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 おはよー、とつぐみの声がしたので、まだ真っ白なままの課題から視線を上げずに「うーす」と返す。いくつか空欄を埋めてからつぐみを見遣ると、加古に詰め寄られている未来が視えた。なんだそれ。思わずつぐみの席に寄って行って、まだ登校していない前の席を借りて後ろ向きに腰を下ろす。「おまえ何やらかした?」と尋ねると、つぐみがポカンとしたまま「え、なんか視えた?」と聞き返してきた。

「加古さんに詰められてる」
「え、あー、じゃあ二宮さんにシューター教えてって頼んだやつだろうな」
「それか」
「私頭固いから加古さんより二宮さんのが合ってるしょ」
「それ本人には言わない方がいいよ」
「言わない言わない」
「ていうかなんでまた突然」そんな未来は見えていなかったはず。少なくとも、迅が昨日防衛任務に出るまでは。

「いや、単にさ。これからチーム組むにしろどっかに入れてもらうにしろ、アタッカーじゃあたぶん私使い物にならないと思う。処理落ちを控えながら戦うなら、ちょっと引いたところに居た方がいいかなって」
「へぇ」

 思ったよりもつまんなさそうな声が出て、自分でも驚いた。つぐみは頬杖をついている。何ともなさそうな顔に少し腹が立って、「じゃあ玉狛来ればいいじゃん」と言ってやった。ようやくつぐみが身体を起こして、迅を正面に捉える。

「支部だからたぶんランク戦出なくていいってこと? 根本的な解決にはなってないよ、それ」察しがいいのはいいことだけど、先回りで断られるのは少し困る。

「経験積めばまだマシでしょ。玉狛は小南だっているし。別におまえにとって悪い選択じゃないと思うけど」
「まー……それもそうか」
「本部と違って住み込みも楽しいよ。大家族みたいで」
「そういう未来もある?」
「あるある。むしろ結構確率高いかな」

 最初のうちはさほど確実とは言えなかったけれど、みるみるうちに可能性が高くなっていくのが面白くて煽った。強情で頑固ではあるけれど、根が素直なんだろう。

「三嶋、今一人暮らしだっけ?」
「うん。実家に今もいるけど、うち親が単身赴任中だから実質的にひとり」
「あー、じゃあそれなら住み込みは難しいか」
「そうでもないんじゃない? 一人暮らしするくらいなら住み込みにしろって、ボーダー入るときに言われたんだよね。嵐山家が隣にいるから認められたようなもんだったし」
「ふーん」
「ていうか迅、課題やってたでしょ、戻りなよ」
「終わったし」嘘だけど。
「本当に?」
「ほんとほんと」

 色んなことを考えているんだろうけど、つぐみの向こうに見える未来がまばたきの度に変わっていく。そりゃあ、他の人だって同じようにめまぐるしく未来は変わっていくのだけれど、つぐみの場合は本人がよく頭が回るからこそだろうと思う。行く末としては、どうやら戦闘員は辞めるらしい。彼女の面差しを見るに、おそらくは向こう数年のちの後のことで、そんな先の未来が今から分かるってことはよっぽどだ。

「……まあとにかくね、考えといてよ。決めたら支部長に言っとくから」
「わかった」

 立ち上がった迅に、「そういえば」とつぐみが投げ掛ける。「今日、本部来る?」

「うん。開発室寄るけど」
「えっそっち? 秘密兵器でも作ってもらってるの?」
「そ。打倒太刀川さん」
「何それ楽しそう。私も行っていい?」
「いいけど……」

 あー、もしかしてこれか。きっかけってこれか。エンジニアになるのかおまえは。そう、心のうちで頭を抱えた。ぱっと顔を明るくしたつぐみを見て、せっかく鍛えてやったんだけどな、と人知れず裏切られたような気持ちになる。ごまかすように「ていうかおまえ、今日防衛任務じゃん」と指摘した。つぐみがはっとした顔をしていたから、大方忘れていたんだろう。頭は回るが、記憶力はたいしたことがないと本人も言っていた。

「そうだった」
「昼からだっけ?」
「うん。あー、いきなりだるくなってきた」
「おまえそういうところは人並みだよね」
「それ貶してる?」
「感性が普通って意外と大事なことだと思うけど」
「含みがあるなあ。……まあいいや」

 つぐみの視線が、ふと教室の出入り口に向く。手を挙げたかと思うと、「おはよ」と短く挨拶を投げている。迅も倣って目を向けると、ちょうど嵐山が登校してきたところだった。ちょこちょこと手招きをするつぐみの方へ、鞄も下ろさずに嵐山が寄ってきた。迅の席の前を通りがかる。「何か話してたのか?」と首を傾げる嵐山に、つぐみは淡々とした調子で「いやー、ちょっとね」となぜかもったいぶる。

「玉狛に来て欲しいなって、迅が」
「ちょっとニュアンス変えてない?」
「玉狛? つぐみが?」きょとんとした顔で嵐山が尋ね返す。

「うん。どう思う?」

 嵐山は顎を掻きながら、いいと思うけどと答えた。「メリットやデメリットなんて、おれが指摘せずとも分かってるだろうし、つぐみが行きたいと思うなら行くべきだ。おまえはおれに背中を押して欲しいんだろう?」

「さすがによく分かってるね」つぐみは満足そうに笑っている。

「決心の裏づけが欲しいだけで人に頼るのは良くないぞ」
「りょーかいです。まあ、もうちょっとよく考えるよ」
「そもそもおれが来て欲しいって言った訳でもないんだけどな?」
「あ、准古文のノート貸して」
「いいぞ。今?」
「うん。写したい」
「ねえちょっと聞いてる?」
「ありおりはべり」
「いまそかり」
「ねえ」
「はい、迅。八雲立つ?」
「出雲……」

 話を逸らすにも雑すぎる。たまらず胡乱げな半目になった迅に、つぐみは薄ら笑いを返してくる。嵐山というと言外のやりとりには察しがつかないのかあえて見過ごしているのか、「そういえばつぐみ、今日も太刀川さんのところに行くんだろ?」と教室の外を指差している。つぐみはああ、と声を上げて「だるすぎて忘れてた」と頭を抱えた。とろとろと鞄の中から二年の数学の教科書と、筆記具を取り出す。今度顔をしかめるのは嵐山の番だった。

「つぐみ、まさか二年の勉強教えてるのか?」
「まさかも何も……」

 つぐみが教科書を指差した。数学UBの文字が表紙にデカデカと躍っている。まかり間違っても1年生のつぐみが上級生に教える内容ではない。溜息を押し殺すようにつぐみが息を吸って、止めて、堪えきれず大きく吐き出した。結果的にはドデカイ溜息のかたちになる。

「風間さんには見捨てられ、二宮さんには足蹴にされて、加古さんはおもしろがって教えてくれないんだって。もう忍田さん直々に『どうにかしてやってくれないか』って」
「太刀川さん……」嵐山が悲痛な相槌を打つ。

「みなまで言うな。たぶん私も迅も同じこと考えてるけど」

 かぶりを振って、それからつぐみは教室を出て行った。なかなか押しには弱いから、忍田本部長に頼み込まれては断りきれなかったんだろう。背中を見送りながら、同じく太刀川の成績を推し量って切ない顔をしている嵐山に「三嶋ってさ」と話しかける。

「うん? うん」
「昔からああなの?」
「ああ、とは」
「賢いけどバカだよね?」
「ずいぶんな言い草だな」ふは、と嵐山が笑い出す。

「今日なんか防衛任務忘れてたよあの子」

 迅の言葉を受けて、嵐山は本日二度目の悲痛な顔になる。視線が窓の外を向いているから、きっと幼馴染の所業を思い返しているのだろう。ややあって、「昔はもうちょっとしっかりしてたかな。たぶん」と返してきた。

「へえ。想像つかないな」
「しっかりしてたっていうか、努めて隙を作らないようにしてた。今思えばサイドエフェクトのせいもあったんだろうけど、人一倍器用なせいで少し浮いてたから」

 つぐみの姿を思い返す。教室で見る後ろ姿。普段の生活を見るに友達がいないわけじゃなさそうではある。が、言葉を選ぶように話すのは相手に合わせて会話するための癖なんだろうけど、どこか一線を引いたふるまいにも取れる。少なくとも同年代の砕けた話には向いていない。

 勉強ができて、運動もできる。一目置かれていると言うのはいい表現だけど、実際のところは本当に親しい友人は少ないだろうと推測できる。

「……今もそういうところあるけどね」
「それ、迅が言うのか」
「えぇ?」

 そりゃあ、あまり人と深く関わらないようにはしてたけど。大規模侵攻の前は、特に。けれどそれを鈍そうな嵐山に指摘されるのは意外だった。案外人を良く見ているのだろうか。痛いところを突かれてひとり戦々恐々とした迅をよそ目に、嵐山はぱっと快活きわまりない笑顔を浮かべる。「でも、」

「今はずいぶん楽しそうだ。迅のおかげだな」
「ありがたいね、それは」
「本気だぞ」

 躱すような迅の返答を、嵐山が目ざとく拾い上げる。「おれでは駄目だ。駄目だったんだ。だから迅には感謝してる」そう言った嵐山の語気に気圧されて、迅は言葉に詰まった。

「……ずいぶん目をかけるんだな」

 ようやく絞り出せたのは、非難じみた言葉だった。が、嵐山は一顧だにせず「大事な、家族みたいなものだから」と返してきた。

「おれじゃなくて、身内ではない誰かが……憧れでも羨望でもなくて、対等な立場で見てくれる人が欲しかった。だからボーダーに誘ったんだ。迅がいてくれて良かったと思ってる」

 てらいもなく言い放つ嵐山が眩しかった。真正面から感謝の念を伝えられてしまっては閉口するしかない。軽口を叩いていいとも思えない。ようやく「そっか」と相槌を絞り出すと、嵐山も満足そうに自分の席へと戻って行った。ひとり残された迅に、つぐみから『太刀川さん腹立つ。課題そっちのけで雪見だいふく食べてる』とメールが入ったことには流石に笑った。

 しばらくつぐみは転属について悩んでいるようではあったが、迅から追い討ちをかけることはしなかった。彼女の判断はおおむね正しいことは知っていたし、そうであるならば、思う存分悩むことも必要だ。特につぐみのような人間にとっては。結論が出るまでの間にも模擬戦はしたし、エンジニアに頼み込んで開発を続けていた新型のブレードトリガーを試しもしたし、つぐみもそれについてきた。黙々と調整を行うチーフの背後で同じように画面を凝視し始めたときにはどうかと思ったし、ややあって「うわーすごいなボーダーって。こんなの数年のうちにやってたわけ……?」と目を輝かせながらのたまったときには本当にどうかしていると思った。その帰り、キラキラしたままの顔で「色々考えたんだけど、やっぱ玉狛行く! 専属のエンジニアさんいるでしょ? 戦闘員は続けるつもりだけどメカ系も教えてもらいたいし根回ししといてよ迅そういうの得意でしょ」と希望を語られ、思わず「そっちかよ」と毒づいた。これはしょうがないと思っていただきたい。

 彼女は実家があるにも関わらず、玉狛への住み込みを選んだ。「嵐山家に頼りっきりじゃ申し訳ないから」と口では言っていたけれど、本当のところつぐみが何を決め手にしたのかは分からない。嵐山の母が、ひとりで暮らすつぐみを心配してよく面倒を見てくれるらしいから、口に出した理由も決して比重は小さくないのだろうが。

 玉狛に部屋をもらったつぐみは、案内を買って出た迅に「今日からここが私の家か」と嬉しそうに言った。起こってしまったことは仕方ない、とかつてみずからの母の死を他人事のように語っていたけれど、理解と納得は別だと迅は思う。「仕方ない」と「それでも悲しい」は両立していいものだ。

 荷解きを手伝うさなか、無駄話の中で「そういや昔のおまえ、もっとツンケンしてたんだって?」と、先日嵐山から聞いたことに、多少の脚色を加えて話した。途端につぐみの顔が険しくなるので思わず笑みが深くなる。

 つぐみは案外キャパが狭くて、苛立ちが顔に出る。どこか泰然とした雰囲気のある彼女もそういうときばかりは年相応の顔になるものだから、ついついからかい混じりに話しかけてしまう。彼女からすればむしろ迅の方が年齢なりの無邪気さを披露していることになるのかもしれないが。

「やめてよ黒歴史なんだから。誰? 准だよね? いつ聞いたの」
「けっこう前。詳しく聞きたいな〜おれは」
「迅、性格悪いって言われない?」
「これが初めてだな」

 むっとつぐみが唇をとがらせる。どこか遠いところを見るように目を細めた。仕草が嵐山に似ている。それが面白くなくて、「で、どうなの?」と追い討ちをかけた。

「まあ、学校の授業とかつまんないし、張り合いないし。嵐山家が頭いいから分かんなかったんだけど結構世の中バカばっかりなんだよね。ナメられたくなくて頑張ってはいたから、准が言ってるのはそれじゃない?」

 話合わせるのもめんどくさかったから友達とかいなかったし、とも言った。ずいぶん淡々とした調子だった。どうでもいいとすら思っているかもしれない。手を止めた迅が、できる限り穏便な言葉を選んで黙考する。

「……つぐみ、口悪いって言われない?」
「これが初めてかな」にんまりとつぐみが笑う。意趣返しのつもりらしい。

 つぐみの荷物はあまり多くはなかった。通帳だとか親から預かった書類だとか、本当に大事なものは鍵つきの箱に放り込んできたらしい。収納スペースにそっくりそのまま押し込んでしまった。少しの衣類と、教科書や参考書を片付けてしまえば引越し作業が終わったも同然で、残された仕事といえば転属祝いに林藤が奮発して買ったマットレスにシーツをかけるくらいだ。ベッドに二人並んで腰を下ろしてひと息つくと、思い出したような調子で「そういえば」とつぐみが口を開いた。

「准に誘われてミニバス初めてからは、バカだけどバカじゃない太刀川さんみたいなタイプもよく見るようになったかな」
「へえ。で、多少マシになったの?」暗に、友達がいなかったということに触れる。つぐみがそれを察して苦笑した。

「少しはね。まあ、なんだかんだ助けてもらってるし、准には頭上がんないんだよね」

 照れくさいようで、くしゃくしゃに顔をしかめてそう言ったつぐみの笑顔がやけに眩しくって、迅はたまらず目を眇める。

「嵐山、おまえのことは家族みたいなもんだってさ」
「うん。同い年だけど兄貴分だよ。笑っちゃうよね」
「笑わないよ」

 どうしてか無性に腹が立った。苛立たしいような、恨めしいような、とにかく不快なものが腹に溜まって仕方ない。つぐみがきょとんとした顔で迅を見上げて、そう? と首を傾げた。



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