、そんなことないか。中学生ってそんなもんよな。
一度、名前が苛められている現場に遭遇した。名前は壁際に追い詰められていて、追い詰めている奴は俺がレギュラーになったことでレギュラー落ちした先輩だった。俺に暴力をふるったら着替えの時なんかにすぐバレるから、腹いせだかなんだか知らないが、俺の弟に狙いを定めたらしい。クソ野郎。頭に血がのぼって、思わず飛び出して、そいつに殴ろうと腕を振りかぶった瞬間、名前が聞いたことないような大声でやめてと叫んだ。殴る寸前で俺の腕は止まり、名前はホッとした顔でそれを見ていた。なぜ止めたと俺の顔が言っていたんだろう。名前は優しく微笑んで、こう言ったのだ。
「和成、そんなことしたらだめだよ。和成は汚いことはしちゃだめなんだ。そういうのは、僕がやるから。」
……その時からだ、名前が前髪で表情を隠し、俺の代わりに全ての悪意を受けるようになったのは。
△▼
「……そういうわけなんだよ、真ちゃん」
「そうか」
「そうかって…もっとなんかないの」
名前が俺の前で泣き喚き、とんでもないことを言った次の日、名前は熱を出して学校を休んだ。俺はというと学校に来ても普段でも退屈な授業が更に退屈で、とにかく地獄だった。名前のクラスをこっそり覗いてみたが、名前がいないことで特に変わったこともなく、名前の分のプリントが名前の机の上に散乱しているだけだった。誰か揃えて机の中に入れとくとかしねーのかよ。どっちにせよそのプリントは我が家行きなわけだし、俺が回収した。その時そのクラスの女子に高尾くん優しいんだねと言われたが、理不尽にもこのクラスの人間全てに腹が立っていた俺は、休んでるクラスメートのプリントひとつ机に入れてやることすらできないお前らよりは優しいかもねと、少々大きな声で言ってしまった。クラスが静かになった。これは俺が悪い。名前、明日から俺のせいでクラスメートとの間に微妙な距離感生まれるかもしれない。ほんとごめんな。
そんなこんなで昼休みを迎え、俺は真ちゃんに俺と名前の生い立ちと昨日あったことをかいつまんで話した。できるだけ暗くならないように明るめに。真ちゃんは俺のそんな努力に気がついたらしく眉をちょっとひそめていたが、何も言わないでくれた。ほんと最近空気読めるようになったよね、成長したわって思ってた直後にこれだよ。俺の結構な長い話に「そうか」で終わりって!!
「なにかと言われても、答えは決まっているのだよ」
「は?答え?」
「お前はどうしたい」
「…俺は、俺は名前と仲直り…とも違うけど、もっとちゃんと、名前にも笑ってもらいたい」
「それならやはり答えは決まっている」
「だから答えってなんだよ!俺全然わかんねーって」
「…お前は、弟のことをどう思っているか、本人に直接言ったことはあるのか?」
そう言われて気がついた。言われてみれば、ない。いつも心の中で思うだけだった。普段あんなに回る口は、弟の前では回ってなかった。いっつも魔法使いみたいな弟を見て、口をぽかんと開けていた気がする。アホかよ。
「…俺、なんも言ってない……」
「なら今から伝えればいいだろう。お前たちに足りないのは圧倒的に会話なのだよ」
「………真ちゃん、俺、早退する!先輩達に真ちゃん代わりに謝っといて!」
「おしるこ1ヶ月分」
「オッケー!」
まさか真ちゃんにコミュニケーション不足を指摘されるとは思ってなかった。だけど、だけど、その通りだ。真ちゃんの言う通りだった!俺も、名前も、小さい頃は何も言わなくても伝わることが多かった。だけど周りの環境が変わって、ちゃんと言葉にしないとわからないことが増えたのに、小さい頃の記憶を引きずって、名前なら、俺なら、わかってくれるって甘えていた。それがいつからかすれ違いに代わったのだ。名前をあそこまで追い込んだのは、俺だ。紛れもない俺だった。後悔の念に苛まれながら、全力疾走で家を目指す。背負っている鞄が邪魔だ、こんな時ばかり向かい風なのも頂けない、でも、立ち止まってはいけない。一刻も早く、名前のところに行きたい。
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