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 高校に入ったばかりの、まだ肌寒い春のことだった。廊下の向こうからやって来る女子生徒と、すれ違いざまぶつかりかける――という寸前、先読みした迅が避けようと身を捩ったのと、彼女がひょいと道を開けたのが同じタイミングだった。迅が見た未来では避けるそぶりもなかったものだから、反射神経の鋭い子なのかと少し驚いた。

 思わずじっと顔を見てしまって、視線に気づいた生徒が顔を上げる。目が合った。あ、結構好みのタイプだなと思ったのはその後だった。

 彼女の未来にはバスケットコートと、瓦礫や硝煙と、そして無機質な内装の部屋で誰かと話す姿とが混在している。どうやら彼女も、近々運命が変わる立場にあるらしい。他の色々な人と、そして迅自身と同じように。

 少なくとも、彼女がおそらくは死なないであろうという可能性だけがありがたかった。近く起こる未曾有の悲劇を前に、そこら中に死の可能性が転がっていて気が滅入る。あまりにも膨大な未来を前に、何を救って何を見捨てるべきか、まだ迅には分からなかった。

 彼女は道を譲った迅に会釈をしたけれど、迅はそれに返しはしなかった。死なないかもしれないけど、死ぬかもしれない。他にもそんな人間がわんさか集まる学校という場で、必要以上に誰かと関わりたいという気持ちは起きなかった。

 大規模侵攻によって高校の敷地が避難所になり、そしてまた授業が始まるまでにはいくらか時間が掛かった。ボーダーや行政が苦心して街としての機能回復に努めてくれたおかげで、多数の死傷者や行方不明者を出したとはいっても、復興は上手く行った方だろう。

 ふたたび登校した教室にはあちこちに空席があった。何人の生徒が死んで、誰が三門を去ったのかまでは把握していなかったものの、あの女子生徒――三嶋つぐみの顔があったことに、淡い安堵を感じた。

 改めて目の当たりにしたつぐみの未来には、もうバスケットボールが飛び交う景色はない。何か大きな決断を、彼女はもう下した後らしい。代わりに、ちらついていたあの無機質な部屋が、出来上がったばかりのボーダー本部であることを察した。弧月を片手に提げている。

 玉狛の元本部に帰ると、ちょうど入れ違いに木崎が出かけるところだった。いつもなら小南が騒いでいるところだろうに、今日ばかりは姿が見えない。リビングに鞄を置きながら視線をさまよわせている迅に向かって、木崎が「小南なら本部にいるぞ」と伝えた。

「え、本部?」
「いとこがボーダーに入ったらしい。ずいぶんと張り切って出かけてった」
「へえ。いとこが」
「暇ならおまえも行くか?」

 どうやら、木崎もこれから本部に向かうらしい。新しい面子たちにとっては、あのばかでかい建物が出来る以前からのメンバーは教えを請うべき相手になる。面倒見の良い木崎は、模擬戦にでも付き合うつもりなんだろう。迅はというとたいして気乗りはしないものの、ふと頭に例のクラスメイトの顔が浮かんだ。もしかすると彼女がいるかもしれないし、生身でも動けるタイプだっていうなら鍛えてやって損はない。ややあって、二人揃って玉狛の建物を出た。

 三門を襲った近界民をどうにか撤退させたという触れ込みで、ボーダーがずいぶんと英雄視されているのは話に聞いていた。模擬戦用ブースのロビーが年若い新入隊員たちであふれ返っているさまを見るまでは実感がなかったのだが。

 小南の姿がないなと思っていたら、ガヤガヤと騒がしい一段がとあるブースから顔を出した。思わず見やると、騒がしいのは小南があのよく通る声で何やかんやとほかの人間に話しかけているからだった。ブースからは彼女のほかに二人出てきて、その中の一人があの三嶋つぐみだった。あれが小南のいとこなのかと思ったけれど、よく見ればもう一人の少年の方が小南に似ている、気がする。正誤は分からないが。

「あ、迅! レイジさん!」

 たぶんトリオン体のまんまなんだろうけど、障害物をひょいひょい乗り越えながら小南がこっちにやって来るので、まわりの人間がギョッとしている。後ろで小南に指南を受けていた二人組が苦笑している。木崎がかれらに会釈をすると、律儀なお辞儀が返ってきた。

 駆けつけた小南が「あれ、私のいとこと幼馴染なの」と、歩いてこちらに近づく二人組を指差した。木崎が「どっちがどっちだ」ともっともな疑問を呈する。ようやく追いついた二人組のうち、少年の方が「迅だろう? ここの隊員だったんだな」と快活に笑った。そういえば見たことがある顔のような気もするが、自信がない。曖昧に笑い返すと、つぐみも迅に、「名前忘れちゃった。ジンくんだっけ? もしかして同じクラスじゃない?」と問いかける。

「つぐみ、あんたクラスメイトの名前もわかんないの?」
「やー、だって入学早々休校したらねえ」
「ひと月もあればだいたい覚えるだろう」
「いやいやいや」

 首を振るつぐみに、小南は「こっちが、まあ知ってるだろうけど迅。隣がレイジさん。どっちも元からボーダーにいるの。で、こっちが嵐山准、私のいとこ。と、幼馴染のつぐみ」と簡単に紹介を述べる。それから、思い出したように迅の顔を見上げた。「そういえば、つぐみは弧月でしょ? 迅から色々教わるといいわ。私は他人を鍛えるとかは苦手だし、それにこいつもサイドエフェクト持ちだから」

 へえ、とつぐみが相槌を打つ。「この人はなに?」と小南に尋ねている。つまんなさそうな顔で、「未来視」と小南が答えると、つぐみは表情を明るくした。「おもしろいね、それ」

 おもしろいとは何だ。好戦的で不遜な態度とも言えるけれど、彼女の周りにチラつく未来では確かに迅が剣を教えている。「おれも誰かにものを教えるとかいうタイプじゃないしなあ」とは口に出して言ったけれど、できることなら穏便に断りたいのが本音だ。面倒臭いから。未来を視てしまっているからきっと確実に実現してしまうのだろうが、どういう経緯があってその結末に至るのかには興味があった。

「模擬戦くらいなら付き合ってもいいけど」自分のトリガーを指して、迅が言う。
「じゃあ今からどうかな」
「いいよ」

 頷く迅に、小南が「あ、そうそう。この子のサイドエフェクトは、」と言いかけるのを制した。「いい。ハンデがあるくらいでちょうどいいでしょ」

 そう迅が言い放つ。つぐみの目の色が変わって、爛々と迅を見据えてくる。思っていた以上に好戦的な性格をしているらしい。勝ち気さなら小南の方が上だけれど、物分りの良さそうな顔をしながら向けてくるような目ではない。こっちの方がよっぽど悪質だ。

 ブースに入り、転送されて早々に一本先取した。つぐみが「本当に未来が見えるんだ?」と問いかけてくる。

「視えてるよ。このあとベイルアウト先でおまえが舌打ちするのもね」

 迅が笑うと、つぐみの顔がしかめられる。

 2本目は少し粘られた。先読みしたはずの迅の太刀筋を、つぐみが体を捻って回避する。返す刃は分かりやすくてまだ青い。

 3本目、先んじて放たれた突きを躱して、ガラ空きの胴を凪ぐ――が、身を弛めたつぐみの姿が視界から消えた。擦れ違い様に片足を取られる。振り返り彼女を再度視野の中に捉える。横薙ぎにまた剣を振ると、苦しげな顔をしながらもつぐみの弧月が迅の切っ先を弾いた。が、すぐに体勢を立て直した迅に首を撥ねられる。

 ワンセットでは死なないどころか、先読みしたはずの攻撃を躱された。驚きはあるものの、腑に落ちるところもある。初めて会ったとき、出会い頭で迅の反応を見て避けた。確定していたのとは違う動きで。今もこうして彼女は未来視を覆している。からくりがあるとするなら彼女自身が未来を知っているか、あるいは――

「おまえ、異様な速度で反応してない?」

 ブースの中、転送処理を待ちながら、迅が指摘した。未来視なんていう特異なサイドエフェクトが同じ時代の異なる二人に発現している可能性が低い。であるならば、普通ならば避けられないはずの迅の攻撃を避けているのは、確定すべきポイントで未来が確定していないということになる。

「強化伝達体質って言うんだってさ」
「なるほどね」

 否定されないということは、おそらく読みは合っている。仮想空間で再会したつぐみは淡々とした表情で「慣れてきたな」と嘯いた。慣れてきたのはこっちもだ。

 そこから動きが変わった。視た未来を先どるよりも速く、手を変えて斬撃が飛んでくる。迅もさりとて未来視に胡座をかいていた訳ではない。よりギリギリまで彼女の剣を引きつけて、致命的なタイミングを探る。シビアな読み合いが重なるごとにつぐみの反応も早くなる。迅の身じろぎですらつぐみにとってはヒントになる。牽制、先読み、布石を打っては切り結ぶ。初めての感覚だった。未来を選び損ねる心配を、ただの模擬戦ですることになるとは。4本目を獲るには少し時間が掛かった。折り返し地点はもうすぐだ。

 ブースに戻り、再度申し込んだ対戦がなかなか承認されない。装備でも組み直しているのかと思ったが、一度退席するのなら声が掛けられないのもおかしい話だ。いくから様子を見てからつぐみのブースを訪うと、中からは物音ひとつしてこない。何があったかと室内へ入った迅の目が見開かれた。

 物音がしないのも当然だった。つぐみがマットにうずくまるように倒れこんでいる。身体を動かすか少し迷ったものの、顔色を伺うべくうつ伏せから仰向けへと体勢を変えさせると、迅の手に赤いものが伝う。つぐみは意識を失ったまま鼻血を出していた。

 読み逃した。トリオン体でよかった。担ぎ上げても問題ないと読んで、脱力したままのつぐみを抱えてブースを飛び出した。遅れて、小南と嵐山が追ってくる。血相を変えた迅の背中に、小南が「ちょっと迅! つぐみどうしたのよ!」と噛み付いてくる。が、迅はつぐみの顔を伺いながら未来を視るので手一杯だった。ただならぬ様子を察して、追いついた嵐山がつぐみの身体を受け取って背に担ぐ。医務室。ベッドに横たわるつぐみ。気だるい様子ではあるけれど、起き上がりはしている。

「今までこういうことあった?」無事が視えたことで安堵はしたが、何が起きたのかまでは未来視だけではわからない。嵐山と小南に尋ねかけるも、かれらは首を横に振る。小南に、つぐみが倒れる可能性は視えていなかったのかと問われて、今度は迅が否定した。

 つぐみを医務室へと運び込むと、大所帯で乗り込んだせいで一時は白い目を向けられたものの、意識を失ったままのつぐみを見れば話は別だった。てきぱきと診察が進んでいくさなか、邪魔だからと通路に3人ともが追い出される。顔を見合わせて様子を伺い合うと、ややあって、嵐山が「桐絵は戻るといい。俺が残るから」と言った。小南が言葉を返すよりも先に、迅へ「おまえはどうする?」と問いかける。有無を言わさぬ様子はさすが従兄弟だけある。

「残るよ。おれのせいみたいなとこあるし」
「予見できなかったんだからただの事故だろ? おまえが気に病む必要はないと思う」

 きっぱりと断言する嵐山だったが、しかし「様子を見たいっていうなら、残ればいい」とも言った。置いてけぼりを食らった小南が不安そうに医務室のドアを眺めている。

「桐絵はうちに寄って帰ってくれ。連絡は入れておくから」
「え、どうして」小南が不満げに嵐山を見上げた。
「大事にならなかったらすぐに帰れるだろうけど、つぐみを家でひとりにする訳にもいかないし」
「あ、そっか。客間の準備をしとけばいいわよね?」
「頼む」

 ひとつ頷いて、小南が意気揚々と駆けていく。処置にどれだけ時間が必要かは知れないが、長く掛かるなら小南をここに置いたままにはしておけないし、かといって頑固者の彼女に「もう遅いから帰れ」などと言ってもきかないだろうことは迅でもわかる。よく見てるなと思うとともに、口八丁で丸め込んだことにも感心する。

 30分と経たないうちに、「原因は分かりましたので」と言って、室内へと招かれた。特段変わったところもなく、つぐみは静かに横たえられている。担当の医療スタッフが嵐山と迅の顔を交互に見て、悩ましい様子で「ええと、近しい方っています?」と尋ねてきた。迅は、自分ではないと判じて嵐山に目配せする。かれは大真面目な顔で頷き、手を控えめに挙げながら少し迷って、それから「義理の兄です」と言った。思わず「マジかよ」と声が出た。

 どうやら、話を聞くところによると、つぐみのサイドエフェクトは感覚の伝達だけではなく、脳の回路の働きも常人より速いのだという。倒れる前の様子を尋ねられて、模擬戦をしていたと答えると、「じゃあそれですね。思考スピードが加速しすぎたんでしょう。トリオン体でいるときにはなんともなくても、換装を解けばフィードバックがありますから」と述べられた。要は、トリオン体で調子に乗りすぎたせいで、生身に戻った瞬間に処理落ちしたということらしい。

「人間の身体は意外と頑丈ですから、ひとまず死にはしないでしょうけど、少なくとも今日中は安静にしてて欲しいですね」いう一言で診察が締めくくられた。スタッフはそのまま医務室に詰めていたが、つぐみが一眠りし終えて目を覚ますのを確認すると「じゃあお兄さん、ご説明お願いします」と他人事みたいに休憩に出ていった。

 若干ぼんやりとしたままつぐみに診察の結果を伝えると、「そっか」と一言のみが返ってくる。

「反応薄くない? もしかして寝ぼけてる?」
「いやあ、だってそういう理由ならしょうがなくない?」

 むくりと起き上がるつぐみはむしろ、「准いつから私の兄になったの」と、見当違いの場所を気にしている。あまりにもあっけらかんとした様子に、少なからず湧いていた罪悪感や心配が霧散した。もうちょっと深刻に考えた方がいいのでは、とすら思う。気遣いを棒に振ってしまったような、あるいは裏切られたような気持ちだった。たまらず迅は眉間に皺を寄せる。

「今日はうちに泊まってけ」「心配しすぎ」「何かあってからじゃ遅いだろ」なんて会話をしている幼馴染たちの会話を遮って、「弱いのに無理するからじゃない?」と言い放った。

 つぐみと嵐山の視線が同時に迅へ向く。あ、失言したわ。そう自覚したところでいまさら引っ込めようもなかった。ぽかんとしていた嵐山をよそに、つぐみの方は真顔で「は? 普通にむかつく」と返してくる。

「迅、思ってても言わない方がいいこともあるぞ」
「それたぶんフォローになってないよ」

 ああ、こういう経緯だったのかと、納得しながら「おれが鍛えてあげる」と提案する。意表を突かれたらしいつぐみが、迅の顔をぽかんと見つめて硬直した。「経験がないのをサイドエフェクトでどうにかしてるから負担がでかいんだと思うけど」

 わかった、いいよ。そう答えたつぐみに、もうちょっと真剣に考えた方がいいのでは?ともう一度思った。



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