■ ■ ■

 参った。着替えのTシャツがない。あろうことか暑いからとジャージの上着も置いてきた。体育、どうするかな。少し迷ってから教室を出る。玉狛にいた時には林藤支部長やゆりといったメンツにに泣きつけばなんとかなったろうにと、思う。こんなしょうもないところで独り立ちを悔やむとは思ってもみなかった。

 他のクラスの友達も軒並みジャージを持っておらず、仕方なしに幼馴染のいる教室へ向かう。室内を覗き込むと、ちょうど迅と何かを話しているところだった。幼馴染――嵐山よりも一足はやく迅がつぐみの姿に気づいてにんまり笑う。未来視でつぐみの忘れ物を知っていたのかもしれない。嵐山に目配せをしていた。知っていたなら忠告くらいくれたっていいのにな、なんて責任転嫁に近い悪態は胸のうちにしまっておく。

「ごめん、准ジャージ持ってない?」
「おはようつぐみ。悪いけど今日はないな」
「やっぱりか」
「ほかの友達は?」
「全滅。まぁ暑いからしょうがない」
「だろうなぁ」

 嵐山とのやりとりの間に迅が消えた。かと思うとにんまり顔で戻ってきて、「感謝しろよ〜」とジャージを差し出してくる。ありがたく受け取ろうとしたらサッと引っ込められて、思わず眉間に皺が寄る。思わず追いかけて引っ掴みそうになった。

 迅の顔を見上げると、ニヤニヤしたまま「貸してもいいけど、体育、おれと勝負しよ」とのたまう。クラスは違えど、体育は男女別に行う都合上複数クラスが合同で行うよう時間割が組まれている。迅や嵐山のクラスとは同じ時間になっているからやろうと思えば勝負はできる、けれど、そもそも男女別になってるものをごた混ぜにしていいかどうかは別だろう。まぁ、嵐山が楽しそうに「勝負するのか」なんて乗っかっているから、問題にはならないだろうが。差し障りがあるのなら黙っておかないのがこの幼馴染だ。

「なんでまた」
「模擬戦できなくなったからな」戦闘員からの異動のことを指して迅が言う。

「模擬戦ていうか迅の試し切り大会だったじゃん」
「そのせつはお世話になりました?」
「語尾を上げるな語尾を」
「まあとにかくさ、バスケでいいからやろうぜ」
「いいけど准は借りてくよ」
「えぇそれ卑怯じゃない?」
「われわれの実力を見るがいいわ」
「じゃあおれ柿崎貰ってく」
「うわえげつない」

 とにかくよろしく、と念を押されながらその場を後にすると、入り口付近にいた女の子と目が合った。つぐみのクラスメイトだった。この教室の前にいるのは珍しい。物言いたげなまなざしに、あぁ准のファンだったのかなと見当をつけた。擦れ違い様、つぐみの様子を伺うように視線を向けられたのは看過しておいた。反応したって、きっとろくな目に遭わない。経験上、ボーダーの広報担当――の、幼馴染という立場は面倒事しか呼び込まないと知っている。

 いざ体育の時間になって、借りたジャージに着替えると、玉狛で使っていた共用の洗濯洗剤の匂いがした。懐かしさで胸がキュンとする。小南や玉狛のメンバーたちに会いたくなった。迅は、まぁ別にいいのだけれど。会うし。

 どうやら嵐山がうまいこと教員に話をつけたらしい。つぐみと嵐山のチームと、迅と柿崎のチームに分かれ、それぞれもう一人ずつクラスメイトを入れての3on3、5分を3本の勝負になった。コートをなかば貸し切るような形になるせいで、わりとギャラリーが湧いている。主に女子の視線が突き刺さっているからか、柿崎が若干おろおろしながら「え、このチーム分けでいいのか?」と嵐山に問いかけた。

「柿崎はお気に召さない?」迅から借りたジャージの腕をまくり上げながらつぐみが笑った。柿崎は言葉に詰まる。

「お気に召さないというか……いちおうこいつ迅だぞ」
「いちおうって」柿崎の物言いに迅が笑い出した。

「しょうもない試合にはしないから安心してよね」
「おまえが上手いのはよく知ってるけど」
「まー体格差あるのは事実だけどね。迅はあと30縮め」
「つぐみなら大丈夫だろう。当たらなきゃいい」
「さすが嵐山は無茶振りするね〜」

 ワチャワチャと話しながらコートに入る。迅と嵐山がジャンプボールのために向かい合う。背丈がほぼ同じだから、どっちが取るのかが分からない。けど、嵐山が取るなら間違いなくボールはつぐみに飛んでくる。確信があった。

 嵐山より一手早く迅が跳んで、指先がかち合う。転がり出たボールを拾い上げたのはつぐみだ。追いかけてくるクラスメイトの男をドリブルで躱すと、柿崎が「迅!」と短く指示を出す。が、迅が視ていたのは嵐山の方だった。背中合わせなら怖くない。間に合わないと判じた柿崎がゴール前に向かうべく踵を返した一瞬をついて、一歩、二歩。つぐみが跳ぶ方が早かった。「あれま」と小さく迅がつぶやくのが聴こえてくる。

 結局その後押し切られて、勝負は1−2で負けてしまった。嵐山が柿崎に抑えられると、単純に迅が邪魔になった。おまえはおれに勝てないよ、と高らかに言い放った迅にちょっとイラっとして横っ腹をどつく。未来が視えていたくせにあえて避けなかったのか、そのまま殴られた迅が「痛いな〜」と脇腹をさする。

 女子の中に戻っていくと、勝負の終わりを察してギャラリーが散っていく。人並みをひょいひょいと縫ってひとりのクラスメイトが近づいてくる。彼女は「おつかれ」と微笑みながら隣に立った。「つぐみちゃんやっぱりすごいね」と首を掻いている。

「衰えたもんだけどね」
「辞めちゃって長いもんね」
「ボーダーいると兼業できないしねー」親も三門にいないから、ボーダーに入らなくたって辞めていただろうけど、それは言わずともいい事実だ。

「ところでさ」と、少し声を落としてクラスメイトが囁く。おそらく続く言葉が本題だろう。耳を寄せると、一瞬彼女はためらって、それから意を決したように口を開いた。きりっと目元を引き締めても、全体的に丸っこいつくりの顔はかわいらしい印象にしかならないなと思った。

「つぐみちゃんって迅くんと付き合ってるの?それとも嵐山くん?」

 あ、それか。思わず落胆して、顔にだけは出さないように「えぇ?」とわざとらしい相槌を打った。彼女は真剣そのものといった面持ちだから、一笑に付すのはかわいそうだ。

「それ聞かれるのこれで100万回目だけど、どっちもないよ」
「そうなの?」つぐみの放ったボケは見事にスルーされた。

「うん。何度聞いても迅は同じ支部の隊員で准は幼馴染。以上です」

 厳密にはもう同じ支部につぐみの方はがいないので、ただのボーダーにいるひと同士でしかない。蛇足だろうからそこまでは伝えなかった。

 クラスメイトはどこかほっとしたようにそっかと頷いて、それから、ジャージのポケットから折り畳まれたメモのようなものを取り出した。この流れだと、手紙だろう。どちら宛のものかは分からないけれど、こういうときはおおむね嵐山の方と相場が決まっている。

「迅くんに渡して欲しくて」
「迅かぁ。いいけど、たぶん『奥手でいじらしいな〜』みたいにはなんないと思うよ?」
「……いい。自信がないから」

 じっとつぐみの目を見据えていた視線が足元へと落ちていく。甘酸っぱいなぁと他人事のように感じた。他人事なのは間違いない。けど、思うに、かわいらしい感じの子がタイプだろうし、自信がないとは言いつつも普段の彼女は明るくて朗らかで、いっそう好みだろう。

「自信持っていいと思うけどなぁ。そういうもんなの?」
「そういうもんだよ。つぐみちゃんみたいになんでもできる人には分かんないと思うけど」

 手紙を受け取って、ジャージのポケットに突っ込みながら、そういやこれ迅に借りていたんだよなと思い出した。私取り柄がないからなぁとごちる彼女を元気づけるにはどうしたらよいものかと考える。

「……私も迅も玉狛支部の住みこみなんだけどさ」若干の嘘を交えて伝える。うん、と彼女が頷いた。捲っていた袖を引き下ろして、汗臭くないことを確かめる。両袖の先を彼女の鼻先につきだした。

「これが玉狛の匂い」
「!?」
「どう?」
「私には刺激が強すぎたかもしれない……よく分からなかった……」
「まじか〜」
「ちょ、ちょっともう一回」

 興奮気味に手招きするクラスメイトにちょっと引き笑いを向けながら、この子が匂いフェチに目覚めたら自分のせいかもなと腹を括った。


「で、素直に渡したのか?」

 学校帰りに本部に寄ったら、防衛任務前の腹ごしらえにつきあってくれと嵐山にとっ捕まった。首を揃えて食堂で向い合う。嵐山は日替わり定食を頼み、つぐみはカツ丼ときつねうどんを頼んだ。生まれてこの方、大食漢にできているが、今更嵐山も野暮な指摘は入れてこない。今日の出来事を語るつぐみに、眉をひそめるだけだった。

「まだ持ってるけど、ジャージ返すついでに渡そうかなとは思ってる」
「どうして?」
「えっ、頼まれたから」

 きょとんとしているつぐみに、嵐山は深く息を吸って、それから口を引き結んで押し黙る。まるで溜息を呑み込むような格好だった。

「迅のことが好きなんだろ、つぐみは」
「いや、べつに人の恋路は邪魔しないってだけだよ。私も迅と付き合いたい訳じゃないからね」むしろ、ひっくり返ったって付き合いっこないのだ。

「そんなことがあるか?」
「あるある」

 至って真面目に頷くつぐみを見て、今度こそ嵐山が溜息をつき直した。

「まあ、おまえがそう言うならそうなんだろうな」
「理解していただけたようで何より」
「また小難しい理屈でもこしらえてるんだろ」
「そんなことはないよ多分」
「……おまえが道徳の授業のたびに担任と喧嘩してたのを思い出した」
「それは若気の至りなので……ていうか准だってちょいちょいやらかしてたじゃん……」

 反論のつもりでそう言ったのはいいけれど、遠まわしに指摘を肯定していることに気づいて、どんどん言葉尻が濁った。嵐山がかつて、ボーダーの広報イベントで「家族が無事なら最後まで思いっきり戦えます」とマスコミに向けて言い放って関係者が肝を冷やしたことを思い返した。われながら、似た物同士の幼馴染である。

「話を変えよう」
「……それは露骨すぎないか?」
「いい天気だね〜」
「もう夜だぞ」

 ふふっと小さく笑ってから、嵐山は箸を置き、腕を組む。「理屈屋なのはいいが、その頑固なところは直さないといつか痛い目を見るぞ」

 分かってるよ、と返したけれど、実のところ、もう引っ込みはつかないだろうと諦めをつけている。自分と迅は何があろうと甘い関係にはならないと、2年も前から決めつけているのだから、今更それを撤回できようもない。まして、自分ばかりが。

 言葉を詰まらせたつぐみを見て、嵐山は「そういえば」と話題を変える。手痛い指摘をしてくる割には詰めが甘いというか、手ぬるい。つぐみは丼から視線を上げて、嵐山を見る。気まずい顔のつぐみに苦笑を向けた嵐山が「新しい持ち場には慣れたか?」と問い掛ける。ややあってつぐみもそれに首肯を返した。

「うん。やりたい研究も定まってきたし、上々だな」
「それは良かった」
「トリガーの解析も回して貰えるし、張り切って仕事するよ」
「出世したな。遠征で回ってきたトリガーをってことか」
「うん。まあでも、ひとまず当面は黒トリガーをいじり倒させてもらう」
「天羽のやつか? それとも風刃?」
「解析したいのはやっぱ風刃だよね。胸が高鳴るわ」
「その感覚は流石にわからないな」
「だろうね」

 迅には「最上さんを変態の毒牙にかけるのは気が引けるな〜」だとか言って馬鹿にされそうだなと思ったけれど、藪蛇をつつくかもしれないので黙っておいた。

 次の日登校すると、例の女の子がつぐみの姿を見つけてチラチラを目配せしてくるのが分かった。苦笑とともに「おはよ」と応えると、つぐみの前にある空席に腰を落ち着けて「よくよく考えたらすごい申し訳ないことした気がして、ごめん。あとおはよう」と早口でまくし立ててくる。

「いや、いいけど。でも私異動になっちゃってまだ会えてないんだよね。このまま渡していいの?」
「あー、どうしよ」困り顔の眉毛がきれいなハの字になった。
「やっぱり自分で頑張ってみるのは?」
「そうしようかな」

 意を決した顔でクラスメイトが頷く。それならあの手紙は破棄しておいた方がいいかなと思っていると、不意に「つぐみー」と間延びした声が私を呼んだ。あ、迅だと気づくのと同じくらいのタイミングで目の前の人が凍りついた。教室の出入り口から迅が顔を覗かせている。のんびりとした足取りでこちらにやって来た。どうしたのと問い掛けると、ヘラヘラしながらも迅は「物理のノート貸して」と答える。

 話に入れば? という気持ちを込めてクラスメイトへ目配せすると、彼女は未だ固まったままの状態だ。みるみるうちに顔が赤くなっていく。ああ、恋してるってこういうことなんだなぁと他人事のように思った。

「あれ? 昨日シフトじゃなかったよね」
「寝てたの。嵐山今日朝からいないし、借りるならつぐみ一択でしょ」
「あ、つぐみちゃん理系めちゃくちゃできるもんね」

 はっとしたように、つぐみの方へ身を乗り出してきた。「やー、まあ、うん」と苦笑を返す。
「謙遜できないよな。数字で出ちゃってるし」
「まあたまたま向いてただけだよ」
「そうくるか」

 そんじゃまた本部で。ひらひらと手を振って迅が教室へ去っていく。普段通りの、いつもの迅だ。もうちょっと何かあってもいいんじゃない? と思うくらい普通だ。たぶんこの子の、この恋は実らないんだろう。



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