gladstone


(AM11:52)
ほとんど1週間ぶりに彼女を見かけたが、ここまでいきり立っている様子は後にも先にもこれっきりなのだろうという塩梅で、とにかく顔をひきつらせながら緑川優は「ほんとありえないんだけど」と言った。

いつぞやに『美人は怒らせると怖い』だとかいう言葉を耳にした覚えがあるけれど、今の彼女の様子を見るに、おそらくそれは格言の類だったのだろう。憤りを堪えている彼女の顔はまさに般若と言うのが似つかわしい。


優と待ち合わせるのに、大学構内でも特に人通りの少ない場所を選んでいて正解だった。嵐山が座るベンチの隣にどっかりと腰を下ろし、半ば頭を抱えるような格好で「何か、付き合う友達は選べって言葉の大切さを知った気がする」と彼女は言う。優は決して大人しいだとか清楚なタイプではないにしろ、それなりの貞淑さは持ちあわせていて、他人の陰口を開けっ広げにはしない。しかしながら今回ばかりはさすがに腹に据えかねるらしい。「太刀川さんまじでありえない」と零した。

今日、優は嵐山と同じく、ボーダーに所属する隊員であり、彼らのひとつ上の先輩にあたる太刀川慶に、食事に連れだされていた。どうやら大学に上がってしばらく経ちいよいよもって金欠が深刻になりつつあるらしい彼女は、よく太刀川や、他の先輩に食事をせびっている。特に太刀川や風間といった面子はボーダー隊員の中でも指折りの実力が示す通りの稼ぎがあるというので、むしろ積極的に面倒を見てやっているようだった。彼女は彼女で、人脈を駆使して彼らの成績をバックアップしているらしい。嵐山もその力を借りているうちの一人であるけれど、それは余談にすぎない。


嵐山はボーダーの仕事が落ち着き久々に大学へと顔を出すことができるようになったとはいえ、午前中を防衛任務に潰されていた。午後には同じ授業に出られるというので、その前に彼女と落ち合うということにしていた。予定として合流を決めていれば太刀川との食事を早めに切り上げてきてくれるのではないかと企図したものであったけれど、案の定、彼女は授業が始まるよりもうんと余裕を持ってやって来た。

風間と違い、太刀川は油断ならないと思わせてくるような、言ってしまえば胡散臭いような雰囲気がある。「何もないよ」と優は以前笑って言っていたけれど、今になってこうして彼女の憤怒の様子を鑑みるに、嵐山の直感はあながち間違いでもなかったのだろう。


「どうしたんだよ」嵐山が苦笑を浮かべる。優は多少口ごもりながらも、おそらくは怒りの捌け口を探していたのだろう、ややあって「さっき太刀川さんとご飯を食べてたんだけどさ」と切り出した。

「何かあったのか」
「まぁ、うん。デリカシーが無いなって思ったの」
「変なこと言われたとか?」太刀川ならさもありなん、と言わんばかりの表情だった。優はひとつ唸り「ちょっと声を大にしては言えない話ではあるんだけど」と勿体ぶるように言う。

「今更なんだって言うんだよ」
「ほら、こないださ、私と君とで出かけたでしょう」温泉に慰安旅行に行こう、と言い出したのは彼女の方だった。そのせいなのか、おかげなのか、太刀川にご相伴に預かることになった訳だけれども、とにかく出かけたことは確かだった。「その話を、太刀川さんにしたのさ」

つい先程のやりとりを思い出しているのだろう。しかめっ面を伏せながら「泊まりがけって言ったらね、あのヒゲモジャなんて返してきたと思う?『へぇ、でお前らとうとうやったのか』って言ったんだよ。本当に信じられない」と打ち明けるのだった。

思わず嵐山も頭を抱えたくなったが、すんでのところで思いとどまり「何だそれは」とだけ答える。隣を見やると優は顔を覆ってしまっていた。恥ずかしいのか気まずいのかを察するには至らないが、どちらにせよ「泣きたい」とでも思っているに違いない。やったかやっていないかで言えばやったからだ。何をか?言わずもがなすべてである。だからこそ恥ずかしい。


「まあ、きっと太刀川さんなりに気を遣ってくれたんだろう」
「そうであって欲しいけど、私は違うと思う」
「邪推するものじゃないよ」
「邪推したのはあっちの方だし」
「意趣返しか」
「そりゃあ色々あったけれどね、もしかしたらひょっとすると、心配してくれてたってこともあるのかもしれないって、それは承知しているよ。でもだからといって聞き方ってものがあるじゃない」
「で、どうしたんだよ優は」
「居た堪れなくって逃げてきた」
「そりゃそうだ」そして肯定したも同然だ。

「でもさ、別に……確かにそういうことはあったけれど、だからと言って全部が全部そういうことになるみたいな確信をもって尋ねなくったっていいじゃない」

散々唸った末に零した優は、そう言って顔を上げ、空を仰いだ。陽光を乱反射して無闇に明るい曇空は、どうやら彼女にとっても眩しいものだったようで、ため息をつきながら視線を下ろす。「准くんには悪いけれどね、私、実のところ君のことはまだ友達だと思ってるんだよ」

「だろうな」
「知ってたの?」
「そりゃ分かるさ。あの時だって、別にそういう意味じゃなかったってことくらい、おれみたいな朴念仁でも察してた」
「尻軽みたい、私」
「そうじゃないってことも知ってる」
「私は疑ってるよ」

何も言えなかった。自分たちがいわゆる恋人同士の関係にないことは、お互いが承知していた。だからこそあの時睦言に至った心境が、おのれの考えが、理解できずにもやつくのだろう。しかし優は「でもね」と続ける。「一番問題なのは、私が今の状態を心地よく感じてるってことなんだよ」

「別にまたああいうことが起きても構わないって思ってる。きっと君は私のようには思ってないだろうけど。そうじゃない?」
「ああ、まあそうだな。それはちょっと困る」
「たぶん私、君よりきちんとしていないんだよ」
「それは……」
「きちんとしなきゃいけないんだろうな」
「無理強いはしない」
「嵐山くんのそういうとこ嫌いじゃないけど、私みたいなのにはもうちょっと厳しくしてもいいと思うよ」
「そうか」

うん、と頷き、優は立ち上がる。時計を確認すると、まもなく授業が始まろうとする時間に差し掛かっていた。今から向かうとなると、開始時刻を僅かに超過してしまうだろう。どうせ遅刻するならさぼろうと彼女が言い出すのではないかと危惧したものの、優は「やばい、急がないと始まっちゃう」と嵐山をせっついた。

人気のない校舎を早足で歩きながら、ふと、優が思い出したように「ああ、でも准くんのこと、結構好きだからね、私は」と言った。そういうのはずるいなと返した。優はけらけらと笑っていた。




(PM12:36)
ボーダー本部、A級隊員用のとある訓練用ブースで、太刀川慶と風間蒼也の二人が個人でのランク戦を行っている。隊員の中でも別格の実力を持つ二人は、同じA級同士でも特にお互いを相手にすることが多い。飛び抜けて強いだけに相手どるに相応しい者が少ないがためのことである。

太刀川は弧月を、風間はスコーピオンを両手に装備して剣戟を交わすが、どちらも手の内は知り尽くしている。太刀筋はまるで剣舞のようにも見えた。10本勝負のうち消化したのは7本。太刀川が4勝し風間が3勝。8本目を太刀川が取るか否かが勝敗の分かれ目。先に集中を切らした方が落ちると、両者ともが重々承知の上である。


「そういえば、優から聞いたんだけど」

風間の、向かって左からの突きを受けながら、太刀川が口を開いた。もう一方の弧月を横薙ぎに振り払う。風間が眉間に深い縦皺をいくつもこしらえながら、大きく後ろへと跳ぶ。太刀川が追い討ちを仕掛けようと大きく踏み出したのと「藪から棒に」と風間が吐き捨てるのとがほぼ同時だった。「今するような話か?」

「そろそろ風間さんが集中を欠いてくれるかなと思って」仮にも年上の風間に対して、随分な物言いだった。とはいえ風間はそれにも慣れているようで「だろうと思った」とすげなく返している。

戯れるように斬撃を交わし合いながら、気だるそうに太刀川が続ける。「優、あいつ、嵐山ととうとうできたらしい」

「よりにもよって下世話な話か」
「嫌だな、風間さん。俺を野次馬みたいに」
「違うのか」
「俺はそりゃもうあいつらのことを気にかけてたんだからな」
「よく言う」
「まぁ聞いてくれよ。なんたって俺、優のことは結構好きだったんだし」
「は?」

一瞬風間が動きを止めたのを目ざとく攫い、弧月の切っ先が彼の喉元を掠めていった。浅くはない切り口からトリオンが漏出する。切れ目を拭うように押さえ、風間が、追撃しようと腰を弛めた太刀川の懐に飛び込んだ。サブトリガーを使ってとどめの斬撃を加えようと構えていた太刀川だったが、ゼロ距離では追撃も意味をなさない。風間の持つスコーピオンが迫る。身を捻り、すんでのところで回避を試みる。が、それを先読みしていた風間が得物を変形させていた。脇から胸にかけて、身を削ぐように負傷した。急所ぎりぎり。大量のトリオンが胸から噴出していく。

「ほら、俺も風間さんもよくあいつにメシを奢ってただろ。風間さんはどうだか知らないけど、俺はあれ、全部といかないまでも、4分の3は下心だったさ」
「お前と一緒にされるのは心外だな」
「あ、そう。ならいいけど。まぁでもとにかく悔しいんだ、おれは」あんまりもたついてるから、横から掻っ攫ってやろうかとも思ってたんだけど。

言い終えるよりも先に『太刀川、ダウン』と、アナウンスの声が響いた。訓練用の仮想空間から弾き出され、ログアウトする。これで勝負は五分。


結局、残りの2本を太刀川が獲った。悔しいのかそうでないのかを風間の様子からは察することができないものの、訓練用ブースを出た太刀川と鉢合わせると、これ以上ないという程に顔をしかめた。少なくとも彼に不快感を抱いてはいるらしい。

二人揃って休憩室へと向かう道中、廊下を並んで歩きながら、呟くようにというよりも噛みしめるように風間が言った。「お前みたいなのと仲良くしようと思うあれの気持ちが分からない」

「随分な言い草だな風間さん」
「生ぬるいくらいだ」
「まあね、メシだなんだとか下心がどうとかそういうの抜きにしても、俺ら気が合うんだと思う。似た者同士だから」
「お前と一緒にされたくないだろうに」先程と全く同じ調子で風間が答える。「どこが似てるって言うんだ」

「ちゃらんぽらんっていうか。俺もそうだけど、あいつも大概、感覚だけで生きてるっぽいし、結局楽しいのが一番なんだよ。風間さんだとか嵐山はむしろ逆のメンタリティだな」
「お前は自分のそういうところを直す気はないのか」
「全然」
「いつか痛い目を見るだろうな」
「楽しかったらそれでもいい」

とうとう風間が溜息をついた。それはもう深く。「昼食は摂ったか」と尋ねられ、応える太刀川は、彼とは対照的に上機嫌である。ついさっき悔しいと漏らしたばかりというのにどこへやら。「悪いな。もう食べたんだ」




(PM16:12)
大慌てで帰宅した優は、弟や他の家族の姿が家にないことを確認すると、すぐさま自室に駆け込んだ。走るような早足で帰ってきた。膝が笑っている。そして顔が赤い。

通学用の鞄をベッドの上に放り投げて、クロゼットを開ける。棚の上、背伸びをした先の旅行用鞄を引っ張りだした。ずるりと落っこちてきた鞄を受け止め、板張りの床にそっと下ろす。開けると、がらんどうの中にひとつだけ小さな紙袋が入れられていた。優は引きつるように張り詰めた面持ちでその紙袋を手に取る。やがて躊躇いがちに、緩慢な動作で包みを開いた。


そもそもこの鞄は、先の小旅行に携えていったものだった。旅行先で、半ばアクシデントのような出来事があった。そうして夜を過ごして、次の日、帰りがけに寄った土産物屋で小さな石のついたネックレスを見つけた。小ぶりで華奢な作りのシルバーチェーン。ブランドショップに出向けばこれよりも洒落たものがいくらでも見つかりそうなものだったが、旅行というシチュエーションのせいか前夜の熱の名残か、とにかく妙に浮足立った気持ちに水を打つように目に留まった。

視線がネックレスへと吸い寄せられたのを、嵐山が目ざとく気づいた。あくまで友人としての距離感で連れ立っているにも関わらず「気に入ったのか」と尋ねてから会計に向かうまでが、普段以上にスムーズで面食らった。昨夜のことがあってもいつもと変わらない彼の様子に正直ほっとしていたというのに、ここにきてこんなことになるとは思ってもみなかった。


「ありがとう」と、手の中の紙袋を覗き込みながらつぶやく優に、嵐山は困ったような笑みを浮かべながら「昨日のお詫びだから、いいよ」と返した。お詫びをされるようなことではないだろうにと言い返すのは野暮だろうと思い至り、一度開きかけた口はつぐんでおいた。代わりに「お詫びには高すぎる」と悪態をつく。嵐山は「高くなんてない」と言うが、その割には安いものでもない。

どうしたものかと思案した挙句、はにかむのを堪えながら「つけて」と頼んだ。取り出したネックレスを彼に手渡す。人が居たら照れくさいと思ったが、土産物屋の周囲に人影はない。出入口を避けて、正面から向き合うように手を優の首に回し、ネックレスをつけた。友人にしてはこれは距離が近すぎるなと、嵐山の首から襟元に視線を漂わせながら思った。

つけられたかどうかを尋ねると肯定が返ってきた。しかし彼の手は、引っ込む前に優の肩に遠慮がちに触れた。どうかしたのかと顔を上げ尋ねようとしたのを彼が見計らったのかどうかは分からない。一瞬の出来事だった。気づいた時には彼は優の顔を覗きこんでいたし、肩に置かれていた手も離れてしまっていた。名残惜しいと感じていることを自覚するのにはなおさら時間がかかった。

「ごめんな」と彼は言った。「思い出をくれって、こういう気持ちを言うんだな」と、そうも言っていた。



あれから、結局ネックレスは一度もつけていない。旅行から帰ってきてすぐに外し、中身をひっくり返した旅行鞄に包みごと投げ入れて、そのまま棚にしまい込んだ。居た堪れなかった。視界に入るのも照れくさく、生娘でもないのに赤面した。とんでもない男だと、無闇やたらと彼を罵りたくなった。そして後悔をした。

彼に好意を打ち明けられ「君のことは好きだけど、付き合うだとか恋人だとか、明確な名前をつけるのは違う気がする」と答えたけれど、そのときはそれが最善の回答だと信じていたけれど、あのように油断しているところに不意打ちされると必要以上に動揺する。

今日もそうだ。してやられた。授業になんてまるで集中できなかった。そうやって楽しんでいるのではないかとすら思ったが、当の本人はけろっとしているどころか「大丈夫か?悪い、驚かせて」とこちらの心配をしてくるものだからどうしようもない。「公共の場所でそういうことをするのはやめなさい」と小言を垂れるのが関の山であった。

呆然としながらネックレスを手に取り眺めていたが、はっとして大きく深く溜息をつき、鞄に包みをしまい込む。どこかに行きたかった。きっと消えてしまいたいのだ。さもなくば未踏の地に思い出ごと捨ててきたい。明日も明後日も、授業のある限り顔を合わせることになるというのに合わせる顔がない。がっくりと肩を落としていたから鞄を元の場所に戻すのは一苦労だった。よろよろと崩れ落ちるようにベッドに倒れた。そのまま眠りに落ち、起きたのは夜になってからだった。



back

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -